えいきの修学旅行

今年3回ほど遭難しかけたのでガーミン購入。

日記

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遠江修学旅行記


 記事掲載はいつになるかわからないので、ホットなうちに遠江修学旅行、ダイジェストで記しておきます。

 3日目は掛川駅でレンタカーを借りて、小笠山砦、八幡平の城、横須賀城をみる。社山城も予定していたが、小笠山で時間取りすぎたので今回はパス。近々また来るさ。
 午後、掛川から岡崎に移動。浜名湖すぎて、山のむこうに作手を想う。岡崎では、まず岡崎城の三河武士のやかた家康館と、天守閣の展示を見学。なかなかいい展示なのだが、長篠後から小牧長久手までの間の作手がどうだったのか、という私の求める事柄に関する展示は無かった。ついで岡崎の図書館で文献の収集。これはガンダーラな気分で到達。なかなか疲労気味だったが、意欲振り絞り五か国検地に関する研究書と、愛城研報告の作手・三河周辺をコピー。2030ようやく岡崎のホテルに入る。
 4日目、朝、岡崎城の昨日まわれなかったエリアを散策して、名古屋へ移動し、柄にもなく名鉄百貨店、高島屋でショッピング。といっても目当ての品(ソフトアタッシュケース)は気に入ったのが無くて、なにも購入せず。じつは気にいったのがお正月に見た富山の大和にあった…。名古屋ならもっといろいろあるだろうと思って名古屋で見て買おうと来たが、けっきょく富山に買いに行くことになりそうだ。
 1200特急しなので尾張―美濃―信濃の国を駆け抜けて長野へ。その間、きのう収集した資料を読むが、振り子伝電車、揺れるんです。酔ってしまった。信濃の国に気を許してはいけない。休み休み精読。五か国検地の研究書には、天正期徳川領国の農村支配に関する記述があるが、軍事的視点からの領国管理に関する記述は無かった。愛城研報告畫では、狙い通り三河の石積のある城郭と奥平の関わる城館の論文があり、三河再遠征の有益な資料になる。あとは自分の目で確かめるだけ。
 長野で北陸新幹線乗り換え。ここからは北信の山(特に飯山)の積雪を観察。岩井城、行けるんじゃないか。1544上越妙高に帰還。こっちは雪。駿河・遠江の暖かいこと。16時過ぎに薬局にはいり、二日休んだので業務報告うけて、その整理。その後19002045まで頸城で空手。2130帰還。無理が効かない年齢になりつつあることを自覚しなければならない。
 
 NHK趣味どきで古宮城。
 千田先生の解説を聞いても、古宮城は武田の城ではないという私の信念は揺るがない。むしろ怪訝な想いで番組を見た。信長の城における千田先生の論考は強い感銘を受けたが、古宮城ならびに先日の歴史秘話での真田丸新説は、違うと思う。

 私の古宮城記事
              小笠山砦
イメージ 1














イメージ 2
横堀














イメージ 3砦とはいうが、陣所は、しっかり堀・土塁で守られる。












イメージ 4家康の本陣でもあったようで、家康在陣の威厳、というか厳しさが漂う。












イメージ 5二重堀切














イメージ 6にょー

普通の人は、尾根または稜線とみるだろうが、土橋に見える私がイタイ。










イメージ 7渡ろうとして

「えいき、おまえは薬剤師なんだよ」
という母の声が聞こえ、思い直す。

遠江で死んではいけない。
ちょい右下を通過。

おっと今はダイジェスト。



イメージ 8八幡平の城

武田の横堀













イメージ 9尾根の堀切もけっこういい













イメージ 10二重が基本か


おっとダイジェスト。












イメージ 11横須賀城
















イメージ 12うりは石垣造りの近世城郭だろうが、














イメージ 13私はこっち

松尾山北東の空堀

徳川の空堀












イメージ 14岡崎は、城よりも文献の収集

図書館で稼ぐ。













イメージ 15帰りは名古屋から特急しなの

しなのに乗るのは24年前の国家試験の帰り以来じゃないか。

揺れるの忘れてた。







イメージ 16信濃の国

遠江・三河の温暖なこと。


古宮城は確信となったので、私にとってはそれ以上に賽之神城に興味がある。賽之神城の築城者に迫ることができたら、古宮城の裏付けも確固となるであろう。そのために狙いをつけた三河・遠江の城、早く行きたいのだが、どうしても信濃の国を通らなければならない。もうしばらくはお預けか。

取り急ぎ、ダイジェストまで。

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 昨年来、僭越にもかの古宮城を武田の城ではないのではないかと、このブログで述べた。そのことを裏付け、もしくは否定しようと、遠江に修学旅行に来ている。
 年末に長野県のディーラーから車を購入したので、その信濃の国由来の車で来たかったのだが、車で信濃の国を越えるのは危険と判断。新幹線で昨夜のうちに静岡まで来て、静岡駅前に泊。
 朝、バスで吉田町に移動し、小山城の丸馬出と三重三日月堀を観察。やはり古宮城とは似て非なるものと感じる。馬念さんに迎えに来て貰って諏訪原城へ。
 この諏訪原城も武田の典型的な城ということになっていだが、発掘の成果と家忠日記の記述から、武田の遺構ではなく、徳川による遺構ということが分かってきた。その目で丸馬出と外郭ラインの防御施設を観察。思いがけづず発掘中の薬研堀を見せていただくこともでき、またブルーシートお手伝いまでさせていただいた。午後は島田市主催の中均先生による諏訪原城講演会「丸馬出を持つ城ー諏訪原城を中心にー」を拝聴。今日は掛川泊のため金谷から掛川までJRで移動。車中、かみさまが私に誕生日プレゼントを差し遣わす。ふって湧いた幸運に、恐れ多くも釈迦に説法。
 
イメージ 1小山城、丸馬出














イメージ 2三重三日月堀














イメージ 3諏訪原城

馬念さん、いつもありがとうございます。明日公開の富崎城にも出演頂きます。










イメージ 4幸運にも発掘中の薬研堀を観察・撮影することを許された。












イメージ 5深さ8mの薬研堀














イメージ 6この土橋は武田時代か














イメージ 7このあたりも武田と考える














イメージ 8武田ラインは、内郭ラインの内と南の丸馬出ようだ。














イメージ 15本郭の両袖枡形虎口
本郭の表土約40cm下層に焼土層があり、本曲輪を囲む囲郭土塁は、焼土より上層に構築されている。この両袖枡形虎口は囲郭土塁上に構築されている。また現状のこの両袖桝形虎口ー土橋でつながる二の曲輪は、焼土層は確認されず遺構面は一面である。二の曲輪は、武田時代は城域ではなく、この両袖枡形虎口ー土橋−二の曲輪は、徳川時代の構築である可能性がある。

イメージ 9徳川の構築による外郭ライン













イメージ 10その外郭を入口を守る徳川の丸馬出













イメージ 11そしてその側面虎口土橋(土橋に堀切有)先に、古宮城と同系の180度ターンを観た。












イメージ 12ここ














イメージ 13180度ターン














イメージ 14諏訪原城の徳川丸馬出、私への誕生日ケーキのようです!
ローソク(切株)46本あったりして…。











 遠江修学旅行、私の狙いが良かったのと幸運にも恵まれ、収穫有りすぎ。
 3日の予定で遠江の天正期の徳川と武田の城をいくつか周り、岡崎の図書館で文献を収集し帰る予定。
 
 古宮城は武田の城ではないのではないか、という考えは、確信に変わってきた。

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年末のご挨拶

 2015年、濃密に一年を過ごすことができました。2年前から始めた博物館学芸員課程の単位を取得しながら、かつ、遠征は三重・愛知は計四回、他に宇都宮、茨城、山形に出かけ、近隣では飯山、能登(陸路近くない)、越中、北信には数知れず出撃。特に北信は季節のタイミングを図りながら、絶妙のタイミングで藪的難城の数々を踏査(徘徊)・撮影できました。
 学芸員課程の試験も実習もなかなか大変でしたが、修了に必要な17課目40単位を11月には全て取得しました。
 
 そんな中でも、須田の大岩城や月生城、越後に迫る迫る武田の脅威と題して謙信の領国を防衛する鬼気迫る城坂城・中条城、頸城随一ともいえる雁海城、高梨周辺の鴨ヶ岳・鎌ヶ岳・夜交氏山城、伊達の遺構とされていたが関ヶ原後の景勝の改修と判明した米沢舘山城、視点を変え視野を広げるための修学として武田の城・北信平沢城、その対極にある作手古宮城へと、えいきの修学旅行の記事も随分粋な志向内容で書くことができたと自負しています(あくまで自己満足ですが)。
 
 その過程では、遺構のみならず、あたかも空手の武者修行が如く研究者をも訪ねました。記事となる時に教授内容とお礼を書かせていただきますが、みなさん、私のような馬の骨に、とても親切に教授くださいました。
 また数年来、指南・引導をいただいている馬念さんに連れていかれた摩頂山南砦、らんまるさん、ていびすさんに連れていかれた夜交氏山城・沼ノ入城は、格別な山城でした。この場を借りて御礼申し上げます。
 
 そういえば昨年骨折した部位の抜釘手術を8月に受けましたが、先週、鮫ヶ尾城ではオラウータンのように木に掴まりながら崖や堀を降り昇ることができました。ずいぶん回復しています。
 このようにとても濃密に過ごした一年でしたが、年の瀬も古宮城書きつつ濃密に迎え、新年は駿河・遠江・三河に向かうことが多くなりそうな胸騒ぎとともに歳を越します。

 新しく迎える年が、皆様にとって幸せな一年となりますようお祈りいたします。

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北信汝を玉にす

 
 今年の記事、長野県ばかりになっているのと上杉視点での思考のみに陥ってしまわないように、長野県以外や武田の城を書こうと考えています。
 しかし、北信は今が旬で、苦難もありましたがいい城の写真を撮ることができました。
 取り急ぎ簡単に写真を紹介しておきます。

 藪が猛る飯山の山城に踏み込むには、今が絶好のチャンス。
 しかし、もたもたしていると一気に豪雪に埋まってしまうので、絶好の期間はほんの10日間くらいではないだろうか。春、残雪残るタイミングもいいが、堀底を見るには今この時。
 
 気温1℃の富倉峠を愛馬で越え、飯山へ出る。まず数年前に藪で踏み込めなかった山口城の北東山腹の二重横堀と北西の四重堀切を目指す。二重横堀目指して急崖をよじ登ったら猛藪の郭4に至ってしまい、藪の猛斜面を降り直す。いきなり、往生気味だが、巡り会えました。

イメージ 37山口城

それにしてもこの信濃の国の青空の美しいこと。











イメージ 1二重横堀線を目指し、ここを登りました。














イメージ 2途中降りることも叶わず、比高110m急登することになり、藪猛り狂う郭4下の帯郭に至る…。いきなり往生気味。

枯れてなどいないのか、枯れてこうなのか…。








イメージ 3ここを斜めに降り直す…。
















イメージ 4巡り会えましたよ、横堀
上段の横堀。














イメージ 5
下段の横堀
















イメージ 8
郭1虎口と、帯郭から郭2にあがる地点を監視するポイントと観た切口。

以前、踏み込めなかったところだけのつもりが、ついつい撮りまくり。









イメージ 6北西の四重堀切も















イメージ 7
幅広の横箱堀線とは異なる鋭さがいい。





山口城、リニューアルしなければ。










イメージ 9岩井城

千曲川の対岸には越後方の飯山城。

橋は綱切橋。
(この写真は帰路に撮りました)








イメージ 10
南の鞍部から目指す

笹の予感…。













イメージ 11ビバ、笹ワールド!

今この時期でこうでは、突入できる季節なんてないんじゃないか。
スマホ最大音量、ボヘミアン鳴らし突入。









イメージ 12
この上に郭2の塁線があるはず














イメージ 13郭2南横堀
















イメージ 14なんとか頑張って郭2まで至りました。

しかしこの笹藪、なんかいそうな予感。

動物によっては、間近にくるまで潜みじっとしているのもいるんです。堪え切れなくなって、猛ダッシュで飛び出すか、猛ダッシュで逃げていくか。

三歩程踏み込んだら、突然足元1m以内の笹の下から猛ダッシュで走り去る動物が。 度肝を抜かれ、郭2突入は断念。

イメージ 38側面から回り込みを図りましたが、郭1を目前に断念、退却。


雪のある時にかんじき履いてくるか。













イメージ 15岩井の後はターゲットの内、もっとも標高が高い北条城を目指す。

田草は5月にクーさんにお会いしたので、気が進まず。

北条城、どれかって






イメージ 16これです。














イメージ 17戸狩のスキー城内で、林道が通っているので比高60m下まで行けます。
もうじき雪の中でしょうが。











イメージ 18山頂(郭1)までトレッキングコースになっていて、北西尾根の七重の堀切を乗り越え山頂へ至ります。











イメージ 19北条城山頂・郭1

信濃の国の空に近づくことができました。











イメージ 20古墳なんでしょうか、巨石があります。













イメージ 21畝状空堀もありらしい郭2は藪で踏み込まず。

らんまるさん・ていびすさんは突入し、宮坂図の堀切㋓は郭2の両サイドのみで貫通していないこと、堀切㋒は岩盤を刳り貫いた狭い堀切であることを確認したそうです。恐れ入るばかりです。

彼方は栄村方向。

               
イメージ 22眼下に戸狩














イメージ 23飯山方向

今年の信濃の国の見納めか。





ラストは、山登りしないでよさそうな上境城へ。






イメージ 24千曲川断崖上の上境城














イメージ 25帰りの信越国境、富倉峠か関田峠か平丸峠のどこを越えて帰るかビビりながら(凍結・積雪の心配)思案しつつの立ち寄りでしたが、ヒットでした。









イメージ 26二重の横堀線
ここまで林道有。













イメージ 27逆光ですが、一重目














イメージ 28二重目














イメージ 29端 千曲川まで落ちていきそう













イメージ 30中央に虎口

そして奥、張出しているのがわかりますか。 この城、技が凝ってます。
城坂城よりも新しい技術が見られる。








イメージ 31虎口














イメージ 32この虎口、桝形二折れで食い違ってます。上杉の虎口で二折れは最上級。というかめったにない。いやないんじゃないか(おもいつきで書いてます)。









イメージ 33城内から

武田時代の改修か、いや武田の風にも見えない。











イメージ 35郭2

この城も藪で観察できる時期は短いのではないだろうか。










イメージ 36途中枯葉で隠された穴にズボっと足を捕られる。

落とし穴か、と思ったが、すぐに動物のお家だと気づく。ごめんなさいっていうか、でてこないでね。








イメージ 34郭8の虎口も凝ってます。

いずれ記事で。


帰り、関田・平丸は積雪の可能性もあり、富倉峠を越えて無事帰還できまました。







北信の城は、苦難と魅惑がセットになって、私を磨き、玉にしてくれます。

記事作成、ずいぶん先になりそうなので、取り急ぎ冬迫る北信のレポートでした。

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次のステージ

午前中、長野市で美術史の試験。通しでしょう。
たしか最初の試験も長野市だった。ブログ記事、長野県だらけ…。
これで2年前から取り組んできた博物館学芸員の課程の単位・17科目40単位を全て取得したことになる(合格していればだが)。なかなか大変だったが、やり甲斐もあった。明日からは買いだめていた図録や本を読める。雪が降る前に飯山の山城へも行かなければ。時間との戦いだが、山口城の未踏エリア、岩井城、田草城、蓮城、小境城、上境城、北条城をピックアップ。帰り信越境凍結するとまずいので、どこまでまわれるか。
クーさん、眠っていてくださいね。

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