えいきの修学旅行

竹さんの『戦国の城の一生』、予約していたAmazonの他からも届く。二冊も手に入るぜ。

群馬県

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10/31長井坂城その1(群馬県昭和村永井、渋川市赤城町棚下)http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/11707580.html
10/24中山城(群馬県高山村中山)http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/11634636.html
平成23年9/9根利道http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/11157784.html
11/7  関東管領の府 平井城を訪ねて その4 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/5664849.html
10/31鷹留城 その3 Ⅳ郭、搦手、菩提寺長年寺 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/5414701.html
10/30鷹留城 その2 主郭、Ⅱ郭、Ⅲ郭  http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/5406080.html
10/29鷹留城 その1 主郭まで http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/5374584.html
9/30  関東管領の府 平井城を訪ねて その3   http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/4466863.html
9/30  関東管領の府 平井城を訪ねて その2 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/4466129.html
平成22年9/18  関東管領の府 平井城を訪ねて その1  http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/4037234.html

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 粟沢の憲政潜伏伝承の山の尾根に立った時、居住には適さないなあ、と、腑に落ちない感が胸にわだかまっていました。
尾根を東に降りて行くと、途中で引き返した沢つたいに登るラインがぶつかる。その辺りが怪しい!と、もう一度(3回目)行ってきました。
 尾根つたいに150mほど東に降りると、なだらかになり、
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東西30m南北10m程の平地がありました。
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2mほどさがって平地があり、
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自然地形かもしれませんが。
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これも自然地形なのでしょうが、なにやら意味ありげな岩。
 
 沢も近く、この辺りなら居住が可能なのでは、と思いました。樹がなければ藤原方面(東)、幸知方面(南西)、清水峠方面(北)が見渡せます。
 ここかなぁ。
 
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山麓のなにやら建っていたような土地。
 
憲政は平井城退去に際し、男子達を個々に落ちさせた。嫡子龍若丸は家臣と共に上野に潜伏。家臣の裏切りにあい北条に差し出されて切られてしまう。(諸説有)
鶴若丸は乳母とともに多比良方面に落ちる途中、追手が迫り、橋の下に身を隠したが、橋の上から槍で突かれ、乳母共々落命。
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その辺りに立つ上杉乳母神社
 
そして竹松丸。矢島勇編纂平井城の主要歴史概説によると、乳母とともに乳母の実家藤岡に潜伏。後、憲政から長尾景虎へあてた依頼状、系図を桐の箱に入れ越後へ。が、道に迷い放浪。
(いとしろ)(岐阜県白鳥町)の白山中居神社社家月置兵衛という世話った。白山行者のアシストでもあったのかと考えが、関連は無さそうです。後、養子となり元服名乗月置家神職。三代後、上杉に復姓。現当主上杉正躬氏(昭和63時点)に伝わる。
 
ということで、   まで
その5へつづく…。

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21.北東の土塁(左)と主郭(右)
 郭というよりも土塁壁といった感じでした。越後や信濃では見た記憶がありません。箕輪城に似た様な堀底を迷路のようにするやや複雑な形の土塁の壁があったと思います。
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22.その土塁上を南東から。北西に祠があります。
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23.土塁上から堀切を隔てた北東のⅣ郭を見る。
 その先が搦手。
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24.Ⅳ郭の下、搦手への土橋
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25.搦手から24の土橋越しにⅣ郭を見る。
 土橋上をⅣ郭から狙われ、渡ったら頭上攻撃を受けながら回り込まなければならない。
 
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城域を出たあたりから望む、榛名下室田方面の山里の風景。
 箕輪落城とともに19歳で自刃した長野業盛の辞世「春風に梅も桜も散り果てて 名のみぞ残る箕輪の山里」を思い浮かべました。
 
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山麓にある長野氏菩提寺長年寺
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長野氏塁代のお墓。
中央が初代鷹留城主業尚公。右から二つ目が業政公 一清長純居士。
箕輪城で自刃した業盛公のお墓は高崎にあるそうです。
 

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12.鷹留城主郭(Ⅰ郭)
 
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13. 大手方面から主郭へ入る道
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14.主郭内から見る。
 ちょうど二本の木が、木戸というか門に見える。
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15.主郭の南、Ⅱ郭から主郭を見る。
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16.Ⅱ郭から北のⅢ郭を見る。
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17.Ⅱ郭とⅢ郭の東下の竪掘
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18.Ⅲ郭西側の竪掘 
 ブルーシートの右は林道からの大手入口
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19.南から見たⅢ郭
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20.Ⅲ郭南東の竪掘上部を塞ぐような石垣
 
Ⅲ郭と周囲の放射状の竪掘群は、武田占領後の普請のようです。
 
その3 Ⅳ郭、搦手方面、菩提寺長年寺へつづく

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 長野参河入道(長野業政の弟、業氏)随ふ之者八十余人討捕候。
永禄九年箕輪城落城に先立つ死闘の舞台(高崎市旧榛名町下室田)。
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 箕輪城の西5kmに位置する、箕輪城の支城。菩提寺長年寺が城下にあり、箕輪築城前の長野氏の本拠地に思えた。イメージ 6
 
 城下の室田交差点の標識。今も昔も要衝であることがわかる。
 
 
 戦国武田の城(中田正光著)をもとに探ってきました。
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1.林道からの大手入口
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2.左側 石垣つくり。
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3.Ⅱ郭とⅢ郭下の竪掘
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4.大手から本城区域へ入る竪掘の先の虎口
両側頭上から挟撃される 正面に立ちはだかるのはⅡ郭
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5.入ると左に折れ
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6.枡形に入る
正面は主郭(Ⅰ郭)
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7.大手から入る虎口(写真4、5)を上から見る 右に6の枡形
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8.枡形を抜けると、主郭(左)とⅡ郭(右)を分断する堀切へ
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9.Ⅱ郭を北西から見る
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10.主郭とⅡ郭の頭上挟撃をうける堀切を抜け、主郭南東の帯郭へ
奥に兵を隠す武者溜まり郭がある
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11.主郭北東下の武者溜まり
土塁に囲われ、こちら側に木戸を推定できる。
 
その2 主郭へつづく

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