えいきの修学旅行

おおるりで面会。その後、諏訪原、富田、滝境城。藪と茶畑農道に窮す。VOLVO側面傷だらけ…涙。茶毒蛾ではなく、茶畑にやられた。

平成30年作成

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直嶺城追加・北尾根

 
 記事が長野県だらけですが、私は越後人です。
            地元のお知らせです。

 平成30年10月27日(土) 雁金城保存会視察研修講演会

 直嶺城のご案内(14:00〜15:00直峰城駐車場起点)と、「景勝期上杉番城の姿」と題してお話しをさせていただくことになりました(16:30〜17:30米本陣)。

  保存会会員外の方も参加いただけますので、ご希望される方がおられましたら、ほたる調剤薬局・えいきtel025-539-2146まで、もしくはメールでeiki0779@joetsu.ne.jpにご連絡ください。
 
 ※米本陣 http://www.mypara.co.jp/  
   入館料が必要です。

 下見がてら直嶺城北尾根の写真を撮ってきましたので平成27年直嶺城記事に追加します。
 ※危険なため、当日北尾根のご案内は致しません。

 ※当面、講演用パワーポイント作成のため、また、その後もとなりのとなりの県の城館群に関する論考を論文としてまとめますので、3カ月程度は濃い内容でのブログ記事更新はお休みします。

イメージ 17松崎へ至る北尾根

細尾根だが、急壁と堀ア、イ、ウ(ブログ説明用にえいきが命名)、で防御している。
その堀の形状は箱掘である。







イメージ 8北尾根根元

堀ってあるが、壁が主防御構造で、堀用途というより北東尾根連絡路の受けであろう。

根元先の尾根小郭を頭上監視。






イメージ 2堀ア

堀底形状。














イメージ 1北東尾根との連絡路















イメージ 3根元堀アの先

尾根小郭。













イメージ 4振り返る

北尾根根元。

堀・壁上伝蔵跡の防御施設。











イメージ 5尾根先方向急降下















イメージ 6降下先尾根上約30m小郭














イメージ 7尾根先方向降下

一段経て堀イ。













イメージ 9堀イ

ここも箱掘と観たが、畝のような隆起もある。











イメージ 16尾根先方向から堀イ















イメージ 10堀イ先尾根上小郭















イメージ 11尾根先方向舳先

壁下に堀ウ。

堀ウまでが城域か。











イメージ 13急降下


この降下は危険。












イメージ 12堀ウ

小さいが箱底のようだ。

何時の時代か、遊歩道があったの…。









イメージ 14堀ウ先尾根上















イメージ 15鉄塔に至る

ウの先に堀構造は確認できなかった。













 細尾根だが、壁と堀切で執拗に防御している。
 その堀形状は、小さくても箱掘のようだ。

 平成27年記事 ★直嶺城1 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/17653428.html
          ★直嶺城2 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/17662136.html
             (少々直しました)
 

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 戸隠栃原城館群概要:https://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/19854984.html

      一連の戸隠城館群ラスト、鬼ヶ城(高城は未踏)を書きます
イメージ 1
















イメージ 36鬼ヶ城

宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』(以下宮坂2)によると紅葉紅葉の伝説地で、山麓の中峰から鬼無里へ至る古道に面しているそうだ。
郭番号は宮坂2に準拠、記事中測値も同書に拠る。





イメージ 2これまで書いた戸隠城館は独行だったが、この城は単独で挑むのは危険かつ困難なため、信濃先方衆らんまる・でいびす両将、相模からの横目?小太郎さんに助力頂いた。
らんまるさんのジムニー号で林道終点まで同乗(地図ポイントできず・らんまる攻城戦記参照ください)。



 

  この城は、構造の分析・評価などの御託よりも、我らの修行をお楽しみください。


イメージ 3林道終点から稜線まで攀じ登り、北から岩尾根を伝う














イメージ 4いきなり沢越えの試練
















イメージ 5そして攀じ登る

















イメージ 6あそこ(稜線)まで到達できれば、なんとかなりそうだ(写真4枚で済ませてますが、容易ではありません)











イメージ 7成功の兆し

















イメージ 8稜線到達

そう遠くない昔まで、稜線上は道であったようだ。












イメージ 9おっ、堀切か

















イメージ 10ふっ

















イメージ 11そうだ、目指す城はまだ登るのだ
















イメージ 12岩の上に平場あり

















イメージ 13平場

そしてここから城へ向かって岩尾根が始まる。













イメージ 14うぃ


右側に少々迂回。














イメージ 15もしや旭山城のような石垣か?

もう、そう見えてしまう自分が怖い。












イメージ 16往く

















イメージ 17今の平場

居住できるとすれば、少しでも風も凌ぐことができるここが最適か。











イメージ 18岩尾根を伝う

















イメージ 19現在地・方位を確認か
















イメージ 20修行再開

高所が郭4。















イメージ 21郭4

西(右)西に土塁…、がある。













イメージ 34北端

造作はしてあるようだ。













イメージ 35伝い登ってきた北の岩尾根
















イメージ 22郭3

















イメージ 231まで約48mある

















イメージ 24郭1北手前

石に聖地感。















イメージ 25郭1

15×8m。

石で造られた基壇と成り得る構築あり。











イメージ 26なにかを祀る基壇であろう

行者の祈りの場と得心。













イメージ 2710mほど緩く降り郭2
















イメージ 33郭2

















イメージ 28南東辺は土が盛る

土塁か?

防御施設などといったしろものではなく、落っこちないための構造か。









イメージ 29三角点















イメージ 30下方

中峰に至る(宮坂2)。













イメージ 37上方

先の大築城とは様相が異。
侍の城ではないであろう。










イメージ 31郭1の基壇


やはり行者の遥拝、祈りの場を想う。












イメージ 32天地、山川草木、宇宙と一体になった行者様に、会ってみたい

夕景、夜空、夜明け、どれほど美しい(晴天に限る)だろうか。
一夜、ここで明かしてみたいものだ。








参考文献 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版、pp.370-1


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大築城(長野県戸隠)

 

                      大築城
イメージ 1福平城の詰め城とされ、北西約1.3km、標高1199m、比高230m(荒倉キャンプ場から)の山上にある。












イメージ 2ズーム

比高200m超の高く狭い山上だが、しっかりと手が加えられた堅固な砦である。
郭・堀名は宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版(以下宮坂2)に準拠し、おおよその位置に書き込んだ。




              大築城概念図
イメージ 3宮坂2を参考に、郭・堀名を同書に準拠し、ブログ説明用に地理院地図に作図。 記事中測値も同書に拠る


ごちゃごちゃ書かず、写真でいきましょう。














イメージ 5郭2から主郭1

ごちゃごちゃ書くまい。














イメージ 6郭2から堀イ、主郭への導線
















イメージ 7イ西掘り下げ

この付近2内に石の集積有り。投石用か。












イメージ 8石の集積

















イメージ 9イを縫い

















イメージ 10
1へ入るが

この縫うイ導線は主郭郭内大岩上が強固な櫓台状に監視している。











イメージ 11主郭南東隅

大岩群が頑強に侵入を拒み、かつ強固に監視する。













イメージ 12堀イは南東に約40m掘り下げられている















イメージ 13主郭出入口

岩塁が出入り口脇を固めている。














イメージ 14
うい

主郭内。

北東隅大岩高所がこの出入口を監視している。










イメージ 15
北東隅高所

この砦の構築者は只ならぬ侍であろう。













イメージ 16高所から出入口を俯瞰
















イメージ 17南東尾根

岩塁線・出入口・堀イ・郭2。














イメージ 18東塁線

岩塁下急傾斜。
















イメージ 19西側

急傾斜面には備えは不要だが、南西尾根筋には帯郭状の小郭(石の集積有)、土塁を付けた小郭が置かれ、備えている。








イメージ 21南西尾根筋

投石で迎え撃つか。














イメージ 20主郭西急傾斜面

















イメージ 22北西隅大岩をくくる堀込み

上は北尾根筋で堀ウが遮断する。













イメージ 24北側

堀ウ。

北尾根はウ、エ、二重に堀切っている。















   北尾根

イメージ 25堀ウ、エの二重堀切間に小堡塁を置く。堡塁北北東下に一本竪堀を設け回り込みを阻止している。












イメージ 26堀ウ

















イメージ 27堡塁から堀エ

















イメージ 28竪堀

















イメージ 23エの下の岩下方、鞍部からの北は岩山で、宮坂先生でさえ「侵入はできない」としている。












イメージ 29北方岩山



















   
   南東尾根と登り口

イメージ 30もう一度主郭南東隅岩上から南東尾根(再掲)















イメージ 31郭2は土塁が囲う


南東に天水溜のような窪みがある。













イメージ 32南東の窪み

宮坂先生は「天水溜であろうか」としているが、天水溜であろう。












イメージ 33傾斜下方約25mに堀ア
アの前後は段となっている。
アは東(左)に約15m、西(右)に約23m掘り下げ、回り込み妨害している。

また東には畝状に三本、竪堀様な地形がある。宮坂先生は「自然のものであろう」としているが、私は人の手に拠る構築に思えた。

イメージ 34アの東堀下げに一条合流
















イメージ 36
私には人の手に拠る畝状空堀群に観える















イメージ 4堀ア

















イメージ 35西掘下げ

















イメージ 37堀ア前段から主郭方向


まとめ(感想) 

大築城は、険しい山と岩の天険地だが、堀切、土塁などの城普請に手抜かりが無い。山、岩を巧妙に活かしつつ、堅固かつ美しくも仕上げられた名砦である。築城者は、たんなる山中の土豪ではあるまい。禅(臨済禅風の庭造形美を想った)などの修養を積んだ、一廉の侍であろう。

   ここへ来てみたいと思った人は、


イメージ 38荒倉山キャンプ場から林道(舗装)をさらに入り、このミラーの裏あたりから登る










イメージ 39書くまでもないとも思うが、このようにきつい

とちゅう山道に遭遇するが、大築城への道ではない。登る、登る、修行である。稜線に出たら右にまた登る。それが大築城域南東尾根。
私の足でミラーから堀アまで28分。
登りは登るだけなので迷わないが、下りは南東尾根を降ると途絶したり、ミラーの位置に降り着けなくなる。自分が南東尾根にでた地点に目印をしておいたほうが無難である。

イメージ 40途絶する南東尾根















イメージ 41表札?

高城の下見時、聞き取りではクーさんの居住は既定事項であった。










イメージ 42大築城は、まんなかの山です
















参考文献 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版、pp.394-5

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                        古城
イメージ 1城歴に関し、詳細は不明である。
福平城の北東1.3kmに位置し、栃原地区の東の関門にあたる。






 





           古城概念図
イメージ 28宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版を参考に、郭・堀名を同書に準拠し、ブログ説明用に地理院地図に作図。 記事内測値も同書に拠る。

主郭は南北39m、東西は南辺が30m で、南東隅が高く郭内は傾斜する。東西の切岸は高く鋭いく、南はイ・ウの二重堀切、南は堀エによって守られている。
防備は切岸、堀に土塁を加え、なかなかに手を加えている。













イメージ 3郭5

石組があるが、もしや写してはいけないものかもしれない…。

右に壁高く郭1。
撮影地背後に竪堀在り。







イメージ 4竪堀

















イメージ 5南に主城域

堀ウに写真右から斜めに導線が入る。堀ウを通り、西面へ抜け、土塁開口出入口から主郭へ入ったと考える。









イメージ 6主郭切岸は壁高い鋭い
















イメージ 7堀ウ、イに接近

















イメージ 8ウ底を郭1、2土塁の挟撃下、通行
















イメージ 9西へ抜ける

















イメージ 19ルート側面頭上郭1は北西から西辺に土塁を備え、聳えるように威圧をを加える












イメージ 10郭1西切岸面

現況では導線ははっきりしないが、土塁の開口があり、そこから郭1内へ入ったものと考える(次項で郭1内から掲載)。











     郭1

イメージ 11北隅から南方

南西隅が高い。















イメージ 12北辺

















イメージ 2北切岸下に郭5

















イメージ 13南西隅高所へ

南辺は遮断堀切エに沿って土塁が沿う。












イメージ 14南西隅高所

















イメージ 15南西南高所から西辺

土塁開口箇所に堀ウからのルートが入ったと考える。











イメージ 16西辺土塁開口部

















イメージ 18開口下

西辺北部から北西辺土塁の下方を堀ウに至る導線で、監視は十分に効く。











イメージ 17西辺土塁北部

















イメージ 29北西辺土塁

土塁下は堀ウ、イの二重堀切。














イメージ 20北西辺から二重堀切

土塁・壁下、堀イ畝に限定された堀ウ底は、郭1監視下、限定された通路となろう。










                     反対南尾根


イメージ 21堀エ

南尾根は堀エが上幅14mで豪快に遮断する。

堀エは郭1、南(3)両側に土塁が沿う。









イメージ 22エ東掘り下げ

















イメージ 23堀エに沿って設けられた郭1南辺土塁
















イメージ 27エ底(東から)

南(左)にも土塁が沿う。畝構造か。

主郭側内壁は10〜12mを誇る。










イメージ 24エ底から主郭南西隅を見上げる

威容を放つ城壁である。
















   南尾根

イメージ 25郭3

約37m先堀オまでが城域となる。













イメージ 26堀オは土橋で渡るが、宮坂先生は疑義も呈している。

郭内側にL型に土塁が残る。後世の土橋造成によりLとなったか。













   北西尾根

イメージ 31郭1北西辺から北西尾根 

先掲したが北西尾根は堀イ―ウの二重堀切が敷設されている。イーウ間の畝は錣状に際立ち、二重とする(堀ウ堀底通路に関しては先述のため省略)。
郭2は南東隅にL型土塁を備え、南東辺は堀イに沿う。堀イーウ間の畝とで畝も二重となる。

イメージ 30郭2L型土塁から堀イ


錣状に際立つ。
上杉の仕業か。










イメージ 32郭1に向かう
















イメージ 33郭2


北西部に虎口様の窪みあり。












イメージ 34窪み

出入口か?













イメージ 35北西端

舳先は竪土塁が付随か。












イメージ 36降って堀ア、郭4

4の北東に帯郭状の段が付随しこのありまでが北西の城域となろう。

郭4の北西約40mを車道が通る。








イメージ 37入口

南東約40mで郭4付近












 参考文献 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版。pp.396-7


イメージ 38次はあそこ





大築城。









イメージ 39


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                    大昌寺と大昌寺山城
イメージ 1福平城の南約800m、北北東約1kmに円光寺館の南南西約1kmに位置する。













                                      大昌寺山城概念図
イメージ 2
宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版を参考に、郭・堀名を同書に準拠し、ブログ説明用に地理院地図に作図。 

宮坂先生は本城福平城の支城として築城されたものと推定している。
北東面に横堀を巡らせている。この横堀は前面に土塁を備え、背後に高く土塁を備えない郭1北東面が控える。前面土塁を備えた横堀、郭1の二段の防御施設であろうか。とすれば、天正期上杉圏下に付加された防御施設かもしれない。

また、寺に近接し、郭のとり方が単純なことから、あるいは寺の城の可能性もあるのではないだろうか。







イメージ 3大昌寺

常ならぬ美しさと威厳。














イメージ 4身震がいした

宮坂先生は『長野県町村誌』から、「曹洞宗高府村明松寺派なり、本村の御南の字方清水にあり。、寺伝によると永昌(1504〜20)の頃溝口伯耆守開基し、密造寺と号し、真言宗なりと云ふ。溝口氏没落後廃絶し… 」と紹介している。
また、鬼女紅葉ゆかりの寺でもある。

イメージ 5城は墓地を登る

















イメージ 6登り切ったら、矢印部からとりつく

お寺に近く、比高も45mなので易く考えていた。












イメージ 71分ほどで社の跡に至るが、断念しようかと思うほどに藪がきつかった














イメージ 8社の跡

















イメージ 9嘆くなかれ、そこは既に城の北東隅に隣接している 

北東面は前面に土塁を備えた横堀を巡らせている。

後背郭1には北東辺縁に土塁を備えていない。






イメージ 11前面土塁と横堀イ

倒木の奥に土橋。













イメージ 13土橋















イメージ 12郭1への導線

まっすぐな坂登路。

堀込などの出入口造作はない。










イメージ 14坂から土橋



















   

イメージ 15郭1


45×25m程の長方形で、削平はされている。


写真中央やや左に祠の址。







イメージ 16もしかして、お寺?
















イメージ 19北東辺から横堀線
















イメージ 10北西下に帯郭
















イメージ 17南東下に山の神
















イメージ 21南東辺には土塁

土塁下は堀ア。













イメージ 20土塁郭内側中腹に石仏

わずかばかりお供えしました。











イメージ 22土塁下に堀ア

幅7m。













イメージ 23北東下方

横堀イと合流。













イメージ 24南西下方

山の神も囲う。














イメージ 26山の神















イメージ 27山の神の南東横を囲う堀ア














イメージ 25山の神から下方から堀ア















イメージ 18さきほどの仏様

堀アに面し、土塁からやや引いてお座りになられている。

なにをご覧になられているのか。

また来ます。









参考文献 宮坂武男(2013)『信濃の山城と館2』、戎光祥出版、pp.380-1



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