えいきの修学旅行

4時起きで作手へ。明けやらぬ灯りの少ない信濃の国を駆け抜ける。先月断念した木和田城ヶ根城に到達。御嶽海、頑張れ。

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12/16 白山城 その2 三の丸 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/6652019.html
12/16 白山城 その1 白山神社・二の丸・本丸 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/6651606.html
12/13 新府城の外郭遺構 能見城防塁★ http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/6599122.html
12/8 新府城 その3 二の丸・本丸 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/6457935.html
12/8 新府城 その2 大手口・三の丸 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/6457923.html
12/8 新府城その1 北面・搦手 ★http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/6456196.html

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その2では、本丸西の虎口から三の丸へ降りて行きます。
 
イメージ 2イメージ 7        本丸北西隅、西側への虎口                     北にも木戸があるような…。
 
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本丸北下の帯郭 土橋でさらに北の三の丸(馬出し)に繋がります。
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土橋を経て、三の丸(馬出し)
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土橋左(西)の武田流の竪掘
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三の丸東側の虎口と枡形 
武田八幡宮方面への道が繋がる 
 
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虎口を外から、枡形、三の丸、土橋を見る。
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虎口の外、武田八幡宮方面へ
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三の丸北は、横堀で終わります。
 

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その1では、赤で囲った部分を紹介します。大手と思われる白山神社側から進みます。
遺構の名は、この略図に従います。
 
 白山神社下に城門が?あります!               振り返ると、殿小路あたりでしょうか、武田流の武家行く手を塞がれた私の愛馬。                 屋敷街を想わせます。 イメージ 7イメージ 11
 
                                                 白山神社境内
             白山神社参道               役所でもあったような雰囲気を感じます。
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では城内へ。
 
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        最初の遺構、壘小門。                       城内からみるとこんな感じ。
入ると左に折れ、兵が屯できるスペースがあります。   
本城地区へ
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               二の丸                    本丸東したの帯郭 左は本丸土塁
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    本丸へ東から入る虎口  入ると枡形                 枡形を本丸内から見る
 
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白山城本丸(北東から)
 
その2 三の丸へ続く。
             

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笹尾城

 甲州錯乱而、当方篠尾ニ要害ヲ立候テ、下宮牢人衆さゝへられ候、彼の城も廿二日夜自落、此方本意之分にて、弥武田方難儀  「当社神幸記」享禄三年(1530年)の条より 
諏訪・甲斐境目の城 小渕沢町下笹尾
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三の丸 
 城山公園駐車場になっています。結構広い。
 
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二の丸への土橋 
左が三日月堀 右が竪堀で細い土橋を形成
 
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三日月掘り
向うに逆心曲輪(行き止まりの曲輪)がある
 
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二の丸へ入る虎口
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木が門のよう。
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二の丸に入らず、土塁下を通り本丸へ通じる道もある
 
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二の丸の、虎口からちょっと戻るように入る枡形
土塁下には逆心曲輪がある
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逆心曲輪 (行き止まりの曲輪) 
 伏兵が潜み出撃する曲輪 伊那大島城などにも同システムの完成系のような縄張りがある。
 
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二の丸
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二の丸と本丸を分ける堀切り
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釜無川・七里岩・甲府方面
凄い断崖
 
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本丸
土塁で通路は狭くなっている。北(手前)、西(右)、南(奥)側に土塁が巡る
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南側から見た本丸
土塁上にベンチが置けるというのも、武田流ならではの造りです。 
小じんまりと、質の良い遺構が敷き詰まった良いお城でした。
 
 
 

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 新府城の北方約2km、現在の穴山駅のラインで七里岩台地を釜無川と塩川まで東西に繋ぐ防塁。
 戦国武田の城(中田正光著)では、新府城の外郭遺構としていますが、本能寺の変後、徳川家康と北条氏直が争った天正壬午の乱の時の遺構とする説もあります。
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県道17号線を遮る土塁 食い違いになっています
 
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西側の土塁遺構の入り口
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写真3 けっこう見事に残る 右が北・諏訪方面 左に夏目公民館がある
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南側に夏目公民館を経て土塁に至る道があり、なにやら旧道の予感
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登っていくと夏目公民館
公民館右に写真3の土塁の裏側が見える
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県道東側の土塁
 
          防塁の指令塔能見城                      能見城主郭部の土塁
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能見城の高地を北に降りたあたりにある枡形遺構をもとめて、なにやら匂いのする藪へ分け入ると、
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  遺構らしき、虎口↑と 枡形↓に出逢えました。 イメージ 17
 
     
 
 
 
 
 
 
 
           
          つづいて御名方神社へ
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御名方神社(黒駒砦)
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御名方神社境内 
陣地っぽい
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北側の空堀  明瞭でした
 
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堂坂砦から東・塩川方面
遺構はわかりませんでした。
天正壬午の乱で、武田遺臣が徳川家康に味方して籠り、北条勢を打ち破った伝承があります。
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堂坂砦を台地したから見る
 
遺構は、武田勝頼による新府城の防塁というより、織豊系の陣城のように思えました。

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