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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

書庫中国

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台湾人医師の直言  林 建良 著



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日本よ、こんな中国とつきあえるか?(十四ノ一)いまだ滅びぬ日本人のサムライ精神よりつづきます。



7.いまだ滅びぬ日本人のサムライ精神


●人生のすべてを台湾独立運動に注いだサムライ

私が日本で会った初めてのサムライは、今でも台湾独立建国運動に指導的役割を果たしている宗像隆幸氏である。


宗像氏は孫文を助けた宮崎滔天と同じ九州の出身で、片や鹿児島、片や熊本である。彼がかつて著した『台湾独立運動私記』の副題は「三十五年の夢」と付けられていて、これもまた、滔天の著書『三十三年の夢』を彷彿とさせる。確認したことはないが、おそらく滔天にならって付したのであろう。この副題からも宗像氏が独立建国運動に携わってきた心象風景が垣間見えるようだ。


一九五九(昭和三四)年、まだ明治大学の学生だった宗像氏(一九三六年生まれ)は、同じ下宿にいた留学生の許世楷氏から声をかけられてこの運動に参加している。許世楷氏はのちに台湾独立建国聯盟主席となり、二〇〇四年七月、台湾の駐日大使に相当する台北駐日経済文化代表処の代表に就任している。


宗像氏はこの許世楷氏からB介石政権の残虐ぶりを聞いて憤慨し、台湾独立建国聯盟の前身である台湾青年社に入る。それ以来、今日に至るまでの四五年間、台湾独立運動一筋でやってきた人物である。長年、「台湾青年」編集長をつとめ、自らも多くの論考を発表してきている。


宗像氏がやってきたことは、われわれ台湾人にはなかなか真似できるものではない。台湾人の独立運動家は、私のように医者をやったり先生をやったり、片方で生計を立てつつ参加してきたし、今でもそうである。しかし彼は、台湾独立運動こそ我が事業だとして、すべての時間を投入して取り組んできたのである。


独立に命を懸けるとはどういうことかについては『台湾独立運動私記』に詳しく書き記しているが、運動のために彼は二度も拘置所に入れられ、台湾政府に批判的な留学生を強制送還しようとした日本政府に対してハンガーストライキを敢行するなど、体を張って行動している。これまでの台湾独立運動のすべての面に関わってきたと言ってよい。


このような宗像氏の活動について、許世楷駐日代表夫人で、これまで共に独立運動に携わってきた盧千恵氏はあるとき、申し訳ない思いを込めて「人生の全部を独立運動に注ぎ込んでよかったと思う?」と聞いたことがあったそうだ。そうすると宗像氏は「うん。独立運動なき人生なんて考えられないよ。よかった、よかった」と、鷹揚に答えてくれたという(「台湾青年」停刊記念号掲載「私達の青春は勇敢な歌」)。やはり、サムライ精神の持ち主である。


宗像氏は今でも台湾独立建国聯盟日本本部の中心的人物であり、彼の建国の理論は独立運動の重要な指針となっている。

台北で独立ビラを撒いて逮捕されたもう一人のサムライ

もう一人は、やはり台湾独立建国聯盟に参加している小林正成氏である。小林氏は東京の下町で中小企業を営む経営者であるが、台湾の戦後の悲惨な状況を聞き、義侠心からこの運動にかかわる。一九六七(昭和四二)年、小林氏が三四歳のときだった。


当時、台湾はB介石独裁政権の真っただ中にあり、このさ中の一九七一(昭和四六)年の五月九日、「母の日」を選び、その夜、小林氏は台湾独立や戒厳令解除などを主張したビラを台北市内のビルの屋上からバルーンにつけてばら撒いたのである。その結果、警備総司令部に逮捕され、四カ月も勾留されることになる。さんざん調べられて、国外追放となって日本へ帰国したのは八月三一日の深夜だった。


羽田に着いたときの小林氏のひと言がふるっている。外事課の刑事を黙らせた絶妙なやり取りを小林氏の自著『多謝、台湾│白色テロ見聞体験記』から紹介してみたい。


「小林さん、もう懲りたでしょう」

「何がでしょう?」
「いや、今回のような事件ですよ」
「いえいえ、今までは秘密盟員でしたから。こんな事態になって秘密盟員という訳にはいかんでしょう。これからは正々堂々、正面から行動し、全力でやりますよ」
「われわれは小林さんから、これからは台湾の政治問題にはいっさい関わらない、という言葉が出てくる事を期待していたんですがね」
その言葉に私は、人の気持ちを理解出来ない唐変木と思ったが、
「台湾には、無実の罪で抹殺されようとしている仲間が沢山いるのです。自分が安全な場所に身を置いたとたん、ヤーメタなんて、とてもじゃないが私には出来ませんよ」

外事課の刑事は小林氏のこのひと言にただただ驚くばかりで、小林氏を自宅まで車で丁重に送り届けたそうである。これが小林正成氏なのである。サムライである。


●李登輝・ビザ発給問題で尽力した二人の若きサムライ


私は一九九九(平成一一)年に在日台湾同郷会の会長に就任した。当時の在日台湾同郷会は資金もなく会員もほとんどいない、壊滅寸前の組織だった。


この年の九月二一日午前一時四七分、大地震が台湾を襲った。震源地は台湾中部の南投県の集集鎮というところだった。その大きさは、四年前に起こった阪神・淡路大地震のマグニチュード七・二を上回る七・七だった。震源地から約一五〇キロ離れた台北市でも、一二階建てのビルなどが倒壊し、犠牲者数は二四四〇人を数えた。


当時の台湾は任期を八カ月残すばかりになっていた李登輝氏が総統で、夜の明けるのを待って、総統執務室へも寄らずに被災地へ直行して自ら陣頭指揮を執るなど、迅速果敢に救済活動を進めた。のちにこのときの活動は『台湾大地震救災日記』としてまとめられ、日本語で出版されている。


またこのとき、日本政府は世界で一番早く、そして過去最大規模の国際緊急援助隊を台湾に派遣してくれたことを覚えている台湾人は今でも少なくない。私自身も、日本隊が台湾に一番乗りしてくれたときの感激を昨日のことのように覚えている。


私たちも祖国の窮状を救おうと、台湾に帰り被災地に入ってボランティア活動したり、東京で活動をはじめた。このとき一緒に救済活動をしてくれたのが、当時、台湾研究フォーラム代表だった柚原正敬氏であり、事務局長だった永山英樹氏である。地震からさほど日を経ない土曜日、柚原・永山両氏をはじめとする台湾研究フォーラムの有志が池袋駅東口の街頭に立って募金活動をはじめたのだった。これには多くの在日台湾人が感激した。


その後、翌々年(二〇〇一年)の四月になって総統を退任した李登輝氏が心臓病の治療のため来日するにあたり、日本政府がビザを発給しないという問題が発生した。このときも台湾研究フォーラムの柚原・永山両氏は、われわれ在日台湾同郷会と一緒に外務省前で座り込みデモを敢行したのだった。


四月一一日には「日本政府が入国ビザ申請を事実上拒否」という報道に接し、これは台湾人の尊厳を踏みにじるものとして、私は在日台湾同郷会会長として日本政府へ抗議と決定の変更を要求した。台湾研究フォーラムの柚原氏もこれに呼応して翌一二日、「李登輝氏へのビザ発給問題に関する声明」を発表し、日本政府に対して人道に則った措置と中国の内政干渉を排した主権国家としての威信を示すよう抗議したのだった。


その後も紆余曲折はあったものの、四月二〇日の深夜、ようやく河野洋平外相は李登輝氏に対するビザ発給を決定し、四月二二日、李登輝氏は関西国際空港に降り立つこととなったのである。このとき、約四〇〇人の日台有志が手に手に日の丸や台湾旗を千切れんばかりに振りつつ関空に出迎えたのである。


しかし、今でも記憶に新しいのは、当時の河野外相が「中国のことに想いを致し、慎重に扱わねばならない」とか、槇田邦彦アジア大洋州局長が「今の時期、そんなことをすれば、日中共同声明とのかかわりで政治問題化する。査証発給は難しい」と言って、中国に阿る発言をくり返していたことだ。また、このときの陳健中国大使が「治療は口実だ。訪日によって中国を分裂させ、日中関係を破壊する」とまで李登輝氏を誹謗したことは、決して忘れられない。


今や李登輝前総統はノービザで来日できるようになった。たかだか五年ほど前のことなのに今昔の感を覚えるのは私一人ではあるまい。


●台湾問題では一番の精鋭部隊に成長


この台湾研究フォーラムは、一冊の本からはじまった。一九五五(昭和三〇)年生まれの柚原氏は二〇代後半に出版社を設立している。一九九六(平成八)年春、編集長だった柚原氏の担当で『台湾と日本・交流秘話』という本を出版した。台湾で大学学長をつとめていた許國雄氏を監修者に、大学教授だった名越二荒之助氏と日台交流団体の事務局長をつとめる草開省三氏を編者とし、若手執筆人を中心に、戦前からの台湾と日本の交流史をまとめたものだ。柚原氏も執筆に加わっている。当時、この出版社にいた永山氏も執筆者の一人だ。そのほかには、神社関係者や学校の先生、歯科医、会社員など総勢一六名が執筆に加わっていた。


ところが、柚原氏をはじめ若手執筆者は全員、祖父母が台湾生まれであるとか、身内に台湾人と結婚した人がいるとか、台湾と特別な縁があったわけではない。ほとんどが台湾は未知の世界だった。そこで、柚原氏は名越教授から原稿が届いたことをきっかけに、執筆者の勉強会を兼ね研究会発足を思い立つ。それが台湾研究フォーラムの前身の台湾研究会である。


発足時は執筆者四、五人ではじめたそうで、少し名前が知られてきたときでも十一、二名の小さな研究会だったという。ところが、毎月一回の研究会を重ねるうちに若手の論客や知識人がどんどん入会して会員が増えはじめ、今では優に一〇〇名を超している。台湾問題では一番の精鋭部隊と言ってよい。





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続く・・・・



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