えいきの修学旅行

4時起きで作手へ。明けやらぬ灯りの少ない信濃の国を駆け抜ける。先月断念した木和田城ヶ根城に到達。御嶽海、頑張れ。

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連休って感じがする

 論文の対象として収集した文献のリスト作成が終わり、昨日から書き始めた。
 調子が悪かったお馬さん、充電してもダメで、没…。林道に入ることができるお馬さんで、信濃と越中の山は主にこれ。何度落馬したかもわからない。鎖骨折ったのもこのお馬さん。7年間、ありがとう。
 午後はウエイトして、論文書き続行。はじめにで原稿用紙13枚になってしまった。本体、入らないんじゃないか。
 明日は友達のリクエストで不動山城を案内。横堀にも北東斜面の竪堀にも連れて行ってあげる。
 覚悟しときな。

 イメージ 17年連れ添ったF650GS
於:毛無峠

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景勝期上杉番城の姿


 平成30年10月27日(土):雁金城保存会視察研修講演会:安塚区直嶺城・三和区米本陣
 
イメージ 1
直嶺城のご案内と「景勝期上杉番城の姿」と題してお話しをさせていただきました。











 文禄三年定納員数目録で上杉番城とされ、慶長二年越後国頸城郡絵図で直嶺の城と描かれた直嶺城と、郡絵図で古城として描かれた町田城、はたもちやまと描かれた旗持城の城郭構造を比較し、上杉番城の姿を彷彿していただくことを目的とした構成です。    
  薬局の従業員に「景勝期上杉番城」って、意味わかるか聞いてみたところ、わからなかったので 、Ⅰ-1の部分を付け加えてお話ししました。                 

   「景勝期上杉番城の姿」
.はじめに 
  1.景勝期上杉番城
    1)景勝期とは
    2)上杉番城とは
      (1).文禄三年定納員数目録
      (2).直嶺城の地理的検討
  2.慶長二年越後国頸城郡絵図に描かれた城 
 1)上杉番城直嶺城
     2)古城・町田城 
    3)旗持山  雁金城
.上記4城が有する城郭構造の比較検討 
    1.城郭構造に関する共有
       2.各城の全容、スケール
    3.細尾根の処理  切岸+小削平+堀切  →+箱掘
       4.郭(平場)、政庁区画の有無
       5.主城域 
             1)出入口構造 造作なし→堀込み・櫓台による監視→枡形→屈曲+枡形
             2) 箱掘+段差普請
       6.中・太尾根 二重(畝状)堀切・大堀切→大堀切+土塁→箱掘→土塁+箱掘
.まとめ
 
引用資料 
参考文献
 
  このような構成でお話ししました。 
  しかし、内容がマニア的すぎて、理解された方は少なかったようです…(反省)。


 さて、春ごろまで、となりのとなりの県の城館群に関する論文書きに取り組みます。
 しばらく重い内容での記事は書くことができないと思いますのでご了承下さい。


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直嶺城追加・北尾根

 
 記事が長野県だらけですが、私は越後人です。
            地元のお知らせです。

 平成30年10月27日(土) 雁金城保存会視察研修講演会

 直嶺城のご案内(14:00〜15:00直峰城駐車場起点)と、「景勝期上杉番城の姿」と題してお話しをさせていただくことになりました(16:30〜17:30米本陣)。

  保存会会員外の方も参加いただけますので、ご希望される方がおられましたら、ほたる調剤薬局・えいきtel025-539-2146まで、もしくはメールでeiki0779@joetsu.ne.jpにご連絡ください。
 
 ※米本陣 http://www.mypara.co.jp/  
   入館料が必要です。

 下見がてら直嶺城北尾根の写真を撮ってきましたので平成27年直嶺城記事に追加します。
 ※危険なため、当日北尾根のご案内は致しません。

 ※当面、講演用パワーポイント作成のため、また、その後もとなりのとなりの県の城館群に関する論考を論文としてまとめますので、3カ月程度は濃い内容でのブログ記事更新はお休みします。

イメージ 17松崎へ至る北尾根

細尾根だが、急壁と堀ア、イ、ウ(ブログ説明用にえいきが命名)、で防御している。
その堀の形状は箱掘である。







イメージ 8北尾根根元

堀ってあるが、壁が主防御構造で、堀用途というより北東尾根連絡路の受けであろう。

根元先の尾根小郭を頭上監視。






イメージ 2堀ア

堀底形状。














イメージ 1北東尾根との連絡路















イメージ 3根元堀アの先

尾根小郭。













イメージ 4振り返る

北尾根根元。

堀・壁上伝蔵跡の防御施設。











イメージ 5尾根先方向急降下















イメージ 6降下先尾根上約30m小郭














イメージ 7尾根先方向降下

一段経て堀イ。













イメージ 9堀イ

ここも箱掘と観たが、畝のような隆起もある。











イメージ 16尾根先方向から堀イ















イメージ 10堀イ先尾根上小郭















イメージ 11尾根先方向舳先

壁下に堀ウ。

堀ウまでが城域か。











イメージ 13急降下


この降下は危険。












イメージ 12堀ウ

小さいが箱底のようだ。

何時の時代か、遊歩道があったの…。









イメージ 14堀ウ先尾根上















イメージ 15鉄塔に至る

ウの先に堀構造は確認できなかった。













 細尾根だが、壁と堀切で執拗に防御している。
 その堀形状は、小さくても箱掘のようだ。

 平成27年記事 ★直嶺城1 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/17653428.html
          ★直嶺城2 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/17662136.html
             (少々直しました)
 

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 戸隠栃原城館群概要:https://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/19854984.html

      一連の戸隠城館群ラスト、鬼ヶ城(高城は未踏)を書きます
イメージ 1
















イメージ 36鬼ヶ城

宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』(以下宮坂2)によると紅葉紅葉の伝説地で、山麓の中峰から鬼無里へ至る古道に面しているそうだ。
郭番号は宮坂2に準拠、記事中測値も同書に拠る。





イメージ 2これまで書いた戸隠城館は独行だったが、この城は単独で挑むのは危険かつ困難なため、信濃先方衆らんまる・でいびす両将、相模からの横目?小太郎さんに助力頂いた。
らんまるさんのジムニー号で林道終点まで同乗(地図ポイントできず・らんまる攻城戦記参照ください)。



 

  この城は、構造の分析・評価などの御託よりも、我らの修行をお楽しみください。


イメージ 3林道終点から稜線まで攀じ登り、北から岩尾根を伝う














イメージ 4いきなり沢越えの試練
















イメージ 5そして攀じ登る

















イメージ 6あそこ(稜線)まで到達できれば、なんとかなりそうだ(写真4枚で済ませてますが、容易ではありません)











イメージ 7成功の兆し

















イメージ 8稜線到達

そう遠くない昔まで、稜線上は道であったようだ。












イメージ 9おっ、堀切か

















イメージ 10ふっ

















イメージ 11そうだ、目指す城はまだ登るのだ
















イメージ 12岩の上に平場あり

















イメージ 13平場

そしてここから城へ向かって岩尾根が始まる。













イメージ 14うぃ


右側に少々迂回。














イメージ 15もしや旭山城のような石垣か?

もう、そう見えてしまう自分が怖い。












イメージ 16往く

















イメージ 17今の平場

居住できるとすれば、少しでも風も凌ぐことができるここが最適か。











イメージ 18岩尾根を伝う

















イメージ 19現在地・方位を確認か
















イメージ 20修行再開

高所が郭4。















イメージ 21郭4

西(右)西に土塁…、がある。













イメージ 34北端

造作はしてあるようだ。













イメージ 35伝い登ってきた北の岩尾根
















イメージ 22郭3

















イメージ 231まで約48mある

















イメージ 24郭1北手前

石に聖地感。















イメージ 25郭1

15×8m。

石で造られた基壇と成り得る構築あり。











イメージ 26なにかを祀る基壇であろう

行者の祈りの場と得心。













イメージ 2710mほど緩く降り郭2
















イメージ 33郭2

















イメージ 28南東辺は土が盛る

土塁か?

防御施設などといったしろものではなく、落っこちないための構造か。









イメージ 29三角点















イメージ 30下方

中峰に至る(宮坂2)。













イメージ 37上方

先の大築城とは様相が異。
侍の城ではないであろう。










イメージ 31郭1の基壇


やはり行者の遥拝、祈りの場を想う。












イメージ 32天地、山川草木、宇宙と一体になった行者様に、会ってみたい

夕景、夜空、夜明け、どれほど美しい(晴天に限る)だろうか。
一夜、ここで明かしてみたいものだ。








参考文献 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版、pp.370-1


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大築城(長野県戸隠)

 

                      大築城
イメージ 1福平城の詰め城とされ、北西約1.3km、標高1199m、比高230m(荒倉キャンプ場から)の山上にある。












イメージ 2ズーム

比高200m超の高く狭い山上だが、しっかりと手が加えられた堅固な砦である。
郭・堀名は宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版(以下宮坂2)に準拠し、おおよその位置に書き込んだ。




              大築城概念図
イメージ 3宮坂2を参考に、郭・堀名を同書に準拠し、ブログ説明用に地理院地図に作図。 記事中測値も同書に拠る


ごちゃごちゃ書かず、写真でいきましょう。














イメージ 5郭2から主郭1

ごちゃごちゃ書くまい。














イメージ 6郭2から堀イ、主郭への導線
















イメージ 7イ西掘り下げ

この付近2内に石の集積有り。投石用か。












イメージ 8石の集積

















イメージ 9イを縫い

















イメージ 10
1へ入るが

この縫うイ導線は主郭郭内大岩上が強固な櫓台状に監視している。











イメージ 11主郭南東隅

大岩群が頑強に侵入を拒み、かつ強固に監視する。













イメージ 12堀イは南東に約40m掘り下げられている















イメージ 13主郭出入口

岩塁が出入り口脇を固めている。














イメージ 14
うい

主郭内。

北東隅大岩高所がこの出入口を監視している。










イメージ 15
北東隅高所

この砦の構築者は只ならぬ侍であろう。













イメージ 16高所から出入口を俯瞰
















イメージ 17南東尾根

岩塁線・出入口・堀イ・郭2。














イメージ 18東塁線

岩塁下急傾斜。
















イメージ 19西側

急傾斜面には備えは不要だが、南西尾根筋には帯郭状の小郭(石の集積有)、土塁を付けた小郭が置かれ、備えている。








イメージ 21南西尾根筋

投石で迎え撃つか。














イメージ 20主郭西急傾斜面

















イメージ 22北西隅大岩をくくる堀込み

上は北尾根筋で堀ウが遮断する。













イメージ 24北側

堀ウ。

北尾根はウ、エ、二重に堀切っている。















   北尾根

イメージ 25堀ウ、エの二重堀切間に小堡塁を置く。堡塁北北東下に一本竪堀を設け回り込みを阻止している。












イメージ 26堀ウ

















イメージ 27堡塁から堀エ

















イメージ 28竪堀

















イメージ 23エの下の岩下方、鞍部からの北は岩山で、宮坂先生でさえ「侵入はできない」としている。












イメージ 29北方岩山



















   
   南東尾根と登り口

イメージ 30もう一度主郭南東隅岩上から南東尾根(再掲)















イメージ 31郭2は土塁が囲う


南東に天水溜のような窪みがある。













イメージ 32南東の窪み

宮坂先生は「天水溜であろうか」としているが、天水溜であろう。












イメージ 33傾斜下方約25mに堀ア
アの前後は段となっている。
アは東(左)に約15m、西(右)に約23m掘り下げ、回り込み妨害している。

また東には畝状に三本、竪堀様な地形がある。宮坂先生は「自然のものであろう」としているが、私は人の手に拠る構築に思えた。

イメージ 34アの東堀下げに一条合流
















イメージ 36
私には人の手に拠る畝状空堀群に観える















イメージ 4堀ア

















イメージ 35西掘下げ

















イメージ 37堀ア前段から主郭方向


まとめ(感想) 

大築城は、険しい山と岩の天険地だが、堀切、土塁などの城普請に手抜かりが無い。山、岩を巧妙に活かしつつ、堅固かつ美しくも仕上げられた名砦である。築城者は、たんなる山中の土豪ではあるまい。禅(臨済禅風の庭造形美を想った)などの修養を積んだ、一廉の侍であろう。

   ここへ来てみたいと思った人は、


イメージ 38荒倉山キャンプ場から林道(舗装)をさらに入り、このミラーの裏あたりから登る










イメージ 39書くまでもないとも思うが、このようにきつい

とちゅう山道に遭遇するが、大築城への道ではない。登る、登る、修行である。稜線に出たら右にまた登る。それが大築城域南東尾根。
私の足でミラーから堀アまで28分。
登りは登るだけなので迷わないが、下りは南東尾根を降ると途絶したり、ミラーの位置に降り着けなくなる。自分が南東尾根にでた地点に目印をしておいたほうが無難である。

イメージ 40途絶する南東尾根















イメージ 41表札?

高城の下見時、聞き取りではクーさんの居住は既定事項であった。










イメージ 42大築城は、まんなかの山です
















参考文献 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版、pp.394-5

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