鈴木貫太郎翁
混迷を続け、迷走する我国の政治。
東日本大震災という、未曾有の災害に人災と言っても過言ではない追い打ちをかける菅政権。
同じ国難にありながら、自らの政権を全うされた総理がいます。
大東亜戦争を昭和天皇陛下のご聖断を仰ぎながら、終結させた第42代内閣総理大臣鈴木貫太郎翁です。
多くの文献等で、翁の功績は御紹介されていますのでここでは割愛します。
翁は、非国会議員・江戸時代生まれという二つの点で総理大臣を務めた最後の人物であり、また満77歳2ヶ月での就任は平成23年現在、日本の総理大臣の就任年齢では最高齢の記録です。
ご夫人の「たか」さまは、明治38年から大正4年まで皇孫御用掛として、幼少時の迪宮(昭和天皇陛下)、秩父宮、高松宮の養育に当られた。昭和天皇陛下は、侍従長・総理時代の鈴木に、「たかは、どうしておる」、「たかのことは、母のように思っている」と、語られたそうです。
鈴木貫太郎翁の御子息で、東京穀物商品取引所理事長を務められた、鈴木一氏
の寄稿文より引用し、翁を偲びたい。
投稿文字数の関係上、抜粋しています。
父貫太郎の一生
二千余年の日本歴史に、いまだかって経験したことのない日本本土の焦土化しつつある最中に、いわば日本民族が威亡するか、残るかという、その死活の運命を託されて内閣総理大臣の大命を拝した父は、日本歴史上まれにみる悲劇の人物であったと言わねばならない。
父の生まれた慶応3年といえば、明治元年の前年である。明治維新の動乱と同時に生を享けた父は、日本歴史の最も波瀾の多い一世紀を象徴している人物といっても過言ではあるまい。元来父は、海軍軍人として終わるべきはずであった。
日清、日露の両戦投には、あるいは水雷艇の艇長として威海衛の敵港深く突入し、あるいは駆逐隊司令として日本海々戦に敵艦二隻を撃沈し、水雷戦術の第一人者という折紙をつけられたが、不思議にも武運に恵まれて身に一弾も受けず、部下にも戦死者を出していない。
やがて海軍々人最高の栄誉たる軍令部長を歴任中、全く思いももよらぬ侍従長の任命を受け、今上陛下(昭和天皇)の側近に奉仕することとなった。青年将校を中心とする国家革新の機運の騒然たるさ中である。
果たして、昭和一一年二月二六日、いわゆる二・二六事件に遭遇し、反乱軍伍長の撃った三弾は、眉間、心臓、睾丸と急所を突いたが、奇跡の連続で一命を取りとめ得たのは、正に終戦の大業に当たらしめんとの天のたくめる配慮としか思われない。
軍人は政治に関与すべからず、これが父の信条であった。父は文字どおり政治は大きらいであった。かって海軍最大の疑獄事件たるシーメンス事件を処理するため、最も政治色のない人物として海軍次官に抜擢されたときも、料亭や待合での話合いはいっさいやらないことを条件にもちだしたくらいであった。
昭和二十年四月五日、重臣会議は一致して小磯第二次戦時内閣の後継内閣首班として父を推薦したが、枢密院議長として重臣の一人に参加していた父は、頑として応じないので、木戸内大臣は陛下にじきじきの説得をお願いし、父は陛下のご前において、自分は生来の武弁であって、政治は全くの素人であること、老齢で耳が聞こえず、重大なる過ちせ犯しては申訳ないことを申し上げて、ご辞退したのであるが、陛下の「耳が聞こえなくてもよいからやれよ」との再度のお言葉を拝し、全くいかんともすることができず、ついに大任をお受けしたのだ々とその夜待受けていたわれわれに語ってくれた。
そのときの悲壮な面持ちは、今でもありありと眼底にあって忘れることはできない。おそらく生死を越えた、ただ陛下の大御心を体し、いかにして日本民族を救うべきかの一念に凝思した高い高い心境であったと思われる。
四ケ月の終戦内閣は、口には一億玉砕を唱えなければ、いつクーデターが起こらぬともかぎらない。父の真意はただ一人の閣僚にすら打明けることができないという苦しい月日がたっていった。
日ごろ自分は旗売りであると自認していたとおり、原子爆弾とソ連の参戦の報を手にするや、一気呵成にご聖断方式によって、さしもの終戦の大業は成就したのである。
世になぜもっと早く終戦にできなかったかという人がある。多少の波瀾はあったが、大局的に見て一糸乱れぬ終戦にもちこみ得たのは、この時期を正に捕えたからにほかならない。早きに過ぐれば、必ずや陸軍によるクーデターとなり、遅きに過ぐれば、三八度線による南北二つの日本ができていたであろう。幸いにして陛下とともに日本民族は滅亡を免れたのである。
しかし、八月一五日早朝、国を売った鈴木総理を殺せといって、兵隊の襲撃を受け、わずか一・二分の差で身をもって難を免れ、悲劇の主人公の大団円とはならなかつたのである。そして昭和二三年四月十七日、「水遠の平和」の一語を残して郷里関宿の自邸に眠るがごとき大往生を遂げた。
「大勇院殿尽忠孝徳日貫大居士」の成名は、かって座右の銘とした奉公十則の内に「傲慢なるべからず」の一条があるが、あえて自らこの戒名を書き遺していった。父の自信のほども偲ばれる次第である。享年八二歳。菩提寺千葉県関宿の実相寺に葬る。
奉公十則(鈴木貫太郎日常訓)
一.窮達を以て節を更ふ可からす
一.常に徳を修め智を磨き日常のことを学問と心得よ
一.公正無私を旨とし名利の心を脱却すへし
一.共同和諧を旨とし常に愛敬の念を存すへし
一.言行一致を旨とし議論よりも実践を先とすへし
一.常に身体を健全に保つことに注意すへし
一.法令を明知し誠実に之を守るへし 自己の職分は厳に之を守り他人の職分は之を尊重すへし
一.自己の力を知れ僑慢なるへからす
一.易きことは人に譲り難き事は自ら之に当るへし
一.常に心を静謐に保ち危急に臨みても尚ほ沈着なる態度を維持するに注意すへし
正直に
腹を立てすに
撓ます励め
生前、鈴木貫太郎翁は、「足るを知る者は富む」という『老子』の言葉を多用されていました。「足るを知る」、つまり分を認めるということです。
「足るを知る」を知らない現在の総理大臣の下で、多くの国益、国民の生命と財産が失われていることさえ知ろうともしない、愚かな総理大臣を、天命を全うされた鈴木貫太郎翁には、どう映っているでしょうか?
|
おはようございます。
鈴木総理大臣の信念に敬意を表します。
高齢でありながらのお務め、誠に尊いことに存じます。
ありがとうございます。
傑作
[ - ]
2011/7/18(月) 午前 6:14
黙殺は大いなる嘘です。会見前に原爆投下命令が下っていました。
傑作
2011/7/18(月) 午前 7:41
奉公十則を拝見して、身の引き締まる思いがします。
誤った歴史観に惑わされず、日本らしく筋の通った国家としての道を歩むべきと、最近強く思います。
いつもすばらしい記事、ありがとうございます。
[ success ]
2011/7/18(月) 午前 8:03
偉大なる鈴木元総理を韓直人ごときゴミ屑と比較する事などできません。
日本の良心である陛下に首相指名権があるならば韓直人のようなキチガイなどが総理大臣なる事も無く、首相任命賢者であると同時に罷免権があるならば即座に罷免できるのに。
反日売国奴に政権を奪われるような欠陥だらけの現行憲法の廃止を強く望みます。
[ wal*i*gdrea*in* ]
2011/7/18(月) 午前 8:50
現在の我が国で、私が知る範囲で、鈴木翁に近づく様な人格者が、いらっしゃるでしょうかぁ・・・?
傑作。
2011/7/18(月) 午前 9:29
さくらの花びら様と同意見です。
また、そこがポイントですね。
傑作
[ 敬天愛人 ]
2011/7/18(月) 午後 7:27
当時なら棺直人みたいな類は、真っ先に特高に摘発されていたでしょうね!
傑作○
[ y_n**atani6*6 ]
2011/7/19(火) 午前 1:04
涙なしには見られない動画ですね。昭和天皇陛下のお写真を拝見しても、陛下の覚悟が思われ、、またこの会議の方々の思いが想像され、涙が止まりません。この先人たちの築いてきた、素晴らしい日本を自覚しない多くの国民がほんとに情けないですね。悔しいです。
傑作
[ さざんか ]
2011/7/23(土) 午後 10:50
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
コメントを頂戴し、またご支援賜り、誠に有難う御座います。
訪問コメントを優先したく、纏めコメントで失礼致します。
もちろん、頂いたコメントは全て拝読させて頂いております。
日頃のご配慮に感謝します。
2011/8/16(火) 午後 5:39