えいきの修学旅行

おおるりで面会。その後、諏訪原、富田、滝境城。藪と茶畑農道に窮す。VOLVO側面傷だらけ…涙。茶毒蛾ではなく、茶畑にやられた。

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                                                    吉窪城
イメージ 4小松原城で掲載した写真と同じ

犀川の渓谷を挟んで小松原城の対岸に築かれている。













                          吉窪城概念図
イメージ 39愚図ですが宮坂武男『信濃の山城と館3』を参考にブログ説明用として書きました。郭・虎口名は同書に準拠し、ケバ・郭内の凹凸は略してあります。
 城内に堀切は見られず、土塁によって郭を区切り、郭は虎口によって接続している。塁線の土塁は下方斜面と連携して強固な防御陣地をなしている。
郭2内凹凸は略してあるが、石室がいくつか設けられており、宮坂先生は「竪穴式の小屋の遺構ではないかと思われる」としている。


虎口Eがもっとも頑強なので、北ルートが大手のようにも思えるが、郭を経ないで郭1へ至ってしまう。
あるいは虎口Aが大手城門で、郭4から虎口A、核2、虎口B、郭1へ至る西ルートが大手であろうか。
 

イメージ 1吉窪城登り口














イメージ 2岩場が信仰の地感を醸し出す
 
遊歩道、しっかり整備されています













イメージ 3稲荷社の参道鳥居が北ルートの重要な関門であろう。

脇を郭6が固める。

石段が主郭へ入るが、鳥居段で左に折れ進み虎口Eへ至る道がルートであろう。






イメージ 5L型土塁を備える郭6が脇を固める
















イメージ 8郭6L型土塁からみる導線

この城って信濃在地勢力の城って本当?











イメージ 6
鳥居段から折れる

ルートは主郭監視下を進むことになる。














イメージ 7主郭監視下虎口Eへ至る導線

正面にも土塁が待ち構える。

左(北)下方郭6。










イメージ 9下方に郭6


写真に写っている郭6は土塁を備えない北東部(先掲の鳥居段付近はL型土塁を備えている)。

土塁は無いが、竪堀二本を放つ。






イメージ 10竪堀

















イメージ 11もう一本




















   主郭
 
イメージ 12虎口Eへ

当たり折れ入る構造ではないが正面土塁が待ち構える。また右側面も主郭土塁が沿って側面頭上攻撃を受ける。









イメージ 13虎口E

形態分類としては平入になるのか。














イメージ 14虎口入って左方

空堀址と表示されているが、土塁を備えた郭1北西部塁線と私は考える。

土塁下方に郭6を監視し、西部L型は虎口E脇を強固に固めている。






イメージ 15虎口E脇L型土塁

















イメージ 16虎口E入って右方(南西)にターンし、主郭主要部(神々祭祀場)
へ向かうルート

こちら側も土塁が強固き虎口脇を固め、導線を監視下に置く。







イメージ 18虎口E前を虎口南脇土塁上から


折れる土塁が虎口前を頑強に固める。












イメージ 19

虎口Eに囚われ過ぎた。














イメージ 24郭1北部


藪がきつい。














イメージ 26郭1北部 南東塁線土塁と虎口F

虎口Fはスロープ状にっ主郭南下方を守る郭5に接続する。











イメージ 25虎口Fからスロープ状に郭5へ至る導線

郭5も南西から南東へL型土塁を備える













イメージ 17虎口Eから主郭中枢部へ

西面は大土塁で主郭と郭2・3を区切る。











イメージ 20主郭中枢部

たくさんの神様が祀られている。














イメージ 22大土塁

主郭と郭2・3を区切る。













イメージ 23天端

石垣様に石を用いてる箇所もあり、強化土塁である。












イメージ 21大土塁南の切れは虎口Bとなり郭2と接続する

















  大土塁の西 郭2・3・4

イメージ 27虎口Bから郭2

虎口B付近の他は土塁で囲郭されている。











イメージ 28郭2窪内

宮坂先生が「石で積んだ長方形の石室群がある。竪穴式の小屋の遺構ではないかと思われる」としている区域。


虎口Aは西下方郭4に接続する。

写真右(東)東に虎口Cで接続する郭3がある(後掲)。

イメージ 29石室
















イメージ 30虎口A















イメージ 31A外はスロープで西壁下方郭4に接続する













イメージ 32外から虎口A

なかなかの威容であり、こちらが大手か。











イメージ 33郭4















イメージ 34さらに西下方

土塁で仕切りがあるもう一郭。にしからの道が入る。

















   虎口Cから郭3

イメージ 36大土塁上から郭2西塁線北部


西は塁線下に郭3と横堀線が守る。
塁線には虎口Cが開口し2-3を接続する。








イメージ 37虎口C

郭3、横堀線。













イメージ 38郭3、横堀線

加筆するとデータ量が増え、記事がパンクする恐れがあるので素のまま。










イメージ 35郭3北端

虎口D。

鳥居段に至る。













   まとめ

 この吉窪城は、小松原城でも触れたが、宮坂先生は小田切氏に関わる城であるとし、落合備中守とともに葛山城で討死した小田切駿河守の子民部少輔が籠ったとされる小市城がこの城ではないかとする説も記している。
 葛山城落城が弘治三年で、弘治年間にこのように機能的な土塁と虎口を防御施設とする城があったとなると驚きを禁じ得ない。葛山城よりは小さいが、築城技術は葛山城よりも進んでいたのではないか。
 先に乗り込んだ小松原城がしんどかったので、吉窪城への整備された道はウキウキと歩けました(時期によっては主郭北部は藪の恐れあり)。吉窪城は、虎口、土塁、石室などの城郭構造が明瞭かつリスク低く見ることができるいい城です。

参考文献 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版、pp.234-5

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