えいきの修学旅行

練習としてアメーバブログに飛騨の久々野6/22、牛臥山6/26、切手7/1の3城を投稿します。

全体表示

[ リスト ]

                        滝境城
イメージ 1
高天神城と小山城をつなぐ位置、駿河湾を臨む台地上に築かれている

武田高天神を攻略、あるいは死守するに際し、重要な役割を果たしたことであろう城である。
位置・主郭にマーク:https://yahoo.jp/QrHPK0




イメージ 2郭配置概要

地理院地図に、鈴木東洋(1991)「滝堺城「ここにも高天神城のそれと似た遺構があった」(以下鈴木論文)掲載縄張図に準拠し、郭名番号、横堀位置を書き込んだ。

1が主郭とされ、台地先端3から1-2-4-5と間に堀を入れながら数珠のように繋がっている。1の西には畝を敷設された武田の横堀が巡る(これが私のターゲット)。4は、丸ではない武田の馬出である。

崖に守られた台地上に、広い郭スペースが確保され、高天神へ補給・後詰する物資・軍勢の収容が可能である。





  
  主要部

イメージ 3軍団を収容できるスペースが確保されている















イメージ 6郭2-1間の堀は、埋められたかもしれないが、現況では強固な構造ではない

区切りを意図した構造か。

台地先端方向には郭3(後掲)。

西辺縁下には横堀が巡る。これが私のターゲット。



イメージ 5西辺縁

















イメージ 4畝を視認

しかし、11月は降下を試みるが、崖が険しく叶わず。

2月に覚悟を定め、再訪、執念で降下、撮影に成功。








イメージ 7滝境城横堀

畝が仕切っている。















イメージ 8仕切られ、遮られ、喜悦
















イメージ 9仕切った畝の南の横堀
















 鈴木論文では、元亀元年(1570)から同二年の武田氏と後北条氏の敵対状況における接触時に、武田氏が後北条氏の築城法を長所をとりいれたと想像、滝境城の成立時期との一致を指摘し、「後北条氏のそれより、畝間隔が少し長く、畝即ち障子の高さも比較的低く、高天神の場合と似ている」と評価している。

イメージ 11

















イメージ 12南から

















イメージ 10畝も興味深いが、横堀の凄味も強烈
















イメージ 13もう一条

















イメージ 14
うぃ、鬼気迫る

天正3年、信長、家康そろって討ち取ろうとした勝頼の心とは違う。














   郭2の東にひと尾根おあり、堀切と堡塁状の小郭がある

イメージ 24郭2東のひと尾根

















イメージ 25しかし踏み込まず

















イメージ 15郭1の南(先端方向)は堀で縊り、土橋で郭3に接続する

















  南(先端方向)
 
イメージ 16両側を縊り、土橋で接続する
















イメージ 23郭3側から接続土橋

鈴木論文によると右(東)側の堀には城山坂からの道が通っていたようである。

しかし、道を確認する勇気はなかった・・・。







イメージ 19郭3
 
両側の崖がすごい。














イメージ 17茶畑農家さんに「落ちんように気をつけい」と忠告いただいた














イメージ 18南東、堀で区切ってもう一郭
















イメージ 22先端崖下にももう一郭あるようだが、降りず















イメージ 20駿河湾

















イメージ 21富士山


















 
  北(台地方向)

イメージ 26郭2と5の間には馬出郭4が配されている
 
土橋(道)のように見えるが道の脇は平場で、堀で縊られた馬出郭である。

丸馬出形状ではない。
外郭出入口でないことと城の格によると考える。



イメージ 27郭5と馬出を区画する東の堀
















イメージ 28郭5

















イメージ 29郭5の台地側出入口

ここが外郭出入口にあたり、左(西)に二重堀切、右(東)に郭6との区切りとなる堀(道)が谷となって守る。








イメージ 31西 城内側の堀
















イメージ 32西 城外側の堀
















イメージ 30東 郭6と隔てる堀(道)

谷となる。













イメージ 36台地から滝境城入口

郭6は関門外であり、嶮しい谷に隔てられているため、城の郭外にあたるのではないだろうか。








イメージ 34左が郭6















イメージ 35郭6から郭2

谷により隔たる。














イメージ 33関門外台地



















 参考文献

 鈴木東洋(1991)「滝堺城「ここにも高天神城のそれと似た遺構があった」、『古城』第35号、静岡古城研究会 

閉じる コメント(2)

顔アイコン

畝と横堀、苦労しても見る価値ありそうですね、時期的には真冬じゃないと厳しそうですね。
高天神城まで行った事はありますがここは知りませんでした。

2019/3/10(日) 午後 11:20 黒鍬

顔アイコン

黒鍬さん、こんばんわ。武田末期の横堀ですから、鬼気迫るものがあります。丸子など、遠江駿河の横堀は、徳川武田双方の説があって定まりませんが、ここは徳川は使ってないようですから、武田の横堀、それも畝・障子造作ありですから、一見の価値はあると思います。
私は、どうしても深さと幅を自分で測りたかったので、初回は断念したのですが、意を決して再挑戦しました。執念深い奴です。
降り方は、ネットで公開すべきことではないので、行かれるようでしたら、メール下さい。トップページにアドレスあります。
私は黒鍬さんが書いていた浄福寺に行きたいです。

2019/3/11(月) 午後 10:53 [ えいき ]

開く トラックバック(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事