えいきの修学旅行

練習としてアメーバブログに飛騨の久々野6/22、牛臥山6/26、切手7/1の3城を投稿します。

日記

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11月に4度目の挑戦で踏み込むことができた北信飯山の小境城

イメージ 1とある事情で踏査中断、下山をよぎなくされましたが、その凄まじき堀切に度肝を抜かれ、来る日も来る日も再訪を企んでいました。
ようやく叶い、氷点下の富倉峠を越えて麓に寄せましたが、すでに白い雪が舞い降りていました。






イメージ 3ズーム






無理とはわかっていても







イメージ 2弥勒寺まで寄せて














イメージ 46歩踏み込む

新雪のため容赦なく膝上まで埋まる。

機は去ったことを悟る…。









    11月の度肝を抜かれた遺構の写真をダイジェストで
    堀・地点名・測地は宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版に準拠します。

イメージ 15西斜面に長大に降る竪堀














イメージ 16新説

なかの竪堀には、石で段差を構築している。その上にも段差があり、間を枡形として迎撃スポットとして機能させていたと考える。








イメージ 17恐るべし長大な竪堀















イメージ 20上方郭は郭2と郭1だけ

郭2












イメージ 18郭2南西に石組による段差で区別された区画がある。石は強固で、すべってお尻を打った私は悶絶した。
今も痛い。










イメージ 19主郭

後方に土塁、というか土盛。

上方郭はこれだけ。


しかし、






イメージ 21主郭土盛り後背堀オは、凄!

えっ、て度肝を抜かれました。
誰が攻めてくるというのか。









イメージ 22驚くなかれ、五重堀切である。

しかも、先の西斜面の竪堀に接続し、約245mにも長大に降るものもある









イメージ 36西は竪堀として西斜面に長大に降る













イメージ 23掘カとキ














イメージ 25高所堡塁(架橋部と考える)にあがり、



振り返る









イメージ 24うぃ














イメージ 37大きく


















イメージ 38
高所堡塁(架橋部)の後背は、堀ク
開いた口がふさがらない。

あの郭2、1に、この堀切…
度肝が抜かれ、私の度肝は放逸してしまいました。




イメージ 26掘クは居住区画あるいは郭としても機能し得る。
天水溜(井戸か)が備わる。













イメージ 27後背さらに高く土橋が伸びて、もう一本堀ケがある。その堀ケも西斜面に竪堀として下り、200mを超える長さである。










イメージ 28竪堀として西斜面に降り下りてくる堀ケ

この下方で堀オと接続する。











先にも書いたが、私は、よんどころない事情で途中下山をよぎなくされた。
よって、全山踏み歩いていない。踏む込める機会は、もしかしたら雪が降らず暖かい日が続き雪が消えるというチャンスもあるかもしれないが、来年3月末から4月あたりまで訪れないであろう。
放逸してしまった私の度肝を取り戻すため、小境城をダイジェストででもお送りせずにはいられなかった。




で、小境城は雪に舞われてあきらめはしたが、これでは帰れないと千曲川沿いに積雪を見ながら遡る。

イメージ 5小田草も駄目














イメージ 6今井北城は可


武田の勢力圏は雪深い線は越えない
信玄は「雪の下は謙信に呉れてやれ」くらいで思っていたかもしれない。







イメージ 7道光寺から今井北城へ突入

ここも信濃の城を書けるのが随分先になりそうなので、ダイジェストします。









イメージ 8掘イ

レンズに結露が。
氷点下だもの…。











イメージ 9郭6の井戸














イメージ 10掘ア














イメージ 11この堀ア、城外側に土塁を備え、下方に約80m長大に降る












イメージ 12それがどういうことか、下まで行って見てきました。

いずれ本編で。














イメージ 13内堀館














イメージ 14水堀は、結露…


すみません。













替佐の北西堀切の撮影もトライしましたが、一眼レフのレンズが結露で、スマホで撮影。

イメージ 33搦手にあたる堀カ












イメージ 31堀エ

鋭すぎて渡れません。










イメージ 32掘エとウの間の土塁というか畝











イメージ 30掘エと直行する横セ(横堀というより竪堀)











イメージ 29掘エと直行する横堀ソ












イメージ 34郭2から堀ク越しに郭1

三折れの主郭導線。










イメージ 35主郭から郭2・3方向













 信濃にそれました。
 
 名倉奥平領内の清水城は、14日公開です。


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平成28年上半期

 早いもので、今年も半分が過ぎようとしています。
 今年は、昨年に突っ込んでしまった奥三河作手と、甲山城で嵌った能登の修学を深めようと、三河・遠江・東濃と能登に狙いを定め、両方面に3度の遠征を繰り返しました。
 作手古宮城は武田の城ではないということと、賽之神城の解釈を固めようと、武田・徳川・織田の境目の城を山中深く彷徨い探し歩き、私の推論は正しいと、より強く思うに至っています。
 いつ書けるかわからないので書いてしまうと、古宮城は囲い込み構造と諏訪原城の発掘研究成果による構造の比較から、武田の構築ではなく徳川の構築であり、賽ノ神城は名倉奥平氏の寺脇城、日近奥平氏の日近城との比較検討から、作手奥平氏の本城であろうということです。
 作手奥平氏塁代の居城とされる亀山城も、構造は戦国後期の様相であり、永禄以前からの本城でないと考えています。昨年、「作手へ」から書いた内容を一部修正しつつ、パワーアップして私の考えを記事にしていきたいと考えています。これは能登が終わってから。

 能登は昨年高岡論文を基に「唐人式部を追って」から天正の上杉新城甲山城を書きました。
 甲山城は幸運にも岡本伊佐夫さんから甲山城縄張図を提供いただき、私なりの天正上杉新城としての構造を読み解き、甲山城が天正期上杉城郭の折れ歪構造の嚆矢ではいか、それを導入したのは唐人ではないか、と提起しました。越中における天正期上杉の折れ歪構造をもつ防御ラインを構える城である富崎城・大道城・横尾城は唐人に関係のある城です。唐人とは別系統の上杉進駐軍が築いた氷見中村山城には、折れ歪構造はみられません。では能登の他の上杉城郭はどうか。それを七尾城周辺・甲山城周辺・珠洲と藪深くに己の目で見て来ました。
 
  山だけでなく愛知県・滋賀県・石川県の博物館・資料館・図書館での修学にも時間を割きました。
 ある博物館で、女性の職員の方に二階の資料室へご案内いただい時「そういった御研究をご職業とされているんですか」と問われ、「いえ、職業は薬剤師なんです」と答えたら、階段の途上で、つんのめっておられました。
 お怪我されないでよかったです。
 その筋の方々と城や歴史の話をしていて、職業が薬剤師と言う機会があると、たいていの方は噴出すことが多いです。
 それが、階段でつんのめるという次元にまで引き上がったことに、私のレベルアップを感じています
 
 夏場は山も入りにくいので、7・8月は能登の記事作成に没頭しようと思っています。
 
 登り口確認のツーリングはいってもいいか。

学芸員資格過程修了書


イメージ 1

愛知県三河から帰還したら、届いていました。
届いていて、薬剤師業務をしました。身の上が複雑です。

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離れ業

 
今年は雪解けが一か月早く、飯山も既に雪解けて、一気に藪化とクーさんのお目覚めが心配される。今春の雪解け期、昨年二度撃退された岩井城を虎視眈々と狙うつもりが、一気にシーズンオフが懸念され、薬局業務終了後、夜に飯山へ急行、飯山泊、早朝に岩井に挑んで、薬局に出勤するという離れ業を実行した。

 イメージ 1朝6時台の飯山は氷点下だったが、心配していたとおり、岩井城も既に雪は無い。











イメージ 2昨年12月同様、南の鞍部から岩井城に接近を図る。

笹藪が雪の下、を狙っていたが、断念した12月と変わらない様相。









イメージ 3堀ウ
ここは12月もカメラに収めた。

問題は、この上の郭2。










イメージ 4郭2
うっ、駄目か…。

いや大丈夫です。笹藪は覚悟の上。入念に宮坂図を読み込み、土塁上と堀底のルートを検討、行けそうなコースを一冬考えての挑戦です。






イメージ 5堀イとウの接続部














イメージ 6その頭上、郭2の虎口














イメージ 7堀ウを東回りで通過し、ウと、郭2と郭1の間の堀エ、竪堀キの接合部に至る。












イメージ 8さらに東回りで郭1と郭3間の堀オを通路と観、













イメージ 9郭3と郭Ⅰを接続する土橋へと至る













イメージ 10土橋から岩井城主郭へ至る。

いやいや、主郭到達だけではない。
えいきの心を掴む遺構の数々を、堪能・撮影してきました。







イメージ 11堀カ南西端の畝状竪堀














イメージ 12馬出を二つ重ねた二重堀切カ・ウによる防御ライン













イメージ 13堀ク














イメージ 14弧状に囲うような横堀ケ














イメージ 15横堀ケは竪堀に変化する














イメージ 16こんな竪堀に化ける














イメージ 17そしてその横堀から変化した竪堀ケには、もう一本竪堀が沿い降る。




今回は、さわりのため、この辺まで。






イメージ 18さいごにここ

飯山城に対する位置にある郭。











イメージ 19飯山城に対する面に石遺構の痕跡。宮坂本他、遠藤論文にもここの記述は無い。











イメージ 20石垣構造を構築し、飯山城へ示威を示したのではないだろうか。





本編、お楽しみに。

                            山口城
イメージ 1

 山口城は、わたしの記事中でもアクセスが多く、また様々なリクエストも頂いています。
 そこで前記事作成の平成24年時には到達できなかった北東尾根の郭4・中腹の二重塁線、北西尾根の四重堀切の写真を追加し、私の学力向上も併せてリニューアルいたします。

 3月27日に空手大会を開催するため、山口本城の公開は4月になりますが、山口小城・別名家老城は、平成24年記事をベースに再編集しました。
 山口城は改めて作成しますが、
 それまで山口小城・別名家老城をお楽しみください。



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