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先帝陛下 御尊影 御寫眞
社頭寒梅(昭和二十年)
風さむきしもよの月に世を祈るひろまへ清くうめかをるなり
この御製は昭和二十年、すなわち敗戦の年の先帝陛下(昭和天皇陛下)の御製です。この御歌をお詠みあそばされた陛下の御心はどのようなものであったのか。この大御歌を拝する時、この一言一句からおそらくこれ以上はないであろうほどの悲痛な御心であられたと推察します。
爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかにならむとも
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて
国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり
上記の大御歌のように國民をお護り下さるため「身はいかにならむとも」という捨身の御覚悟と「いばら道をすすみゆく」との御決意もなさりあそばされておられます。
昭和二十年一月、米軍ルソン島上陸、三月、東京大空襲、硫黄島全滅、六月沖縄守備軍全滅、八月六日つづいて九日、広島、長崎の原爆投下、ソ連対日参戦と続き、ついにはポツダム宣言を受諾し、陛下は終戦の詔りをなされることになる。明治天皇以来、「君臨すれど統治せず」と、あれほど律儀に立憲君主の政体に影響を及ぼしはしないかと御政務向きに批判をなされたり、意見を表にお表しにならず憲法に忠実であらせられた陛下が万感の極に至る御一念で超非常の御聖断を下されました。
「本土決戦か、あるいは、ポツダム宣言の受諾による降伏か」という決断の時、昭和二十年八月十日、時刻は正午近く、陛下の御前での最高戦争指導会議で意見がわかれ、ついに鈴木貫太郎内閣総理大臣は「意見の一致をみませぬので、ここで陛下のご聖断を仰ぎます。」と陛下に御伺いした。陛下は静かにお立ちあそばされた。
この日の御前会議に列席した下村宏国務大臣内閣情報局総裁が、御前会議の様子をその著『終戦秘史』に記しているので引用しました。 下村は日本放送協会会長 をも務め、8月15日正午、昭和天皇による玉音放送に際し、情報局総裁として本放送の前後に言葉を述べたことでも知られています。
陛下が民族悲劇の先頭にお立ちになり国民を滅亡の危機から救わんとの御心からでた陛下の御言葉がいかに強く御前会議に列席した人々の心をうったかが引用文からもおわかりいただけるでしょう。
こうして大東亜戦争は終りを告げることとなり、こうして日本は救われたました。このことに陛下もお泣きになった。8月15日の玉音放送にすべての国民が号泣しました。 これが昭和史が涙によって書かれた日なのである。陛下は終戦の詔で戦死した者、またその遺族のことを思う時、「五内為ニ裂ク」と仰せられたがこの一語は、「死よりも遥かにまさる苦しみを意味します。それは、地獄の業火になかに立って、なお死ぬことのできないほどの極限の苦しみ」なのであると葦津珍彦氏は述べています。それほどの苦しみになかで陛下は御聖断を下されたのであった。多くの国民は、強い衝撃を受けたが、この陛下の御気持ちをよく理解し、その意味の深さに慟哭したのであった。それゆえに屈辱的な敗戦にもかかわらず大きな混乱もなく平穏に終戦することができたのである。
昭和五十年十月、陛下は御在位五十年をおむかえになられるにつけて日本記者クラブの合同記者会見をされたがその時
記者 − これまでに三回広島へ行かれ、広島市民にお見舞のことばを述べておられますが、戦争終結にあたり原爆投下されたことをどう受け止められましたか。 陛下 − この原子爆弾が投下されたことの対して遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから広島市民に対して気の毒であるが、やむをえないことと思います。 という記者の質問と陛下のお答えがあった。この陛下の御言葉に対して「日本原水協」は「御発言はあれほど悲惨であった原爆被爆者にとっては、大きなショックであり、容認できない。」という談話を発表した。
何と不敬でありましょう。
「広島原水禁」「広島県被団協」も同様の談話を発表したのである。何という軽率な見識であろうか。そもそも戦争とは原爆であろうが、通常爆弾であろうが悲惨であり、むごたらしいものなのだ。今大戦のすべてにおいても「遺憾ではあるが、やむをえなかった。」のであった。
メディアは「終戦の詔書」を知らないのか。不見識にも程があります。
そうであったから先帝陛下は戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及ヒ其ノ遺族ニ想ヲ致セバ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
と仰せられたのではなかったか。「五内為ニ裂ク」とは先に述べたように「地獄の業火の中に立ってなお死ぬことのできぬほどの苦しみ」という意味であるが、これほど戦死した者、その遺族のこと、被災者のことに心を痛められたのであった。 陛下は毎年八月十五日に行われる終戦記念日の戦没者追悼式において、御言葉に「今なお胸の痛むのを覚えます。」と仰せられる。これは、単なるお言葉ではない。毎年毎年くり返し「胸が痛む」とおっしゃっておられ、崩御あらせられた前年も病中の御身であらせながら、戦没者追悼式におでましになられたことでもおわかりいただけるでしょう。 神州日本が滅びるかもしれない。畏くも先帝陛下は神であらせられた。それは神でなくしては成り得ないであろう御自分の御身と引き替えに国民を救われたのである。平和主義に徹せられた陛下は当然この戦争には反対であらせられた。この陛下の意に反した開戦でしたが、立憲君主として憲法に忠実であらせられ、責任ある機関で決定したことであるから止むを得ず開戦を裁可されたのであった。このことは昭和史の研究の進んだ今日では誰もが知ることです。 それにもかかわらず、陛下は万民の命に代えて御身を捨てる御決意であられました。
さらにはこの敗戦の責任を御一人でうけて立とうとなされたのです。
先帝陛下のご聖断は民族の生命の輝きとして忘れ去ってはならぬことなのです。
畏くも、先帝陛下の「大御心」を
この記事は昨年一月二十日の拙ブログの記事を再記載いたしました。
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皇室の記事







神国日本のご聖断でありました。
終戦の詔書にそのことが凝縮されております。
ナイス
2012/8/10(金) 午前 7:49
本日も感動しました。
ナイス○です。
2012/8/10(金) 午前 9:38
転載させて頂きます。
応援&今日の ナイス ポチ凸
2012/8/10(金) 午前 10:15
昭和天皇の「戦争責任云々」と言うものにして、法令を上げたものいない。先帝陛下は、海戦にあたっても、敗戦決定も、憲法に正しく従われた。明治憲法は「民主主義の先端を行っていた」。大政翼賛会は独裁政権の維持。近衛は京都大学の卒論「計画経済学」である。
スターリンと通じていた説あり。PHP出版、中川八洋「近衛文麿の戦争責任」読まれよ。
[ - ]
2012/8/10(金) 午前 10:54
昭和天皇の優しさと情け深さを感じます。
それが仇となってしまい、今の在日朝鮮人達がのさばってしまう原因になるとは、思わなかったのでしょうね。
もう少し、朝鮮人達の犯罪に冷徹になって欲しかったです。
ナイス。
2012/8/10(金) 午前 11:57
天皇陛下、万歳\(^_^)/
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2012/8/10(金) 午後 2:19
正義が常に勝つとは限らないという非情さも受け入れなければならない事の苦悩は最終責任者であられる陛下の宿命として受け入れなければならない。
史上稀に見る大虐殺者であるフランクリン・ルーズベルトやトルーマンという悪魔と戦争する以上は奴等の無差別爆撃によるホロコーストは覚悟しなければならなかった上に無条件降伏を受け入れなければならない事を最終的に決断するという重責を果たされた陛下は戦地に行かずとも御心は常に戦地で戦う兵士や空襲に逃げ惑う市民と共にあられたと思います。
[ wal*i*gdrea*in* ]
2012/8/11(土) 午前 10:09
コメントを頂戴し、またご支援賜り、誠に有難う御座います。
訪問コメントを優先したく、纏めコメントで失礼致します。
もちろん、頂いたコメントは全て拝読させて頂いております。
日頃のご配慮に感謝します。
2012/8/13(月) 午後 7:26
おんぼろのラジヲで、徒切れ途切れの電波で
父達が聞いて居た事を思い出します。
天皇陛下の心痛、ほんの少しでしょうが、
今、解ります・・・
☆。
2012/8/14(火) 午前 7:21
常夜灯様
コメント、ナイスありがとうございます。
2012/8/14(火) 午前 7:38