えいきの修学旅行

おおるりで面会。その後、諏訪原、富田、滝境城。藪と茶畑農道に窮す。VOLVO側面傷だらけ…涙。茶毒蛾ではなく、茶畑にやられた。

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  和田城に続き聖川沿いの城ノ入城を書きます。
 聖川に沿った谷は、大岡や犀川筋から川中島へ抜けることができ、要衝である。                 

イメージ 46城ノ入城主郭は標高818m、聖川からの比高220mの山上にある

主郭はここhttps://yahoo.jp/wJWp_z
(登り口は後編で詳述)









イメージ 49ズーム

宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版(以下宮坂本2)に準拠し、ブログ説明のため郭・堀名をおおよその位置に書き込んだ。記事中測地も同書に拠る。






 宮坂本2によると、この田野口地域は先記事和田城を本拠とした田口(ママ)越前守が居て、上尾城主平林氏に属したとされる。永禄9年武田重臣馬場信房が牧之島城を築いて以降は、在地武士は牧之島城の守備にあたっており、この城も牧之島城の支配下にあったことを推定、備えと聖川沿いの大事な拠点であることから、武田滅亡後も使われたことを想像している。
 つまり、景勝領有下も、ということになる。
 それを頷けるほどの要害構造が見事に現存する城である。
 よって、小さい城ではあるが、前編で郭2から中枢域主郭1、後背の三重堀切、犬戻りまでを、後編で郭3、4と、登り口からのアプローチを辿る二部構成で綴ることにする。


    いきなりですが、山上、城入城中枢北西下郭2からスタート


イメージ 1郭3から堀エ越しに郭2

じつはこの堀エ、私は前面胸壁をもつ防御陣地で、上段郭2とで構成する二段の防御施設と捉えているが、これは後編に譲り、中枢郭1へと向かいます。






イメージ 2
郭2

















イメージ 3郭2南

岩細尾根へ。

明瞭な関門利用は見当たらなかった。











イメージ 16主郭への導線…

途中、堀オが警戒。















イメージ 7堀オから主郭

攻め登る兵の気持ちは如何に。

両側面(東西)は急傾斜のため登坂は無理。










イメージ 5上方から堀オ

















イメージ 4オ東掘下げ

















イメージ 6オ西掘下げ


















イメージ 8導線痕跡を涎を垂らしながら伝う
















イメージ 10上を見たり、下を見たり恐縮です

下方堀オ、郭2














イメージ 9
導線を監視し、主郭前を守る腰郭へ取り付く















イメージ 11主郭付近導線は石積があったようだ
















イメージ 12導線北西尾根筋に備え、3区画腰郭が付随する















イメージ 14最上段腰郭

















イメージ 48最上段腰郭への導線は、堀込みか


しかし。












イメージ 15主郭への入り

導線は有るが、堀込・虎口の造作は認められない。














 
   主郭

イメージ 20主郭へ入った

左が北、右が南で19×12mの広さがある。












イメージ 18主郭北部

穴があり、北下方斜面に竪堀が派生する。

眼下に聖川沿いの谷筋を監視し、右方に川中島を望む。








イメージ 17北隅の穴

天水溜であろうか。















イメージ 21聖川筋を川中島まで監視する

北は妙高山、犀川筋を望む。












イメージ 13天水溜下方北斜面には竪堀が設けられている

竪堀は、群ではなく単で効率よく効果的な施設であり、導線北西尾根からの東への回り込みを阻止している。

竪堀右方には主郭から一段低く区画されている。



イメージ 24主郭北東一段低い区画

















イメージ 19主郭南部

南辺は土塁が盛られ、さらに後背尾根は堀カ、キ、クの三重堀切で遮断する。











イメージ 23主郭南辺土塁

土塁後背は三重堀切。














イメージ 22南辺土塁から主郭1


さらば。

















   主郭後背

イメージ 25堀カ・キ・ク

厳戒三重堀切。

一人信濃の山中で咆哮。










イメージ 26カ西端















イメージ 27カ東端















イメージ 28カーキ間乗り越し















イメージ 45カーキ間畝

上杉の多重堀切畝か武田の多重堀仕切りか。
上杉にしては30cmほど広いのではないか。

といっても、在地勢力は変わらず、上位が変わったという様相かもしれない。



イメージ 29堀キ















イメージ 30堀ク















イメージ 32堀クの南、尾根上は郭5















イメージ 31後背尾根側から三重堀切

弘治・永禄期構築であっても、天正期においても要害施設として機能し得る。












   犬も戻されるところまで行きます

イメージ 33郭5

平地を確保しているが、造作の労は少ない。











イメージ 47堀ケ

少し上り郭6になる。















イメージ 34郭6















イメージ 35東斜面に竪堀か雨列か一流あり、狭まる













イメージ 36登り詰める

ピーク手前にスペース有。












イメージ 44ピーク手前スペース

逃げ込み場か。














イメージ 37高所背後

この落ち込みが犬戻しかと思ったが、












イメージ 38底に土橋状地形を目視

高所で戻らず、行く。












イメージ 39驚愕の土橋















イメージ 40竪堀を掘下げた人の手による造作であろう













イメージ 43土橋南















イメージ 41
調査か作業かの印にも驚き

どうやらこの細岩尾根からの急崖が犬戻しのようだ










イメージ 42ここで戻る


後編に続く。











   




参考文献 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版、pp.193-5






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