えいきの修学旅行

4時起きで作手へ。明けやらぬ灯りの少ない信濃の国を駆け抜ける。先月断念した木和田城ヶ根城に到達。御嶽海、頑張れ。

静岡県

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 駿府の西、安倍川を越えた丸子宿の背後にある。(静岡市)
 武田信玄が駿府を落とし、山県昌景隊が入り改修したものと思われる、武田色の濃い山城。
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 南からの登り道
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主郭
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 物見曲輪、大鈩曲輪とあるのは、西方面に備えた連続した馬だしのようです。写真では意味不明確になってしまうため掲載しませんが。
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主郭と二郭を繋ぐ橋台
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それを堀底から見る
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北郭
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東郭から大手方面  
枡形がある
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東郭の枡形の外にある大手郭 
縦に枡形(馬だしともとれる)を連続して配置していることになる
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外から見た大手郭入口 大きく深い空堀によって土橋一本の登城路となっている
 
 この空堀の右端から土塁上を歩いて行き、道を失し遭難しそうになりました。
 西、東方面に縦深に馬だしを重ねてあるのが特徴的でした。なぜこれほど良好に遺構が残っているのが不思議なくらい見応え充分な山城でした。
 

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 北条早雲、戦国の世へ船出の地。(沼津市)
 今川氏親の駿河守護相続の功績により、伊勢新九朗(後の北条早雲)が領する。
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本丸
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本丸背後の土塁
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石垣 早雲の時代のものではないような
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本丸背後の空堀 北郭と分断 すごく深い
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本丸背後の土塁上(櫓台跡)から
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二の丸から本丸を見る
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東側の水掘跡
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西側の水掘跡
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発掘中の三の丸
 険しい山城ではなく、東海道に近い(現代も新幹線が城地を通る)丘を拠点としたことに領国経営の意図が顕れていると感じた。
 
おまけ 
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 臨済宗中興の祖と仰がれる白隠禅師のお寺、松陰寺。
 衆生本来仏なり 水と氷の如くにて から始まる坐禅和賛で民衆にわかりやすく仏法を広められた。早雲の時代とは異なるが、興国寺城から真っ直ぐ海に向かった城下にあります。お墓もあります。
 
 夫婦本来別人なり 水と油の如くにて… 替え歌が脳裏を覆う今日この頃です。

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 深沢城から南下した黄瀬川西側に位置する(裾野市)。今川氏に属したが、家臣というよりも独立の国人領主葛山氏の居館、要害、菩提寺の仙年寺が残る。義元討死後は武田に属した。が、当主氏元は武田に自刃させれたようで、その後、信玄六男信貞が葛山信貞として支配する。武田滅亡時、信貞は甲斐で自刃。
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 方形居館の土塁(郭外から) 
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郭内から
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居館郭内
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要害 葛山城
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葛山城の麓にある葛山氏の菩提寺仙年寺。
 居館周囲には重臣の半田氏、荻田屋敷が残るが、その子孫の方々の名が、檀家として寄進芳名として名を連ねており、葛山氏が滅んだ後も、在地の武士達は綿々と400年もの間、お寺と支えあって生きてきたことに感動しました。
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仙年寺からの登り口の竪掘り
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登りきった岐路
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上から
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腰郭
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二の丸への虎口
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本丸への虎口
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2本の堀切で断ち切る
 
 国人領主の息つかいを感じるエリアでした。要害は大規模ではないが、信玄の弟が入る(在城したかは不明)風韻を感じるものがありました。
 
 

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  北条綱成が守り、信玄が攻める。当代一流の武将が鬩ぎ合った舞台。
 強固な甲駿相三国同盟を背景に、甲の武田は信濃へ、駿の今川は尾張へ、相の北条は上野への侵略へと向かった。天文23年(1544年)から永禄8年(1565年)。
 が、利害が反すれば同盟は反故となる。永禄8年以降は甲と駿相は敵対する。甲相境目(静岡県御殿場市)に位置し、激しい取り合いが行われた。綱成退去後は武田の重臣駒井昌直が入り、武田滅亡後は徳川家康の支配となる。
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図中の二の丸が本郭、本丸が二の丸
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三の丸西側の土塁
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下馬溜 (土塁がない?)
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三の丸から本郭へ
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二の丸から本郭(高い)
その先、北東に馬だしがある
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本郭北東の馬だし(ここも土塁がない?)
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その先の二の丸
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西側を洗う馬伏川
 
 郭の遺構が良く残り、戦国の雰囲気が色濃く漂う。が、外に対し、馬だしや郭に土塁がなく、剥き出しになっているのが何故かよくわからない。

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