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小村寿太郎侯 肖像
本ブログをご覧いただいている皆様におかれましては、丹羽宇一郎駐中国大使が7日までの英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューで、東京都の石原慎太郎知事が表明した尖閣諸島の購入計画について「実行されれば日中関係に重大な危機をもたらすことになる」と述べた。ことはご存知だと思います。
丹羽氏をめぐっては今回の英紙インタビューに先立つ5月4日にも、訪中した横路孝弘衆院議長と習近平国家副主席との会談に同席し問題発言をしていたことが7日、分かりました。
丹羽氏は習氏に対し、日本国内で石原氏による沖縄・尖閣諸島の購入表明を支持する意見が多数を占めることについて、「日本の国民感情はおかしい」と述べていた。複数の横路氏同行筋が明かした。
丹羽氏はこの際、「日本は変わった国なんですよ」と発言しています。
丹羽氏が「中国最強商社」を自任し、対中ビジネスを重視してきた伊藤忠商事の社長経験者であることは、就任前から懸念されていたことです。
その外交素人の丹羽氏を「政治主導」の象徴として、民間から初の中国大使に起用したのは民主党政権であり、野党からは当然、「その大使の言動について民主党の責任は免れない」(自民党の世耕弘成参院議員)と任命責任を問う声が出ています。
「日本は変わった国なんですよ」・・・・・
日本国民、ひいては畏くも天皇陛下を侮辱するものです。
政府は媚中外交を展開する丹羽氏を召還、更迭し、政府民主党も国民の信を問うべきです。
かって清国代理公使を務め、日清戦争の後、駐韓弁理公使や外務次官、駐米・駐露公使を歴任。明治33年の義和団の乱では、講和会議全権として事後処理にあたり、明治34年、第1次桂内閣の外務大臣に就任。明治35年、日英同盟を積極的に主張して締結。日露戦争後の明治38年、ポーツマス会議日本全権としてロシア側の全権ウィッテと交渉し、ポーツマス条約を調印した小村寿太郎侯に倣うべきです。
小村寿太郎侯はシナの李鴻章と対面した際、巨漢の李に「この宴席で閣下は一番小そうございます。日本人とは皆閣下のように小そうございますか?」と背の低さを揶揄されたのに対して、「残念ながら日本人はみな小そうございます。無論閣下のように大きい者もございます。しかし我が国では『大男 総身に智恵が回りかね』などといい、大事を託さぬ事になっているのでございます」と切り返すなど一歩も引かぬ堂々した態度でした。
日清戦争開戦時は、小村寿太郎侯は北京の代理公使でしたが、東京から国交断絶、開戦の通告が一向にこないのに業を煮やして、これでは開戦の時期を失してしまうと言って、独断で公使館の国旗を降ろして北京を退去してしまう。 もっともこのときは、単なる電報の配達の遅れだったようで、入れ違いに訓令が来たましたが、こんなことは、一身を顧みず国事しか念頭に無い人以外は出来ないことです。 明治の人たちの出処進退について、われわれ戦後の日本人が感嘆するのは貧乏を恐れない度胸です。
ポーツマス会議日本全権としてロシア側の全権ウィッテと交渉した際も、ヴィッテは両国間で秘密とされた交渉途中の内容をアメリカの新聞記者に漏らして恩を売るなど世論工作を繰り広げましたが小村寿太郎侯は武士道の国の代表として秘密を守り通しました。
講話会議での交渉は難しく、日本とロシアの要求の折り合いがつかず難航を極めた。
しかしアメリカの協力と、寿太郎の粘り強い努力と、巧みな交渉術と、日本政府の譲歩などによりポーツマス平和条約が締結された。 ポーツマス条約が結ばれた深夜、ホテルの一室から妙な泣き声が聞こえてくるのを不審に思った警備の者が小村寿太郎侯の部屋を訪ねると小村寿太郎侯が大泣きしていたのを発見したのです。
日露戦争で我国は連勝し、優勢でしたが、国の財政は厳しく、戦争を続けるのは至難だったのです。
小村寿太郎侯にとってこの条約の調印は苦渋の決断だったのです。
交渉決裂の危険もあった日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)の調印になんとか成功した小村寿太郎侯でしたが、国民は賠償金が取れなかったことに不満。マスコミも「講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」と報道し、この交渉を酷評するなどしたため、戦勝気分から一転して日本国内は不穏な空気に包まれた。そんな雰囲気のなか帰国した小村寿太郎侯を新橋駅で迎えた内閣総理大臣・桂太郎と海相・山本権兵衛は、小村寿太郎侯の両脇を挟むように歩き出したという。これは、もし爆弾等を投げつけられたときに、小村寿太郎侯だけではなく共に死ぬ覚悟を固めていたのです。
小村寿太郎侯は本来はタカ派中のタカ派でありながら、ハト派の汚名を受けつつも、死ぬまで一言の釈明もしなかった男らしさ、それこそ明治の男でした。
それよりも、小村寿太郎侯の真の偉大さは、その透徹した洞察力、それをあくまでも政策に実現しようという強固な意志力、行動力、そしてその全ての背後にある強烈な国家意識、つまり愛国心にある。
小村寿太郎侯はこの後、2度目の外相時に日韓併合を指揮する一方、宿願の関税自主権の回復に成功する。そして職を辞して3カ月後の明治44年11月、療養先の葉山で静かに逝かれました。享年56。
ときに「小村がおれば」と惜しまれた明治大帝も、その8カ月後に崩御されました。
現世の政治家は、政治生命を賭してと軽々しく言いますが、明治の政治家は政治生命ではなく、命を賭していたのです。
勿論、それは強烈な国家意識、愛国心から生まれたものです。
現世の政治家は明治の偉人に倣い、国民は明治の気概を取戻すべきです。
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商売人の限界でしょうね。
東京都の尖閣買上げ宣言がいかにシナにとって深刻かを証明してます。
2012/6/8(金) 午前 10:33
こんにちは。転載させていただきます。傑作です。
2012/6/8(金) 午後 0:51
>「日本は変わった国なんですよ」…
<こう言う不届き者が居るのが変なんですよね。
<自らの顔に唾を吐く発言です。
明治の男は良いですね!傑作☆
2012/6/8(金) 午後 1:52
昔の政治家は私財を投げうってでも国のために立派な政治を行(おこな)ったと聞いたことがありますが、強い愛国心を持ち自分のことは後回しにした小村寿太郎侯のような腹の大きい政治家は、今の日本にはなかなか見当たりませんね。
傑作です。
[ daisinshoten ]
2012/6/8(金) 午後 3:06
ネズミはうどの大木を負かします^^
傑作○です。
2012/6/8(金) 午後 5:30
あいつは シナにたっぷりワイロもらってるに決まってます
2012/6/8(金) 午後 6:47
「日本は変わった国なんですよ」
伊藤忠の看板が泣きます。
傑作
2012/6/9(土) 午前 0:29
>日本は変わった国なんですよ!<
変わってるのはオメェだろっ!とツッコミを入れたくなりますが
非国民は牢屋にいれて太陽を浴びさせない罰を与えなければなりません!
傑作☆
2012/6/9(土) 午後 7:59
琴鈴様
傑作・コメント・転載ありがとうございます。
感謝いたします。
2012/6/10(日) 午後 4:29
watch様
仰せのとおりにございます。
傑作・コメントありがとうございます。
2012/6/10(日) 午後 4:33
おれは27だよ様
御意にございます。
傑作・コメントありがとうございます。
2012/6/10(日) 午後 4:34
トマト王子様
素人大使を任命した政府の「愚」の骨頂ですね。
傑作・コメントありがとうございます。
2012/6/10(日) 午後 4:35
愛国直哉様
傑作・コメント・転載ありがとうございます。
感謝いたします。
2012/6/10(日) 午後 4:36
家元様
100年で大きく変わってしまった日本人の資質・・本当に残念です。
傑作・コメントありがとうございます。
2012/6/10(日) 午後 4:39
daisinshoten様
仰せのとおりにございます。
傑作・コメントありがとうございます。
2012/6/10(日) 午後 4:40
こんの様
御意にございます。
傑作・コメントありがとうございます。
2012/6/10(日) 午後 4:41
ナオミ様
それは間違いないでしょう・・悪徳商人です。
傑作・コメントありがとうございます。
2012/6/10(日) 午後 4:42
アナリスト様
伊藤忠兵衛は何と言われるでありましょうや・・
傑作・コメントありがとうございます。
2012/6/10(日) 午後 4:43
タケシ様
仰せのとおりにございます。
非国民が大手を振れる時代が悲しくおもいます。
傑作・コメントありがとうございます。
2012/6/10(日) 午後 4:45
小村寿太郎は、フリーメイソン加入禁止令を出した人ですね。
つまり、小村寿太郎は、アメリカと連合軍の恐ろしさを知っていたのだと思います。
小村寿太郎は、愛国者だと思います。
[ カール(カヲル32) ]
2012/7/20(金) 午後 9:01