えいきの修学旅行

練習としてアメーバブログに飛騨の久々野6/22、牛臥山6/26、切手7/1の3城を投稿します。

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返信: 427件

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[ えいき ]

2019/7/7(日) 午後 9:38

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らんまるさん、コメントありがとうございます。私にコメ下さるの、らんまるさんと黒鍬さんと月芳さんくらいなので、おねだりですが嬉しいです。アメーバは書き込めないのでしょうか。
苦手な縄張図を記事内に掲載しても、私の習性でクドクド書くので、縄張図あっても見難くなってしまいます。なので手元を参照いただきながらご覧いただいた方が効果的かと思いました。
木曽は谷中に引き込むこと自体が防衛構想なのかもしれないですね。久太郎さんのもブログ、丹波の光秀築城城郭の記事がったので、現在は美濃よりも丹波のリサーチに拝見しています。

[ らんまる ]

2019/7/7(日) 午後 7:58

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こんばんわ。「宮坂本のP536を参照してください」とはチョッと強引ですね・(汗)
小生の最近のお城仲間でも宮坂本を全巻所有している方は稀ですよ。
出典先を明記すれば縄張図の掲載も可能なので、ここは掲載しないとせっかくのえいきさんの的を得た力説がぼやけてしまうような気がします。お気に障ったらご容赦ください。
確かに木曽口の境の砦(烽火台)だと思われますが、美濃岩村城に秋山信友がいるので、それほど強化する必要も無く、木曽谷の繋ぎの狼煙台としての役割に終始していたように思います。
近くに妻籠城もあれば、木曽氏とすればこの程度で精一杯でしょう。
それでも、木曽谷の城館や砦はWEB上で公開される事が少ないので、えいきさんの今回の記事はとても助かります。なんせ谷が深く山は険しく、砦と砦の距離は遠いので日帰りで回れる数は限られてしまいます。
幸い、美濃には地元の久太郎さんが記事を詳しく掲載しているので有難いです。木曽や伊那谷の国人が美濃とどういう関りを持ち戦国時代に突入したのか興味は尽きません。
えいきさんも最近、飛騨・美濃を中心に探訪されているようなので、貴殿の視点でのご紹介を期待し

黒鍬

2019/5/5(日) 午後 1:24

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古城祭りに参加されるんですか、亀山城にはすでに古城祭りの幟旗が林立してました。
古宮城は徳川の城ですか、諏訪原城もそうですが最近は武田の城・北条の城と先入観んで推定されていた築城者が覆るケースが増えてますね。

[ えいき ]

2019/5/4(土) 午後 10:05

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黒鍬さん、こんばんわ。コメ、ありがとうございます。作手は戦国期城郭が群集しているため、麻痺してしまいますが、古宮のみならず、亀山、賽之神も一級の城です。
亀山は奥平の居城とされていますので、地元の人々にとっては重要なのでしょう。古宮は、武田の城ということになっていますので、ご指摘のように、よそ者の城です。もっとも私は、徳川の城として佛大の卒業論文を書いています。亀山も奥平氏累代の居城というのは違いますね。出土遺物の解析から、弘治年間まえには遡りません。永禄、元亀年間の出現を考えています。奥平の本城は賽之神城でしょう。
来週12日には道の駅と亀山城を中心に第41回作手古城まつりが開催されます。私も押しかけですがお手伝いさせていただきます。

[ えいき ]

2019/5/4(土) 午後 9:51

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コメント、ありがとうございます。北畠史跡は、気高さ(品位)と悲哀が漂っていますよね。
伊勢は、志摩スペイン村の記事も目にしましたし、ひそかなブームなのでしょうか。志摩の海や潟湖沿いのルートはツーリングやドライブに最高級のコースですよね。私もまた行きたくなっています。

黒鍬

2019/5/4(土) 午後 9:04

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遅いコメ失礼します。
GWを利用して この辺りを巡ってきました。
目的は続100名城に選定された古宮城でしたが、地元では断然亀山城みたいですね。古宮城はよそ者の城なんでしょうか。
亀山城はついでの感覚で立ち寄ったのですが、地元の素朴な山城という先入観をいい意味で裏切る縄張りに考えを改めさせられました。

[ shi***** ]

2019/5/4(土) 午後 6:49

令和の改元に伴い伊勢探検。赤木城から三瀬館から霧山城へを廻る。三瀬館の胴塚を見て?あれじゃあ首塚は何処?で三瀬館から三瀬砦を散策して飯高にあるそうで向かい、道の駅飯高で知り到着。
悲哀がビシビシ伝わる墓碑に胸が熱くなりました。

[ えいき ]

2019/3/11(月) 午後 10:53

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黒鍬さん、こんばんわ。武田末期の横堀ですから、鬼気迫るものがあります。丸子など、遠江駿河の横堀は、徳川武田双方の説があって定まりませんが、ここは徳川は使ってないようですから、武田の横堀、それも畝・障子造作ありですから、一見の価値はあると思います。
私は、どうしても深さと幅を自分で測りたかったので、初回は断念したのですが、意を決して再挑戦しました。執念深い奴です。
降り方は、ネットで公開すべきことではないので、行かれるようでしたら、メール下さい。トップページにアドレスあります。
私は黒鍬さんが書いていた浄福寺に行きたいです。

黒鍬

2019/3/10(日) 午後 11:20

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畝と横堀、苦労しても見る価値ありそうですね、時期的には真冬じゃないと厳しそうですね。
高天神城まで行った事はありますがここは知りませんでした。

[ えいき ]

2019/3/10(日) 午後 1:32

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ヤフーブログの閉鎖は、魂を刻むごとく取り組んできた私にとって、ショックは大きいです。うつを発症しかけました。
ただ私のブログを参考に城に行っている方は、ごく少数の奇特な方に限られると思いますので、世への影響は少ないと思います。

牧之島城について

私も、昨年までは現状のままに受け取っており、古図を変な描き方だな、と思っていました。今はブログに書いたように考えています。 その馬出(今無いほう)があったかどうかの真偽は、掘ってみないとわからないでしょうが、描いた人には、そう見えたのでしょう。
先週、ご近所の浦野城へ行きました。藪・倒木、どちらも想像以上の歓迎を受けました。岡城との近さに驚きました。

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