えいきの修学旅行

練習としてアメーバブログに飛騨の久々野6/22、牛臥山6/26、切手7/1の3城を投稿します。

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 卒業研究が一段落。3週間ほど余裕がありますのでブログ書きます。
 やはり、論文よりも写真ふんだんに使って好き放題書けるブログの方がいいです。
 ヤフーブログ閉鎖はショックですが、最近は多くの方に当「えいきの修学旅行」をご覧いただけるようになり、光栄に思っています。全体訪問者数が10万カウントに届きそうです。
                    
                    書くのは飛騨
イメージ 1



















イメージ 2地理院地図にマーク

高堂城は、広瀬氏が山崎城から移り、居城としたが、三木氏に滅ぼされ、三木氏の城となったようだ。
天正13年の金森勢による侵攻には、三木氏は広瀬城を中心とした防御態勢で備えた(高堂城には畝型施設が無)ようで、一帯には畝型施設(阻塞・竪堀)を設けた砦群が密集します。


らんまる攻城戦記に三木悲話伝説ありhttp://ranmaru99.blog83.fc2.com/blog-entry-809.html
記事中の4枚目写真にいつぞやの私(青いやつ)が写っています。なぜか、記事とは関連がない登場で、ミステリーです。

 広瀬城は2013年に書きました。
 
 6年ぶりとなる飛騨は、友達月芳さんと組んで徘徊しました。
 打ち合わせのメールでは、はじめ、「梨打、蓬ヶ洞、尾崎あたり」となっていて、高堂は山深くパスだなと了解の返事をしたら、次のメールでは「高堂、梨打あたり」、となっていて、うっ、高堂になっていると恐れつつも了解の返事をし、覚悟を定め、家を出ました。

 車が二台あったので、私の車を広瀬城とオトシ砦の間に置き、月芳さんの車を瓜巣公民館に駐車、瓜巣側から高堂城へと登り、高堂城→蓬ヶ洞→寺洞→オトシ砦へと下りつつ徘徊しました。
 最終のオトシ砦では、消耗の為か一時前後不覚に陥るほどの修行でした。
 独行では大変(断念か遭難も)なことになっていたかもしれません。月芳さん、ありがとうございました。

 高堂城は、上記城砦群のなかでは三木時代の改修を受けなかったようです。
 広瀬時代の飛騨の山城の姿を、ご覧ください。

                     高堂城登り口
イメージ 3ここ

林道、数百m車で入ることができますが、公民館に停めさせていただきました。

高堂城主郭まで、比高約250m。





イメージ 4土橋状にウキウキ

登り口から22分。

宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』(1・以下宮坂先生・記事中、郭・堀名、測値は同書に拠る)によると、東尾根馬止めまでは馬が登るとあり、しっかりとした道がつく。

イメージ 5抉ってあるようにみえる














イメージ 6大手尾根

側面に帯郭上の削平が付随する。












イメージ 7帯郭状の削平段

南西の付け根に北尾根からの連絡路が入る。高堂徘徊後、ここに戻ってきた。









イメージ 9東尾根石積を見上げつつ、馬止へ


















 
   東尾根

イメージ 8馬止め















イメージ 10奥(東)、意図段高く郭8














イメージ 11郭8東端

出入口造作か、片凹み。












イメージ 12切岸下に堀ア

6年前も感じたが、飛騨の城は、堀よりも切岸・壁による遮断が標準仕様のようだ。









イメージ 13馬蹄段が続く















イメージ 14郭9















イメージ 15堀長い先端が物見台














イメージ 16物見台
















                   馬止めに戻ります

イメージ 17馬止めの上方

馬蹄段、石積の造作がある。

上方、郭7、6を経て山頂主郭1。









イメージ 18石積は、大手の主要関門を示す造作であろうか

















   山頂主要部

イメージ 19山頂

説明板裏にQRコードの情報あり。












イメージ 43高堂城主郭1















イメージ 20東尾根からの入り

出入口造作はわからない。












イメージ 21大手筋東尾根への備え

郭6、その下方に郭7。

東尾根は先述。









イメージ 42飛騨の国

信濃とも美濃とも趣が異なる。












イメージ 26北下方

郭4、5を配す。

郭4は帯郭状に郭6と繋がる。











イメージ 28郭4から主郭















イメージ 27郭4北下方、郭5

防御は堀によらず、切岸による。


北尾根後述。










イメージ 22
主郭南西部















イメージ 23南西下方に郭2















イメージ 24郭2は西に腕のように伸び、下方に郭3を抱く

郭3から西尾根、南尾根が派生する。











イメージ 25西尾根

城郭造作はないようだ。















 
   南尾根
 
イメージ 29郭3から馬蹄段を経て、約200m先に郭10を中核とする一帯が備えている












イメージ 30高所が郭10

両脇に戦艦のように帯郭が付随する。












イメージ 31郭10
















イメージ 32木の抜け後か、平坦ではない















堀ア(月芳さん)イメージ 33

緩い…。
















   北尾根

イメージ 34郭5先端


郭5は、10mほどの切岸で聳え、城中、最も堅固に思えた。











イメージ 35下から郭5切岸















イメージ 37なかなかの威容である















イメージ 36下方、左右から交互に重なり合う段が、緻密な設定で造作されている












イメージ 38月芳さん、モーグルスキーのアスリートのよう














イメージ 39標高690mラインに大手尾根への連絡路あり













イメージ 40大手尾根への連絡路














イメージ 41675,670mラインの二段削平

要注意:このラインからは、現状では大手尾根への路を確認できない。












   まとめ

 高堂城には、三木氏が用いた城郭構造である畝型施設(阻塞・竪堀)や横堀は設けられていない。
 堀は緩く遮断機能は弱い。切岸による壁が防御の要であったようだ。
 三木氏の改修は施されず、広瀬時代の城の姿であろう。

参考文献
(1)宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版、pp.254-8

  
   おまけ
           高堂城とは趣が異なる蓬ヶ洞Ⅰ砦の畝状竪堀
イメージ 44

















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