えいきの修学旅行

練習としてアメーバブログに飛騨の久々野6/22、牛臥山6/26、切手7/1の3城を投稿します。

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 虚空蔵山の稜線上の一連の城は、さほど厳しい要害普請はなされていない。しかし、南に派生する尾根の中腹に構えられた飯綱城、持越城、燕城、ケムリの城、物見城は、宮坂先生の鳥瞰図、縄張図をみるかぎり、厳しく普請がされているようだ。これらは、藪、山険しく、到達し難いが、私はケムリの城を実見することができた。これも信濃先方衆のおかげである。
         
イメージ 1今回は、そのケムリの城
















イメージ 43鉄塔が目印















イメージ 2鉄塔を起点にスターします


上方に、郭2、1。
主郭1後背に豪快な四重堀切。
下方にもう一郭配し、堀エ。
郭、堀名は宮坂武男作図縄張図(1)に準拠。





                                       まずは下方

イメージ 7南下方

長方形区画。














イメージ 5西の10×9の区画

















イメージ 6西先端

















イメージ 3南下方に堀ア

下方最前線。
よくわからん…。













イメージ 4やや斜から

















イメージ 8鉄塔へ戻ります




















                    鉄塔から上方

イメージ 9
一段上に郭2

















イメージ 10石積みで壁を維持している
















イメージ 11東面

















イメージ 12縄張りの進化はさほど感じないが、このような石積で壁を補強する構造は、新しい(天正)と考えるべきか、以前からこの地域ではありふれた構造と捉えるべきなのか








イメージ 13
接近

















イメージ 14下方、竪堀か

















イメージ 15郭2

主郭1へは、西(写真左)から土橋状に接続か












イメージ 16
下方、さきの鉄鉄塔基部を見下ろす

郭に鉄塔を設置したのか、整地して設置したのかは、わからないが、監視が効き、郭であったと考える。








イメージ 17西端土橋(石塁橋)から主郭へ

主郭壁面も石積で造作。













イメージ 18ケムリの城主郭1

後背は土塁を盛り、四重堀切で豪快かつ厳重に遮断している。
土盛りは後背からの遮蔽と、後背へ接続する架橋台であろう。

土塁上には東(写真右)から土橋状に昇降と考える。飯山周辺の上杉圏構造と同じ構想。


イメージ 19下方、郭2と導線

虎口は明瞭ではない。














イメージ 20主郭から上田城

















イメージ 22東(写真右)から土塁土橋状に後背土塁上に昇る

飯山周辺の上杉圏構造と同じ構想。










イメージ 21主郭からは雑木が翳るが、土塁土橋からは、虚空蔵山城の連珠要塞群を見渡せる











イメージ 23土塁上から主郭















イメージ 24導線







そして










                  主郭後背四重堀切
                                                           
イメージ 25堀イ

後背は豪快壮絶な四重堀切












イメージ 26豪快壮絶

上杉圏最前線、と考えるが、岩盤を割り、掘る造作は越後侍には無理であろう。
駒澤等、信濃侍の技術であろう。

しかし、上杉圏とするには疑問もある。後背は、上杉方が詰める虚空蔵山であり、その山下の坂城には、上杉の軍勢が集結しているはずである。味方側を警戒するというのが腑に落ちない
天正12年、上杉から離反し徳川についた屋代のなせる業であろうか(2)。

イメージ 27イーウ間


架橋部であろうか。













イメージ 28主郭後背土塁を視認

橋が見える気がする。











イメージ 29二・三重目 堀ウ・エ
















イメージ 30堀ウ―エ間は、左下方(西斜面トラバース)の鉄塔管理道を側面頭上監視か。鉄塔管理道は城道かもしれない。










イメージ 31西側面下トラバースの鉄塔管理道から堀ウ


岩盤を堀割っている。信濃侍のなせる業であろう。








イメージ 32堀エ















イメージ 33西下方

掘り下げた竪堀は、防御ラインとして構築したものか。

とすると、四重堀切は、主郭後背を警戒・遮断した構造ではなく、主郭陥落後、繰り引いて防戦を行うラインと考えることはできないだるか。天正10年を前後する時期に出現すると考える上杉圏構造に類似する。


   そう、また三重だということに気付いているだろうか

イメージ 41四重目堀切オ

オも竪堀として掘り下げているのではないか(宮坂図掘り下げ無)。
二重の防御ラインとした構造か。









イメージ 34堀オ

戦国の侍の凄まじき生死の現場に、山城大好きなどというドキドキは消え、戦慄が呼吸を止める。

オは虚空蔵山方向へ乗り越したようだ。






イメージ 35鉄塔管理道















イメージ 36堀オを見上げる















イメージ 37下方竪堀通過部(ケムリ側から)

警戒遮断?












イメージ 38虚空蔵山側から

ケムリ陥落時の防御ラインか。












イメージ 40下方
















イメージ 39私は、ケムリ陥落時、虚空蔵山側に拠る勢力にとって防御ラインとして機能する構造と捉えた














イメージ 42堀イ・ウ・エ・オの四重堀切は、主郭後背を警戒して遮断する堀切ではなく、主郭陥落時、虚空蔵山方向への追従を遮断する構造と観た。

駒澤が、一身の打死をもって数百人の味方を助けた戦闘、一命を御用に立てた地は、このような場ではないだろうか。

   
   壮絶なり、ケムリの城。


 ケムリの城へは、西から虚空蔵山城へ向かう稜線途中から、鉄塔保管道を通って到達できる。
 しかし、稜線からの鉄塔保管道分岐地点の写真を取り損ねてしまった。
 らんまるさんに確認したところ、下記のアドバイスをいただいた。

     イメージ 44駐車場から登った尾根から東へ約150mがこの写真の場所です。
そこから約50m階段を上った場所の鉄塔から保安道を等高線上に東へトラバースするとケムリの城です。







 林道駐車場から尾根稜線に取り付くところは虚空蔵山城に掲載してあります。


 註
 (1)宮坂武男(2013)『信濃の山城と館3』、戎光祥出版
 (2)らんまるさんとの雑談

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対岸の小泉上の城(村上本陣の須々貴城の西の奥で城山の南の嶺、小泉氏の詰め城)はケムリノ城とよく似た縄張なので、基本的には村上時代の構造と推測されます。近くの物見城も類似していて石積みも見られるので同時期の造作のようです。

この砦に麓から登るには燕城(つばくろじょう)を経由しますが、大手というよりも搦め手でかなり険しい通路です。案外、現在の保安道が正規の入城通路かもしれません(笑)。狐落城かケムリノ城に屋代さんたちが籠った可能性がありますが、両城とも狭すぎてゲリラ戦には向いても籠城には不向きでしょうか。

それにしても岩盤を叩き割った堀切はいつ見ても痺れますネ(笑)

2017/8/17(木) 午前 7:46 [ らんまる ] 返信する

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らんまるさん、おはようございます。
この地域の石積は、天文・弘治・永禄にはあったようですが、大幅の岩盤割はどうなのでしょうか。小泉上の城も岩盤を割っていますか?葛尾城も岩盤割ってますが、これも、天正期と考えたほうがいいのか、村上時代か判別つけがたいです。対岸であれば、天正の上杉圏ではなさそうですが、いかがでしょうか。

2017/8/17(木) 午前 7:52 [ えいき ] 返信する

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