えいきの修学旅行

竹さんの『戦国の城の一生』、予約していたAmazonの他からも届く。二冊も手に入るぜ。

平成29年作成

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                               北信高梨氏の本拠
イメージ 1この美しくも霊性漂う山々とその麓は、武田が弘治3年2月に落合氏を葛山城に滅ぼすまでは、高梨氏の本拠であった











イメージ 3素の美しさに浸っていたいが、広く読者に伝えるためには書き込む要もあろう

二年前に書いた鴨ヶ岳・鎌ヶ岳城の記事を下に貼る。










鴨ヶ岳・鎌ヶ岳・夜交氏山城 序http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/17963686.html

       今回書くのは箱山城
イメージ 2二年前に鴨・鎌へ登った時は、鴨への登りがきつく、とても箱山までも歩く力が残っていなかった。
二年の時を経て、完とすべく挑んできた。
※透けた写真は4月小境調査後移動したため結露有







 ケバは略し郭と堀切位置を地理院地図に書き込んだ箱山城概念図
イメージ 71記事中の堀・郭名、測地は宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版に準拠する

 箱山山頂を主郭とし、三方に派生する尾根を堀切で遮断、小さいが厳しい砦の様相を示す。
 堀切で遮断と書いたが、それぞれルートも通り、尾根先方の出丸的郭とも連絡する。
 尾根筋の様子は、ここでごっちゃごちゃ書かず、写真とともに辿りながらで紹介することとしよう。


イメージ 4箱山峠の東から東尾根

東尾根からは南に岩が巨人の如く居並ぶ異様な尾根が派生する。










イメージ 5ズーム

なんだあれは?

小境を済ませ、勇躍箱山城へとり懸かろうと箱山峠へ着陣したが、その異様な姿と風の音に恐れを抱き、この日は撤退した。思えば、この日の恐れが、私の平成29年の漢字「岩」の始まりであった。




 
                                             主郭

イメージ 6主郭南西壁

南西は郭2を経て箱山峠に至る尾根で、壁下を堀アが遮断する。











イメージ 8虎口様の凹みがあるが、どうか
















イメージ 11主郭から堀ア

















イメージ 7壁途中から堀ア

記事後部で箱山峠からここに至ります。













イメージ 9堀ア南掘り下げ

















イメージ 10堀ア北掘り下げ

















イメージ 12標高695mの主郭

20×13ほどの台形をし、御岳社、浅間神社、霊神碑が並ぶ。

北辺は土塁の痕跡がある。三方の尾根は堀切るが、虎口からルートも通る。






イメージ 13北辺

土塁痕跡と虎口。















イメージ 14北尾根堀切ウ

















イメージ 38北 越後境眺望

















イメージ 39北東 高梨が退いた飯山方向
















イメージ 16
無責任な写真だが、主郭東部


天水溜がある。













イメージ 17天水溜

















イメージ 19主郭東辺から東尾根方向
















イメージ 18東尾根堀切イ





では、各尾根筋を堪能しようではないか。












                                         東尾根

イメージ 20郭6

















イメージ 21郭6から主郭東辺

城に比してちゃっちい意味での砦はなく、小さくとも孤高に屹立する厳しい要塞の意味での砦の様相。









イメージ 22壁下に郭7

















イメージ 15郭7

















イメージ 23郭7東辺

















イメージ 24東尾根

















イメージ 25攻め来る者への自然の障壁
















イメージ 26自然の造形芸術















イメージ 27



















イメージ 37宮坂先生の記す矢穴の入った岩とはこのことか















イメージ 28堀エ、その先に郭8

















イメージ 29郭8


東方の警戒拠点。














イメージ 30天水溜のようにみえたが、宮坂先生は郭8の穴を石材を採ったあとと推測しているようだ。













イメージ 34南東

この下にあの巨人居並ぶがごとき異界。
城としての利用はできなかったのではないか。










イメージ 35鴨ヶ岳、鎌ヶ岳眺望

















イメージ 36湯田中温泉眺望

















イメージ 31北東は堀オで守る

















イメージ 32斜から

尾根先方向には、いい岩が胸壁となている

上段郭8と堀岩胸壁とで二段陣地としても機能できたのではないか。とすれば天正期上杉による改修も考えることができるのではないか。



イメージ 33岩を胸に充て尾根を睨む。こともできる?


















                                           北尾根

イメージ 44主郭北虎口

主郭虎口下導線は堀ウ底(堀ウ写真は先掲)へ降りる。













イメージ 40堀ウ底から主郭北壁
















イメージ 41北尾根

90mほど下る。















イメージ 42やや小高く郭5

浅間社が座す。















イメージ 43北下には削平段あり、北の防御点となっている

















                          
                          南西尾根

      登り口の案内を兼ねて箱山峠から

イメージ 45箱山トンネル西側


軽1台程度の駐車スペースがあるが駐車はやめた方が無難。東側旧耕作地あたりに駐車可能ではないか。
東側から二度稜線上を目指したが、藪きつく断念し、この日は西側から歴史と展望の小道を歩き稜線上箱山峠へ至るを得た。



イメージ 46箱山トンネル西側を右、鴨ヶ岳へ至る歴史と展望の小道を鴨ヶ岳方向へ。
獣結界フェンスを通過。









イメージ 47箱山峠に至る

箱山トンネルから5分。









イメージ 48箱山峠












イメージ 49切通の東側、北に稜線上への道

攀じ登り気味に稜線上に出て、北へ登り進む。








イメージ 50登るとここにも古道

切通以前の箱山峠か。









イメージ 51北へ












イメージ 52中岩場を通過

2017「岩」の始り。









イメージ 53霊験あり











イメージ 54眺望もよく、信仰地なはず











イメージ 55武田が来る方











イメージ 56こんなのも

月生城にもあった。









イメージ 57郭4か











イメージ 58郭3か

箱山トンネルから17分。









イメージ 59岩場を縫う











イメージ 60郭3ー2間

ロープ伝い。









イメージ 61郭2











イメージ 62郭2の城内側北東区切りに石列あり














イメージ 63防御構造か、信仰遺構か














イメージ 64斜から

私は城戸に関連する構造と考える。











   
イメージ 65石列付近から郭2
















イメージ 68石列から約30m登ると堀ア前の二段陣地に至る













イメージ 66堀ア前上段陣地















イメージ 69段陣地















イメージ 67主郭南西を守る堀ア(記事前部掲載)
箱山トンネルから30分。














 
 参考文献 宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版

                   おまけ
イメージ 70本能寺の変後の天正に高梨が入った安源寺城から箱山・鴨ヶ岳城

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                      久須見城全景
イメージ 1
郭・堀名を宮坂武男『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』(以下宮坂本)に準拠し、大まかな位置に書き込んだ。記事中の測量値も同書に拠る。

北東山麓の木曽川渡河点を押さえる。東濃十八砦のひとつとする伝承もある。下流約1.6kmには中尾砦、さらに約2.4km下流には天王山砦が在り、織田ー武田の抗争時には武田の兵が入った可能性がある。

主郭から旧道側に櫓台状に小高く、その下に堀アで守る。さらに馬出郭2を置き、堀イとで戦闘拠点としている。後背郭3は宮坂本では居住区と推定している。

イメージ 2主郭1

御嶽社が座す。

御嶽社の裏方向が東で、堀ア、郭2を構える。
撮影地背後が西で一段低く区画され、その先に郭3となる。






イメージ 3主郭西端低い区画

















イメージ 4その下方に郭3


北辺東部に虎口。














イメージ 38郭3は草猛る

ブッシュに躊躇いなく突入し、湧き出でるMさんの勇姿に畏敬の念を抱く。












イメージ 35北東隅虎口

現状では、虎口よりもやや東、郭3北東隅に北麓からの道(御嶽社参道か)が入る、草猛る時期は通行は厳しいのではないか。



主郭へ戻る。





イメージ 5御嶽社裏主郭東部

堀アに接し櫓台上に小高く防備を固める。













イメージ 6南は急壁(私達は這い上がった)
















イメージ 7小高い前にお墓

















イメージ 8小高い上

防備の土塁にしては幅広で、見通しを防ぐ他、櫓台状に堀ア、馬出郭2に射掛ける防御拠点として機能したと考える。









イメージ 9堀ア先に馬出郭2


堀アは上幅10m。

南(右)北(左)両端は竪堀として長く掘り下げる。












                                             堀ア・郭4

イメージ 10堀ア南掘り下げ

















イメージ 11北掘り下げ

















イメージ 12
北は上方城内側に小段と土塁を造作している
その付近の壁は石積で補強されている。











イメージ 13
小段

















イメージ 14その下方土塁が付随
















イメージ 15土塁下堀壁は石積で補強されている

城内側南斜面への回り込み阻止し、また防御点としての小段を維持するための造作と考える。









イメージ 16この付近アの堀幅が狭まっているようにも見える

木戸、バリケードでも設け、堀底を伝い登ってくる敵を止め、尾根上・城内南斜面への回り込みを阻止し、先の小段、郭1櫓台、郭2から迎撃を集中しようとする意図があったのではないだろうか。


写真を取り損ねたが、特に右城内側は郭1櫓台、小段から重層的に射線が送られる。


イメージ 18堀ア北下方


伝い登り来る者を監視、迎撃。

北下方には帯郭状の郭郭4が配されている。南は急傾斜でもあるが、久須見城の造作は木曽川方向を警戒し施されている。




イメージ 17郭4

横堀状にはなっていないようだ。
















                                         馬出郭2以東

イメージ 19堀アで断絶された先に馬出郭2

主郭側には土塁は無く、主郭の統制下にある。
尾根東旧道側に土塁を設け、さらに掘イを構える戦闘拠点である。







イメージ 23郭2から堀ア越しに主郭

土塁が見通しを防ぎ、かつ強固な防御区画となる。櫓が揚がっていれば壮観であろう。









イメージ 22郭2

左右(北南)は急傾斜
だが南は特に険しい。北はやや緩く、堀イ面土塁を北東隅はL型に延ばしている。








イメージ 25南急傾斜

















イメージ 33北傾斜

















イメージ 24堀イ面土塁 虎口開口
















イメージ 21開口北 北東隅土塁

北は南よりもやや傾斜が緩く、L型に土塁を構える。











イメージ 26虎口前は堀イを土橋が渡る

 堀イ東は城外。














イメージ 20やや斜から堀イ・土橋

土橋に張出して横矢が掛かる構造ではない。織田の造作ではないだろう。










イメージ 27堀イ東から郭2

















イメージ 28堀イ東


約50m先に旧道が切通る。













イメージ 29旧道が切通す

















イメージ 30南麓側

















イメージ 31北麓側



















参考文献 宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版、p72




  登り口の検討


イメージ 32私達は左写真の主郭南下から主郭へ辿り着いたが、階段の上はかなり険しい

私達が取り付いた地点https://yahoo.jp/w3zouD (サークルKあったっけ?








イメージ 34階段の上

















また郭3北西隅に北麓から至るルートもあるが、草が猛っている時期は厳しいように思える。

城へは、東の旧道から入るのがいいのではないか。


 あとがき

 このあたりは東濃に進出した武田勢力の最前線にあたる地帯で、この久須見城もそうだが、4年前に木曽川沿いの天王山砦を実見した時、武田色があまりにも色濃く漂うことに驚愕を覚えつつ、遺構から武田勢の織田力圏への武田の楔・進出を確信した。
 しかし、武田が進出した時期は限られるので、ほぼ同時期の改修だと思うのだが、城によって武田の特徴を見せつつも構造に違いがある。
 天王山砦は横堀と放射状竪堀があるが馬出はない。
 城山砦は横堀と放射状竪堀(1本だが)と馬出がある。
 この久須見城は馬出はあるが横堀、放射状竪堀はない。
 
 プランゆえか地形ゆえか城の格ゆえか主体の差ゆえか多寡にもよるが敵が寄せ来たときの抗戦・放棄の方針ゆえか。
 そんなことを考えつつ、天王山砦と久須見城の間にある中尾砦をかねて実見したいと狙っていた。
 
 古城山城整備活動で知り合った(原田先生のご縁)東濃在住の城友達Mさんが中尾砦の踏査経験があるというのでご案内を願った。
 しかし、直前、空手の稽古で、うちのお弟子さんの容赦のない蹴りに私が足を痛めてしまった…。

イメージ 37登り口まで誘導いただき、比高10mほど挑戦
 
今年は北信でも東濃でも岩ばかり…。










イメージ 36しかし、とても故障した足では主郭到達・遺構の実見は無理と判断

今回は登り口の確認にとどめ、退却を決意した。
どうも近年行きたい城は危険な城が多いが、山城で死んではいけない(らんまるさんの声が脳裏をよぎる)。
この趣味、退く勇気も必要である。


 ということで、厳しい山は登り口の確認にとどめ、比高の小さい和田と久須見の2城を歩いたわけである。
 身体は故障しつつも心の抑えきれない沸騰にお付き合いいただいたMさんに心より感謝申し上げる。
 
 中尾砦の他に、猪狩山、飯羽間、城址山、馬隠し砦、大平、明智も…、東濃のターゲットが増殖してしまった。越後はここ数日雪が降りつづき、すでに城は春まで無理。狙っていた北信は霜台城の他は歩いた。窓の外に降り続く雪を見るにつけ、東濃への欲求が募るばかりである。越後は雪に埋もれ信濃は凍っていても、特急しなので行けば東濃は歩けそうだ。新年の再攻を期す。



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 豊橋講演会・名古屋試験の帰りに、東濃のお友達Mさんの案内でかねて狙っていた中尾砦を目指しました。しかし足を故障していたため、その険しさに断念、登り口の確認にとどめ、比高の小さいお城を歩きました。
 北信濃尼飾、寺尾の前に、痛みを押しての東濃徘徊、和田(11日)、久須見(14日公開)の2城を書きました。           

                      和田城
イメージ 1



















イメージ 19愚図ですが、概念図を城の様子を紹介するため掲載します。

主郭は北西に土塁、その下に堀を設け、北西尾根を警戒する。反対の南東には、なかなか見事な虎口を構えている。

郭・掘名は宮坂武男『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』に準拠し、実測値も同書に拠ります。



イメージ 12北東麓から林道を歩き主郭北西下に至る

見ている主郭北西辺には土塁が備わるり、直下には堀が警戒する。








イメージ 13北西の堀















イメージ 14北西土塁上から主郭

東西25m、南北20mほどの円形(宮坂測)。

写真奥中央やや右に
虎口が開口。





 
イメージ 4主郭中央から北西部

北西辺に土塁。












イメージ 3北西土塁















イメージ 2土塁下に堀















イメージ 5南東に虎口















イメージ 6虎口を北から


このようなしっかりした虎口が、なぜ、このような小城にあるのか。

奥平圏の城に構えられた虎口よりも大きい。





イメージ 8開口先から















イメージ 7虎口下方は東尾根、遺構のない小山(宮坂先生の記述)













イメージ 15宮坂図では北東下に竪堀がとられているが、崩落したようだ













イメージ 10竪堀は崩落か















イメージ 9上端をかろうじて通行できる(危険要注意)













イメージ 11主郭北下の郭

宮坂先生は北辺に土塁状の高まりをみとめ、横堀の可能性も指摘している。










イメージ 16笹の写真ではない

かろうじて土盛の痕跡の写真である。












 イメージ 18登り口


撮影地はこのあたりhttps://yahoo.jp/fiJZMB










イメージ 17林道とりつき

易い雰囲気も、途中から草猛り、崩落がある。私の故障した足で主郭北西下まで15分。












参考文献 宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版、p115



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                    吉田城主郭
イメージ 22
北西隅に復元鉄櫓


吉田城は、徳川が関東へ移って以降、総構えを構える近世城郭として拡大・改修され、現在は豊橋公園として開放されている。






イメージ 43豊橋公園入口

総構え土塁に設けられた三の丸虎口にあたる。










  吉田城は著名な城なので、ごちゃごちゃ書かず私の興味の対象に絞って書きます。
 
 そのうえで必要な城歴。
 
 吉田城は、家康が今川氏から離れて後、徳川支配下に重臣酒井忠次が置かれ、天正18年の関東移封まで徳川の東三河統治の拠点城郭として機能した。徳川後は池田輝政が入り、総構えと主郭石垣を積む近世城郭へと姿を変えた。
 天正3年6月の設楽ヶ原合戦直前には、作手から勝頼本軍が東三河に侵攻、野田・吉田城を経て長篠へ侵攻した(1)。 勝頼来襲を跳ね返した吉田城は元亀天正期に武田に攻略されず、徳川方の城として機能した城である。

 私の興味の対象
 A:主郭南虎口。
  両袖桝形虎口を踏襲し、改修補強したものではないか。        
  そうとすれば、武田の城の改修ではない徳川の城に、両袖枡形虎口が使用されていたことを示すことになる。そのことは、武田の築城・典型的な城とされる古宮城の主郭両袖桝形虎口を徳川構築と考える私の観方を、諏訪原城主郭両袖桝形虎口とともに補強することになる。

 B:二の丸北東隅の幾何学的塁線構造。
 奥平圏古宮城、賽之神城に設けられている幾何学的塁線を、徳川構築とする類型とならないだろうか。

イメージ 23吉田城縄張図(復元鉄櫓展示資料よりブログ説明のため加筆・引用)

方形主郭を豊川を背に後堅固、輪郭式に郭・堀を張る。

池田入部以降、主郭部は徳川期を踏襲しつつ石垣を積み、隅に重層櫓を揚げ、さらに総構えを構築したのであろう。

 
   


      案内図より➊主郭(本丸)周辺を切り取り
イメージ 24上方が北で豊川に臨む。

主郭を囲う深く広い空堀は、徳川の堀で、加藤先生の講演(2)では、東の三の丸も主郭であったのを小牧長久手後の天正13年〜15年に豊臣軍の来攻に備えて堀を堀り、西への馬出として金柑丸を区画、掘った土で主郭土塁を高くしたとしている。

虎口は、南、北、東に開口する。



イメージ 1主郭を守る堀

南から南東隅。

深く幅広に空堀。
武田とは異の構築。











イメージ 2南から南西隅


















  では、私の興味の対象A:主郭南虎口

イメージ 3二の丸(南)から南虎口
標柱では南御多門。

主郭大手にあたる。

土橋で入り、枡形内で喰い違う。左に千貫櫓が防備する。








イメージ 4左に高く千貫櫓

















イメージ 5千貫櫓台

















イメージ 6千貫櫓から南虎口桝形

出入部の喰い違い構造は用いられているが、屈曲の折れは用いられていない。

この枡形虎口を、私は武田の両袖枡形を徳川が踏襲した構造と観た。





 冒頭にも書いたが、この吉田城は武田に奪われてはいない。


イメージ 7古宮城主郭両袖桝形虎口

枡形内は、折れではなく、出入口の喰い違い構造である。

私は両城とも共通の構造と観る。





 


イメージ 8桝形二の丸側から入り

当たり折れ入る構造ではなく、土橋でまっすぐ西側に入り、主郭側の出入口(東による)との喰い違い構造のみである。







イメージ 9千貫櫓は虎口前土橋を監視

しかし、張出、横矢を掛ける近世城郭構造ではない。池田入部以降、石垣補強はしても、構造自体の改変はなかったのではないか。
天正期徳川の出入り口構造であろう。




イメージ 12主郭内から南虎口

千貫櫓側(右)から石垣土塁を張出し、開口部を東に寄せている











イメージ 10千貫櫓の対岸から枡形内

食い違いがわかる。













イメージ 11主郭側開口は、千貫櫓側から石垣土塁を張出し、開口部を東に寄せている


石垣は池田以降による補強であろうが、食い違いのみの枡形構造は、池田による織豊構造ではなく、徳川による両袖桝形虎口と考える。



 吉田城南御多門の枡形を両袖桝形虎口と観ることが認められれば、徳川も吉田城において両袖桝形虎口を用いたことになり、古宮城主郭両袖桝形虎口が武田構築の確定的根拠とはならなくなる。

 古宮城の徳川築城説を補強する解釈になろう。



    主郭東虎口から馬出金柑丸・B二の丸北東隅の幾何学的塁線構造

イメージ 27主郭の東に設けられた馬出金柑丸は、加藤講演では主郭東部であったものを、天正13〜15年に豊臣勢の来襲に備えて現主郭東面の堀を堀って区画し、馬出としたとされていた。
主郭東虎口もその改修に伴って構築されたものであろう。
主郭東虎口は、当たり折れる屈曲構造を用いている。
また、私の興味の対象であるB:二の丸北東隅塁線構造も、三の丸側金柑丸出入口前を側面・背後から射撃することができる。同時期に造られた構造であろうか。


イメージ 13主郭東虎口(主郭内から)














イメージ 14虎口北塁線上から虎口前外屈曲による折れを俯瞰














イメージ 16対岸虎口南塁線空やや張出して折れ屈曲を見る

これは武田踏襲ではなく、徳川織豊構造で、古宮城でいえば郭2北虎口C前の屈曲構造に同じであろう。







イメージ 17古宮城郭2虎口C

※城の防御構想・縄張的には運用は異なる。
奥平圏の城3で詳しく書きましたhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18931271.html







イメージ 15同じく虎口南塁線上から折れ外の土橋をみる

完全監視。


土橋の外は馬出郭の金柑丸。







イメージ 18土橋の外に金柑丸















イメージ 19土橋の南の堀

主郭南東隅下方向。












イメージ 20土橋の北の堀

主郭東面下。













イメージ 21堀底北から土橋をみる

石垣で補強されている。橋って脆い方がよさそうなものだが、近世城郭としては崩れちゃ困るということか。近世や石垣に関しては行く知らないので、悪しからず。





イメージ 25土橋の外は金柑丸

しかし、私の興味の対象はB:二の丸北東隅塁線。











イメージ 26馬出郭の金柑丸

左(西)に主郭東面堀。
右(東)東に土塁と堀。


金柑丸は省略します。







  ではB二の丸北東隅の幾何学的塁線構造

イメージ 28二の丸北東隅塁線と、塁線下の堀
















イメージ 29堀ラインはやや緩いが幾何学的塁線の匂いが漂う















イメージ 30郭内(二の丸)から北東隅土塁


私は古宮城で幾何学的塁線を見たとき、武田構築に違和感を覚えた。日近城で同様の塁線を見たとき、これは徳川構築による構造ではないかと閃いた。





イメージ 34日近城主郭南東塁線














イメージ 35古宮城郭Ⅰ西部南西塁線









 吉田城に戻ります。





イメージ 31西からの一角、二角、三角

丸でもなく、四角でもない櫓台位置の幾何学的塁線は、迎撃面を多角に向け、機能的に射撃することができるのではないか。







イメージ 32北東隅にあたる三角目


下は先に掲載した堀











イメージ 33二の丸東面塁線
















 私の興味の対象Bに関する妄想も、古宮城を徳川構築と考える補強に成り得ないだろうか。

 


 容量の許すかぎり写真掲載します

 イメージ 36豊川側主郭北虎口
















イメージ 37
当たり折れる屈曲、さらに高低差を効かす















イメージ 38豊川側帯郭を経て豊川に繋がる

川に降りる虎口脇の郭を川手櫓が揚がっていたようだ。










イメージ 39川手櫓

で、ふと感じたのが、古宮城・亀山城・賽之神城に見ることができる虎口脇の土塁囲いの郭を想った。









イメージ 40
亀山城東曲輪
















イメージ 41豊川に面し石垣が美しい

石垣の積み方に時期差があるようだが、詳しくないのでパス。









イメージ 42豊川に面した北面は、徳川去って後、近世城郭として石垣を築き、重層建築物とともに豊川を行き交う船に威容を示したのだろう。
北虎口はその時代の構築ではなかろうか。







 ほかにも見どころがある吉田城ですが、私の興味の対象である奥平圏の城の構造に影響を与えた上位権力を考えるうえで指標となりそうな構造に絞って綴りました。



 
 註
(1) 柴裕之(2014)「長篠合戦再考-その政治背景と展開-」,『戦国・織豊期大名徳川氏の領国支配』、岩田書院、pp109-11
(2) 加藤理文講演(2017)「五か国領有時代の徳川家康と吉田城」、『城の魅力-吉田城と戦国-』、豊橋市文化財センター

 古宮城、日近城などは愛知県のページよりご覧ください。
        愛知県: http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18124422.html
        作手へ 亀山城1-2・追補  ★古宮城1-3 ★賽之神城 文殊山城(作手エピローグ)
        ★鍬塚城前後編 ★寺脇城 清水城 ★日近城1-2 奥平圏の城1-4 

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入河沢城現地説明会

 
 上越市の平成29年度上越市地域活動支援事業補助金を受けて実施された入河沢城の整備活動が、ほぼ成り、11月11日(土)10:00から現地説明会が開催されます。

 集合場所は寺沢の池です。ここhttps://yahoo.jp/SMxfs1
 寺沢の池には駐車する場所がありませんので、入河沢集落センター付近(上地図の中心点付近)に駐車し、徒歩で戻ってください。
 雨天の場合18日、19日、25日、26日に順次順延になります。

イメージ 1私もお手伝いさせていただきました。
吉川のみなさんの仲間に加わえていただき、光栄でした。吉川の皆さん、ありがとうございました。

※私は薬局勤務のため現地説明会には参加できません。





イメージ 2整備前の3月の同じ場所

私のブログ「入河沢城」記事は3月撮影写真をベースに綴っています。


 私のブログ記事(ごちゃごちゃ書いてますが、ぜひ現地をご覧ください)

★入河沢城まとめ〜地表面監察・整備活動から〜https://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/19276420.html  
★自説に固執 逆四角錐台形にほりこまれた虎口https://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/19266572.html

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