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比較文化史家・東京大学名誉教授 平川祐弘氏
平成十八年三月一九日、 防衛大学校卒業式の来賓祝辞は素晴らしいものでした。 祝辞をされたのは、平川祐弘(ひらかわ すけひろ)東大名誉教授で、日本の近代史を文化的に観察し、かつ国際比較において分析する点で洞察の深い文化論を展開し、『和魂洋才の系譜』、『西洋の衝撃と日本』『米国大統領への手紙 市丸利之助伝』などの著書があります。 以下が、5分間の『祝 辞』から全文を引用します。。 この良き卒業式にあたり古歌を引いて御挨拶といたします。 市丸 利之助(いちまる りのすけ)海軍中将
平川教授が賞賛してやまない市丸中将は多くのブロガーが記事とされています。拙ブログの拙稿、『ルーズベルトニ与フル書』 市丸 利之助海軍少将...でもご紹介させていただきました。 投稿文字数に制限がありますので、以下に動画を記載します。 市丸中将は、与謝野鉄幹、晶子の主宰する文芸誌「冬柏」に柏邨(はくそん)という号で歌を寄せた歌人でもありました。 以下に中将の歌を抜粋します。 あさみどり空澄みわたる支那の秋楊(やなぎ)の色はなほ衰えず 昭和十五年 生絹とも綿ともつかぬ雲流れ機影とともに虹走るかな 重慶爆撃 昭和十六年 その肩を敲き自爆を命じたる友の写真に揺らぐ香煙 やよ三郎隊長さまが見えたるぞかく媼(おうな)いふ生けるが如く 昭和十七年 いみじかる戦果なれども二十一機は自爆せりあたら若武者 勇ましき機上戦死ぞ然れどもぬかづけば只涙溢るる 七星と南十字の向ひ合ひ半月高し島のあかつき 昭和十八年 十余年前に死したる飛行兵生きてありきといふ夢をみぬ 夢に見んわが養ひし飛行兵少なからぬが亡せにける今 大陸に太平洋に勇ましき部下を死なせつ我れいまだ在り 昭和十九年 筆者が驚くのは、爆撃に出た機上でさえも、中将のこころが静かなことです。また、部下を思う気持ちが強くあられることも胸を打ちます。 中将の歌は、毅然として立つ軍人としての歌、反面、空に散った教え子の若鷲たちを思って涙する歌、家族愛に満ちた優しい父の顔、源実朝に学んだ自然詠などがあり、ことのほか富士山を憧憬した80余首は、絶唱だと平川教授も讃えています。 とれば憂(う)し とらねば物の数ならず 捨(す)つべきものは弓矢なりけり 国を挙げての戦争は、国家の目的と目的がぶつかったときに、その紛争を解決するための最後の手段です。 大東亜戦争に関していえば、「優秀な白人種」が「劣勢民族である有色人種」を絶対的に支配し、蹂躙し、奪うのが当然とする価値観と、人種の平等と合い共に繁栄することを求める理想との戦いです。 戦いに「かつ」ということは、単に戦闘に勝つということだけを意味しません。 「克つ」は「勝つ」と同じで「かつ」と読みます。 「克つ」は、成し難きことをしおおすことを意味し、戦いに「克つ(かつ)」ことは、戦いの究極の目的を遂げることです。 思うに、市丸中将は、自らの死を目前として、たとえ硫黄島が奪われ、我が身が土に還ったとしても、人が人として生きることの大切さをこの「書」にしたためることで、死して尚、日本の描いた壮大な理想、悠久の大義のために戦い続けようとしたのではないでしょうか?。 市丸中将の「書」は、全米の良心を動かし、いまや人類の常識として後世に立派に生き残っているのです。 |
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市丸司令官は大変立派な方です。
皇后陛下が硫黄島で歌われたお歌は市丸中将の思いを汲まれたお歌でありました。
ナイス
2013/4/30(火) 午後 11:05
転載させて頂きます。
応援&今日の ナイス ポチ凸
2013/5/1(水) 午前 0:25
さくらの花びら様
御意。
ご来訪、コメント、ナイス、感謝いたします。
2013/5/1(水) 午後 7:33
hito様
いつもありがとうございます。m(_ _)m
ご来訪、転載、ナイス、感謝いたします。
2013/5/1(水) 午後 7:34
ご来訪いただきました方々、ナイスをいただきました方々に篤く御礼申しあげます。m(_ _)m
2013/5/1(水) 午後 7:35