えいきの修学旅行

今年3回ほど遭難しかけたのでガーミン購入。

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鍬塚城後編

           私のスマホyahoo地図
イメージ 8★は私がここ一年間に踏み歩いた東濃・三河・南信・遠江の境目の城達です。

今書いている鍬塚城の位置は示したところにありますが、なんで新潟の私がこのようなエリアの山奥の城を踏み歩いているかを釈明します。

武田は、元亀3年三河・遠江へと軍を進めます。敵は織田・徳川です。その際、武田が案内としたのが山家三方衆でした。山家三方衆とは田峰菅沼氏、長篠菅沼氏、作手奥平氏の三氏で、山家三方衆のうち最も強大だったのが作手奥平氏でした。
しかし、山家三方衆内部での対立や徳川織田武田の境目という位置から、奥平氏の帰属は不安定なものでした。武田が三河・遠江に軍を進めるにあたり、拠点とすべく作手奥平領内に築いたのが古宮城(賽之神城も)とされています。

昨年、北信の上杉・武田の境目の城を書き綴っていた私は、視点を変えて武田の反対方向の境目の城を見聞してこようと思い立ち、作手古宮城・賽之神城に修学に出掛けました。武田の城と思って実見していたところ、これは武田の城ではないのではないか、という想いが湧き立ち、その時点での北信を踏み歩いた知見で、古宮城・賽之神城は武田の城ではなく、長篠戦後、徳川領国に東濃・信濃から南下・侵攻する勢力に備えて同時期(あるいは賽之神城のほうが新しいのではないか)に築かれた城と推測し、両城、亀山城、文殊山城をブログ記事にしました。

 文殊山城(作手エピローグ) http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18172387.html
 記事にしていないが河尻城も歩いた。

 ただし、私は徳川圏の戦国期の動向と城に関しては無知でしたので、文献の収集と同エリアの他の城の様子を実見し、その推論を否定もしくは肯定しようと、★の城達を歩いたのです。
 残念ながら、天正3年の長篠戦後、武田滅亡後の天正壬午の乱、天正12年の小牧長久手、同14年の第二次小牧長久手勃発の危機、同年の家康上洛あたりまでの作手盆地の状況を示す史料と文献は、探し当てることはできませんでした。
 しかし、城は歩くことができました。文献が無ければ、決定的に裏付けることはできないかもしれませんが、城の構造から推測・考察するのも有効な方法です。
 
 踏み歩いてみて、どうだったのか。
 
 やはり、古宮城・賽之神城は武田の城ではないと考えます。

 古宮城は、天正3年の長篠戦後、武田滅亡後の天正壬午の乱、天正12年の小牧長久手、同14年の第二次小牧長久手勃発の危機、同年の家康上洛あたりまでに築かれた徳川の城。
 賽之神城は、古宮城よりもやや古くから存在した作手奥平氏の城で、徳川領国下天正後期まで機能した城と考えています。
 
 諏訪之原城の発掘による最新の研究では、同城主郭両袖枡形虎口の下には焼土層が無く、徳川による構築であることが提示されています。そのあたりの事情と古宮城の構造に関し、中井先生とお話しする機会を得ました。
 また、佐伯先生からも『愛知の山城』記述周辺の考察もお聞きすることができました。
 そして、★の城達の踏み歩き、周辺地域での武田勢の城郭普請ならびに、鍬塚城が属する名倉奥平領内、日近奥平領内の城を踏み歩き、作手の城と比較してみた成果です。

イメージ 9奥平氏には作手奥平氏を本家に名倉、日近と三家があり、名倉奥平氏は、戦国当初、宗家作手奥平氏とともに今川方に属していた。永禄元年、織田方の遠山勢と名倉船戸橋で戦い、武功をあげている。義元死後は松平家康、元亀元年には武田方に属す。天正3年、長篠の戦い時には、作手奥平貞能とともに徳川方に付き、鳶ケ巣山砦の夜襲に加わっている。天正9年には信長の命により三河・信濃境を固守するよう命じられており、領内の城は、その頃の修築も考えられる。(宮坂 2015,p451)

日近奥平氏に関しては高田徹の『愛知の山城ベスト50を歩く』における記述を引用します。
「日近奥平氏は、作手奥平氏と対立し、弘治三年(1557)には没落した。そして日近は作手奥平氏の所領になった。その後、日近奥平氏が旧領を回復している可能性も考えられるが、たしかなことはわからない」(高田 2010,p158)



 名倉奥平領内の城は、本城とされる寺脇城、一族の城と考えられる清水城、今書いている支城・鍬塚城を歩きました。日近領内は日近城を歩きました。それら『えいきの修学』を、よそ者ではありますが12月いっぱいかけて紹介していきたいと思います。

 本記事は、鍬塚城後編でした。

 
 重要なところは前編で紹介しました。
 後編では桃囲いあたりの北・東搦手ルートと南方郭2・3の様子を辿ります。
 
イメージ 17南方は、切岸で区切り、郭2、3を配している。郭3には南尾根からの道が入る。また北の搦手5方向へ通路が伸びていたような痕跡もある。


虎口Cから横堀状通路を通り、郭5を経て東の通路から主郭東虎口、あるいは郭4の東から主郭北東隅に至るルートが搦手であろう。













イメージ 1前編で辿った主郭南の桝形虎口D

下方に郭2・郭3。












イメージ 2導線は右斜めに回り降りる

張出してはいないが、枡形(虎口)への導線は奥平氏の共有した技術に思える。
大手ルートは右、郭6から。
郭2は左下方。








イメージ 11郭2 
25×16mの台形。


開口部下に郭3。











イメージ 12郭3

27×9m。
南西部に南尾根からの道が入る。











イメージ 13郭3南東部には石を円形に並べた所がある。














イメージ 14石を円形に並べた所

宮坂は井戸跡か炉址としている。












イメージ 16また、郭3から、郭2・主郭の東下を北の搦手5方向へ通路が伸びていたような痕跡もある。












イメージ 3郭3から郭2















イメージ 15郭2、郭3の切岸壁

郭は堀切では区切らない。













イメージ 4郭2から郭1


ここも堀切では区切らない。














   搦手方向

イメージ 18









北面土塁の下に郭4、5を配し、北辺縁土塁の東の端から、郭4を伝い郭5へ至る。また東搦手虎口から東の通路を通り郭5に至る。

郭5には、前編で辿った西尾根大手から分岐して虎口Cから横堀通路を通り北へ回るルートが入っている。

これが搦手であろう。



イメージ 7郭1北部















イメージ 5主郭東面 搦手虎口

東辺縁には土塁が無い。













イメージ 6郭5へ至る搦手通路















イメージ 10主郭の北へ

辺縁土塁東端から郭4へ接続している。











イメージ 33主郭北、辺縁土塁下には、緩い削平の郭4が二段、その下方に郭5が配されている。郭5には左(西)から横堀を通路に大手ルートから分岐した虎口Cからのルートが入る。この横堀線は頭上側面から主郭・郭4の監視を受ける。
また主郭東の搦手虎口からの通路も集まる。

ここから下り辿るより、虎口Cから辿ったほうが写真がいい。

イメージ 19大手ルート虎口C・Bの分岐から虎口Cへ













イメージ 20横堀塁線














イメージ 21横堀

右側面頭上主郭に監視された通路でもある。武田の横堀構造とするに違和感はない。織田徳川圏下の構築かもしれない(2019.2)。







イメージ 32右側郭4の監視下、郭5へ至る













イメージ 23側面
累々、郭4・主郭が構える。













イメージ 22郭4の下方、私には城戸に見える石組の先に郭5に入る












イメージ 26郭4-5の段差には石積の痕跡













イメージ 27けっこうしっかりした石積だったのではないか






その東、






イメージ 29郭5東部には主郭東搦手虎口からの通路が入る













イメージ 24郭5

兵站な雰囲気。












イメージ 25炉址のような石組もある














イメージ 28郭5の下方には、郭7の城内側で大手ルートから分岐した通路が入る帯郭がもう一重巡っている。





  






イメージ 30郭5から主郭方向














イメージ 31郭5から横堀通路





                           完








参考文献 宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版
      高田徹「日近城」、愛知中世城郭研究会・中井均編(2010)『愛知の山城ベスト50を歩く』、サンライズ出版



おっと鍬塚城への行き方

イメージ 39舗装道から大野山登山道への入り口

大野山登山道の標柱あり。

大野山方向へ入る。






イメージ 40途中の分岐

左に行くと大野山登山口、行っては×。

右折すぐ左に山道あり。







イメージ 34右折すぐ左に山道











イメージ 35ここから入る。











イメージ 36しっかりとした山道で心配無用

私は、ここに至るまで二つの違う山に入り、難渋した。ここを進む時点でも鍬塚城に至る確信はなく、カンで進入です。


   




イメージ 37馬頭観音をチェックして、ビンゴであることを確信、勇躍。










イメージ 38山道歩くこと19分、鍬塚城大手虎口Aに至ります。



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