えいきの修学旅行

おおるりで面会。その後、諏訪原、富田、滝境城。藪と茶畑農道に窮す。VOLVO側面傷だらけ…涙。茶毒蛾ではなく、茶畑にやられた。

新潟県 下越

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越後の村の城荒川口城・大沢城http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/14996638.html
色部氏その3加護山要害http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/14923520.html
色部氏その2平林城弁天虎口・殿屋敷http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/14897893.html
色部氏その1平林城三の丸http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/14888786.html
大川氏その1 藤懸り館 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/13827535.html
本庄氏その3村上要害館地区http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/11963423.html
竹俣氏 その2 竹俣東城・竹俣要害http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/10664831.html
揚北めぐり1 加治氏、中条氏http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/9755784.html

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 越後の揚北地方(阿賀野川の北)には、鎌倉御家人以来の国人領主達が割拠していました。国人達は、それぞれが独立した戦国領主であり、それぞれが領地内に居館と要害を構え、己が家門を起てていました。
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 主だった姓を地図にいれるとこんな感じです。 山浦上杉氏以外は国人領主です。囲い線は勢力範囲ではありません。割拠状況を掴むために書き入れました。国道49号線が阿賀野川の線と考えていただけます。現阿賀野川は空港のあたりで日本海へ出ますが、当時は信濃川と合流し、現新潟市一帯は河口もしくは湖沼地帯でした。
 今回は佐々木加治氏の加治城と、中条氏の江上館、羽黒館、羽黒東館、白鳥要害を、私が毎日のように拝見している城ブログの先人に同行願い、巡ってきました。イメージ 12
 鎌倉以来、加地庄の地頭に任じられた佐々木加地氏の要害、居館跡です。天正3年上杉軍役帳では鑓108手明15鉄砲10大小旗10馬上15の計158人を擁すします。
新発田重家の乱では同族新発田重家に味方し、景勝に攻められ天正十五年(1987)9月7日落城。当主秀綱は討死しました。
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加治氏居館跡。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 24藤戸神社登り口。
 
 
 
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現、藤戸神社。加治氏の守護神として当時は二ノ郭にまつられていた。
イメージ 26 二ノ郭。
 右側が藤戸神社がまつられていた土壇。写真ではわかりませんが。
 
イメージ 27 二ノ郭の先は大堀切が掘られ土橋でつながります。写真は土橋を渡って見た土橋と二ノ郭方面。
 
 
イメージ 28 土橋先には左に折れて土塁でつくられた虎口が構えます。
イメージ 2加治城主郭。
 
 
イメージ 3主郭から見た加治庄の田園。
 
イメージ 4主郭から北東方向へ降りる溝がありました。私は、反撃の際、素早く出撃するための滑り口のように思いましたが、後の改変によるもので違うようです。
 
イメージ 23北の尾根の郭にある縦土塁。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5つづいて江上館南面の虎口。
こちらも鎌倉以来、越後奥山庄の地頭三浦和田氏の宗家中条氏の室町時代の館跡。奥山庄史跡公園として整備されています。
 
 
イメージ 6郭内。
 
 
 
イメージ 7北側虎口。
 
 
 
イメージ 8 江上館の南東約1.5Kmにも立派な羽黒館跡があります。一郭に、現在羽黒三社があります。
 
イメージ 9羽黒三社境内。
 
 
イメージ 10羽黒館郭内。
 
イメージ 11羽黒館から白鳥要害を見る。
要害山麓部には根小屋、羽黒東館があります。
 
イメージ 13羽黒東館居館跡。
中条氏は天正3年上杉軍役帳では鑓80手明20鉄砲10大小旗15馬上15の計140名の軍勢を擁します。天正十年魚津落城の際は籠城軍の中核として戦い、当主景泰は魚津城で自刃しました。
 
 
 
イメージ 14的場と伝わる土塁。
中条氏家督が弓を修錬した場所か。暴れん坊将軍など時代劇では、将軍や武将が小姓を控えさせて矢を射るシーンがお馴染みですが、城好きの私ですが実際の場は見たことはなかったので、グッときました。
 
 
 
 
要害白鳥山へ。
 
 
イメージ 15白鳥要害特有の段切遺構。マチュピチュの段々畑のようでした。
 
 
イメージ 16 白鳥要害主郭への虎口。大きな石で食い違わせている。
 
 
イメージ 17主郭。
 
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主郭の東は五本の堀切で守りを固めています。
三の堀、四の堀、五の堀の写真です。
 
イメージ 19四の堀の北は、切りとおしの虎口のよう。
 
イメージ 20最大幅の五の堀。
 
 
 
 
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白鳥要害主郭からみた奥山庄の眺望です。
 
 揚北には国人達の素晴らしい居館と要害の跡が残ります。が、色部氏の平林城など一部を除き多くは整備されていないため、せっかくの素晴らしい遺構が、ただ藪に埋もれています。写真では藪でなんやらわからず、紹介することができません。将来、新潟が全国に誇ることができるこの素晴らしい郷土の歴史遺構を発掘整備し、観光施設ではなく教育施設として活かす職業につきたいとおもったりもしています。(って、おまえ、41だぞ!)
参考文献 大家健著 図説中世の越後
 以前、空手のブログで安田、山浦、あたりも紹介しましたのでそちらもご覧ください。http://blogs.yahoo.co.jp/mei881246/60141891.html

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