ここから本文です
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

書庫全体表示

イメージ 1
山岡鉄舟翁
 
 
国難とも言える東日本大震災。
国家を司る内閣総理大臣の要職にありながら、まるで何処の国の宰相なのかと疑いたくなるような首相。
そして、国家観に欠ける政府民主党。
明治維新の英傑、西郷南洲翁は、
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
と、『西郷南洲遺訓』に述べられています。
 
西郷南洲翁には、これといった著書がありません。わずかに西郷の言葉を伝えているのが、『西郷南洲遺訓です。
西郷南洲翁は、 無私の人だといわれます。
その西郷南洲翁が命も名誉もいらない、官位も金もいらないというような人は扱いに困る。しかし、このような人物でなければ困難をわかちあい、国家のために大きな仕事を成し遂げることはできない。この言葉は、山岡鉄舟のことを語ったと言われています。
山岡鉄舟は、西郷南洲翁との駿府(静岡市)での談判で有名です。その談判により西郷と勝海舟の交渉を実現し、江戸無血開城を成功に導きました。そうした鉄舟は、幕末屈指の剣術家であり、武士でした。
先祖に、戦国時代の剣豪、塚原卜伝、母に常陸国鹿島神宮神職・塚原石見の二女をもつ、山岡鉄舟は尊皇の志のある人でした。
東洋の軍事学の古典・『孫子』は、戦わずして勝つことを最上とします。
武士とは本来、戦士であり、兵法(軍事学)を実践する武芸者でした。しかし、『孫子』に見るような真の「武」の考えが、日本の武士道にはあります。
 剣法においては「殺人刀(せつにんとう)」と「活人剣(かつにんけん)」があるとされ、人を殺すより、人を活かす剣こそが、真の剣の道とされました。そして、相手と戦わずして勝つことが、最高の境地とされました。その境地に至るには、剣の技術以上に、心の修行が必要です。山岡鉄舟こそ、これを生涯実践した達人でした。
鉄舟は、剣の達人でありながら、暗殺の横行する血なまぐさい幕末の時代にあって、一人の人間も斬ることがなかったといわれます。
 鉄舟は自ら体得した剣の流儀を「無刀流」と名づけました。その極意を次のように述べています。
 「無刀とは、心の外に刀なしと云事(いうこと)にして、三界唯一心也。内外本来無一物なるが故に、敵に対する時、前に敵なく、後に敵なく、妙応無方朕迹(ちんせき)を留めず。是余が無刀流と称する訳なり」
鉄舟にとって「武士道」とは、中世の武士の間に初めて生まれたものではありませんでした。「謹んで惟(おもん)みるに、わが皇祖皇宗、この国を『しろし』召され、そのお徳を樹て給うことはなはだ深遠である。故に日本武士道はこれに伴うて、またはなはだ深遠である。天地未発の前において、すでにはらまれていたものである。さて、これは日本人の道というほうが至当である…」と鉄舟は語っています。また、「武士道という語句の中には…『日本人の守るべき道』という意味があるから、…上は王侯貴族より、下は方山里のきこりまで、また浦々の漁民までならして国民全般の修身宝道である」と述べています。
鉄舟のいう武士道は、日本古来の精神的原理であり、武士だけでなく、すべての国民が踏み行うべき道だったのです。こうした見方は、彼以後の武士道論に影響を与えました。
鉄舟は、幕末から明治にかけての大変動の時代を生きた人間です。明治維新によって文明開化がなされ、西洋の物質文明が急激に日本に流れこみましたが、鉄舟は、そうした西洋の科学・知識を否定するわけではありません。むしろ、大いに摂取するとよい、といいます。しかし、鉄舟は、物質文明と精神文明が調和してこそ「真の文明」であると考えました。そして、「今後は祖先伝来の武士道をもって頭脳となし、抽象科学、物質的思想を手足となし、武士道である頭脳が指揮官となって、物質的科学が手足のごとき遵奉者」と、ならなければならないと説かれました。
西郷南洲翁のたっての依頼により、明治5年に宮中に出仕し、10年間の約束で侍従として明治天皇陛下に仕えました。
明治天皇陛下の信任は厚く、ご下命により終生、御用係という役職につきました。
官軍・賊軍と分ければ、鉄舟は賊軍の幕臣出身でありながら、人物を見込まれたのです。明治天皇がまだ少年の頃、鉄舟に相撲を挑んだところ、鉄舟はいとも簡単に転がしてしまいました。わざと負けて、「お強いですね」とおだてたりするのでなく、立派な君主になって育っていただきたいという思いで、敢えて投げ飛ばしたといわれています。
西郷南洲翁との約束どおり、10年間このお役を務めた後、引退を申し出ました。
剣・禅・書の達人として知られた鉄舟は、人から頼まれれば断らずに書いたので各地で鉄舟の書が散見される。一説には生涯に100万枚書したとも言われています。
鉄舟は、人が揮毫の謝礼を差し出すと「ありがとう」と言って快く受け取り、そして貧乏で困窮した者が助けを求めてくると、惜しげもなくお金を取与えたと言われています。しばしばそういう場面を目撃した人が、「先生は御揮毫の謝礼は全部人におやりになるのですか」と訊くと、鉄舟は「わたしはそもそも字を書いて礼をもらうつもりはないが、困った者にやりたく思って、くれればもらっているだけさ」と答えた。こんな具合だったので、鉄舟はずっと清貧で通したそうです。
宮内省に馬車を差し回すといわれても固く断り、人力車で通いました。
 
鉄舟は、明治21年7月19日、胃ガンで亡くなりました。その最期は白衣に着替え、皇居に向かって遥拝して、座禅を組んだ姿勢で、静かに座死したと伝えられます。享年53
西郷南洲翁が命も名誉もいらない、官位も金もいらないというような人は扱いに困る。しかし、このような人物でなければ困難をわかちあい、国家のために大きな仕事を成し遂げることはできない。と記した名誉、権力に固持しない、鉄舟の人生でありました。
 
権力に固持し、執着し、国家を亡国に導こうとする現政権に少しでも学んで欲しいものである。
 
 
 
 

  • 顔アイコン

    おはようございます。

    また一つ、幕末のことを学ばせていただきました。
    ありがとうございます。

    傑作

    [ - ]

    2011/5/17(火) 午前 7:43

    返信する
  • 顔アイコン

    政治主導と言っては権力を好き勝手やりまくる民主政権に学ばせたい記事です。しかし、権力の頂点に立った愚かな彼らには理解できないでしょう・・・。

    傑作

    保守の会会長 松山昭彦

    2011/5/17(火) 午前 7:50

    返信する
  • 顔アイコン

    なにも言わず、転載させてくださいますか。

    朝から素晴らしい記事をありがとうございます。

    [ success ]

    2011/5/17(火) 午前 7:57

    返信する
  • 私も転載させてください。successさんのブログを見たものです。併せてお気に入り登録もさせてください。どうぞよろしくお願いします。

    [ 若べっとさま ]

    2011/5/17(火) 午前 8:36

    返信する
  • すばらしいお話ですね。戦前の日本には、このような人は、沢山いたのでしょうか。今から、若者から、西郷隆盛や山岡鉄舟氏を、育てましょう〜。転載させていただきます。

    たまりん

    2011/5/17(火) 午前 9:57

    返信する
  • 顔アイコン

    こんにちは。
    今の日本の、特に現在の首相やその側近がいかにひどいかよくわかりますね。小沢は尊敬する政治家に西郷隆盛を挙げていましたが、どこをどう見て尊敬しているのかまったく分かりません。
    転載させてください。
    傑作

    グレートケボチ

    2011/5/17(火) 午後 0:34

    返信する
  • 顔アイコン

    いつもながら、勉強になる素晴らしい記事です。
    私も転載させていただきます。
    ありがとうございました。傑作

    [ kakinoki ]

    2011/5/17(火) 午後 1:24

    返信する
  • 転載させてもらいます。

    ゆうき

    2011/5/17(火) 午後 1:38

    返信する
  • 顔アイコン

    ぜひ政治家を全員集めて教えてやってください。

    傑作

    [ 敬天愛人 ]

    2011/5/17(火) 午後 1:40

    返信する
  • 本日も素晴らしい記事です。

    極左の現政権には理解できません。

    傑作○です。

    近野滋之

    2011/5/17(火) 午後 2:09

    返信する
  • 顔アイコン

    山岡鉄舟と言えば明治帝のご酒癖を、柔術の抑え込みでお諫めしたとの逸話もあるとか。
    現在の某国政府に、そこまでして過ちを糺す諌臣は居ないようですが… 傑作○

    [ y_n**atani6*6 ]

    2011/5/17(火) 午後 10:56

    返信する
  • 今の民主党の唱える維新は

    なんちゃって維新ですね 傑作

    naomi_shararan

    2011/5/18(水) 午前 8:05

    返信する
  • おはようございます。

    あの明治維新は、西郷隆盛公の人徳もさることながら、幕末三舟といわれた高潔の幕臣の存在も無視できません。海舟も鉄舟もそして泥舟南州公を含め、そうした無視の人ゆえに大事をなすことができたのではないでしょうか。

    [ mana ]

    2011/5/18(水) 午前 10:36

    返信する
  • 顔アイコン

    こんばんは
    山岡鉄舟という人はそういう人だったんですね
    とても共感と好感と興味が湧きました

    転載させて下さい。

    あまのじゃく

    2011/5/19(木) 午前 0:29

    返信する
  • 今から思うと幕末には人材がそろっていました。
    人材がそろうと言う事は、教育した人がいて学べる環境があったのでしょう。

    テレビで江戸時代の教育が悪いなどとバカなコメンテーターが言っていたが、江戸時代の教育があったから、こういう人物が輩出したんだと思う。

    [ 無法松 ]

    2011/5/19(木) 午前 1:29

    返信する
  • 傑作。

    [ 無法松 ]

    2011/5/19(木) 午前 1:29

    返信する
  • 顔アイコン

    いつも素晴らしい記事をありがとうございます。
    山岡鉄舟とは、そのような人物であったのですね。
    理論的にはよく分かるし、頭ではよく理解できますが、
    自分が実践するとなると、容易ではありませんね。
    どうも私は自分の心に引きずられてしまいます。
    透徹した精神の境地に達するには、幼少のころから鍛練しておかないと、一朝一夕にはいかないと感じます。
    私はまだまだ荒御霊ですね。まだまだレベルが低いですが、少しでも見習わせていただきたいと思います。
    傑作、転載させていただきます。

    [ 朱雀 ]

    2011/5/22(日) 午後 11:30

    返信する
  • 顔アイコン

    山岡鉄舟は私も好きな人です。
    功績を誇らぬとても奥ゆかしいひとでしたね。

    大声で手柄を吹聴してさえずるビッグマウスの勝海舟とは大違い。 削除

    [ 鶴ヶ魂 ]

    2011/10/12(水) 午後 11:54

    返信する

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
  • 名前
  • パスワード
  • ブログ

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事