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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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支那事変の最中の昭和13年、渡辺はま子は従軍慰問に明け暮れていました。その頃、日本では彼女の「愛国の花」「支那の夜」「蘇州夜曲」などがヒットしていました。
 
はま子は、貨車の上でも、戦闘機の前でも、美しい衣装を着て歌い、戦場の将兵たちには歌姫と言われ「これが私の戦争協力」と言って、はま子は歌い続けました。
 
そして、終戦後に帰国、日本では「あの戦争は間違っていた」と言う声が大勢を占めるようになり、戦争犯罪人として捕らえられた人々の家族は「戦犯の子」「戦犯の妻」と後ろ指を指されていました。
冗談じゃないわ。それじゃ国のために命を捧げて戦った人々が可哀想過ぎるわよ」と、はま子は巣鴨拘置所や、傷病兵、戦犯家族などを慰問して廻っていました。
 
終戦時にフィリピンには14万人の日本人捕虜がいましたが、昭和21年のフィリピン独立後にも150人の戦争犯罪容疑者がモンテンルパ刑務所に収容されていました。
そして、昭和26年1月19日には14人が突然、処刑されました。14人のうちの13人はセブ島でのゲリラ退治での村民虐殺事件で死刑宣告されていましたが、その半数近くは現地にも行ったことがない者ばかりでした。
日本軍の雑役夫だったフィリピン人が対日協力の罪を問われることを逃れるために、闇雲に「この人だ」と指をさして、無実の罪にしていました。
 
また、フィリピン政府は日本に対し80億ドルもの賠償を要求しており、この額は当時の日本の国家予算の4分の1でもあり、とても当時の日本に支払える金額ではありませんでした。
残された戦犯たちも希望を失い、「80億ドルの代わりになろうじゃないか。日本のために死ぬんだ」と叫ぶ者もいたといいます。
 
昭和24年10月にフィリピンに派遣されてきた僧正の加賀尾(かがお)秀忍は6ヶ月の任期も過ぎ、無給のままモンテンルパに留まっていました。
加賀尾が日本を出発する時、戦犯家族達は加賀尾にすがって泣きました。
この人たちを救わないで、どうして僧と言えようか
 
当時「異国の丘」という歌が日本中でシベリア抑留者のことを思い出させていました。「ここでモンテンルパの歌が出来たら、日本の人々に思いが通じるかも知れない
教誨師として戦犯者たちと起居を共にして何とか助け出そうと考えていた加賀尾は「歌を作ろう」と考えました。加賀尾は死刑囚の元憲兵である代田銀太郎に作詞を頼み、作曲はモンテンルパの中の教会でオルガンを独習して弾いていた元将校の伊藤正康に頼みました。この時、伊藤は≪行ったこともない土地で住民虐殺した≫という罪で死刑判決を受けていました。
 
加賀尾は出来上がった歌をはま子に送りました。はま子が早速、控え室でピアノを弾いてこの歌を歌っていると、ディレクターの磯部氏が入ってきてこの歌を聞いていました。「いいね、なんの歌。これ吹き込みしよう」と即決しました。
モンテンルパの無実の死刑囚達の作った歌は、はま子の歌としてレコード化されました。昭和27年7月「あゝモンテンルパの夜は更けて」が発売され20万枚を超える大ヒットとなりました。
 
はま子はフィリピン郊外マニラのモンテンルパで、100名以上の元日本兵たちが戦犯として捕らえられて、悲惨な状況にあることを聞かされました。そして、モンテンルパに慰問に行きたいと申し出ますが当時フィリピンとの国交はまだ回復していません。行けないことはないが、それは極めて危険な状態でした。
しかし、はま子は「フィリピンで捕まったらそのモンテンルパに入れるじゃないの。思う壺じゃない。行きましょうよ」それは決死の覚悟でした。
 
昭和27年12月24日、はま子は念願のフィリピン・マニラ郊外のモンテンルパを訪れました。『歓迎 渡辺はま子様』の横断幕。
モンテンルパの日本人死刑囚の前に出たはま子はこう言いました。
皆さん、渡辺はま子です。お国の為にお働きになった皆様が終戦となった今でも外地にてその罪を償う為、今ここにいらっしゃるこの現実を目の当たりにして言葉もありません。何かして差し上げたいと思う気持ちはあれど、ここに来るのが精一杯でした。そして私には歌う事しかして差し上げられません。心を込めて歌います。」(肉声テープより)
 
「あゝモンテンルパの夜は更けて」を歌う時となりました。ここの同胞である死刑囚たちが作詞・作曲した歌です。
 歌い始めると聴衆の中からすすり泣きが聞こえ始めた。そして一緒に歌う声、声、声・・・、大合唱となりました。
 
昭和28110日、モンテンルパから日本に持ち帰ったテープを全国放送で流しました。「あゝモンテンルパの夜は更けて」をはま子と合唱する日本人の同胞たちの声が全国へ流されました。これにより全国の日本国民はモンテンルパで無実の罪で刑の執行を待ち続ける怯えた我が同胞の存在を知ることになりました。
 
このテープの最後には加賀尾は声を震わせて、このように語りました。
祖国日本の皆様、家族の皆様、どうか苦しい、辛い、辛抱をしてこられたことでありましょう。しばらくの間、待っててください。そして祈ってください。祖国の土を踏むまでは、決して力は落としません
この放送により、日本全国で一刻も早く助命しようと嘆願運動が巻き起こりました。
 
元軍人でオルゴール会社を経営していた吉田義人さんは、はま子の歌を聴いて感動し、当時できたばかりのアルバム式オルゴールにこの曲を詰めました。吉田から富士山の蒔絵のオルゴール2冊を送られたはま子は1冊を加賀尾に送りました。
 
昭和28年5月16日、加賀尾はちょうどその時、外務省との度重なる交渉の末、フィリピンのキリノ大統領との初めての会見が許されました。
キリノ大統領は妻と3人の子供を日本軍に殺されており、「どうせ加賀尾も涙でも流して戦犯を釈放してくれと泣き落としにかかるのだろう。そんな涙には騙されない」と考えていました。
 
ところがキリノ大統領と会見した加賀尾は何も言いませんでした。そして黙ってオルゴールを置いただけでした。そのオルゴールを開いてみると中からは哀しいメロディーが流れてきました。
キリノ大統領は「悲しい曲ですね。何という曲ですか」と聞くと加賀尾は「モンテンルパの戦犯者が作ったものです」と言いました。そう聞くとキリノ大統領はそのメロディをじっと聞き入りました。
 
大統領は深く頷いて、聞き終わると、静かにオルゴールを閉じて言いました。
7月4日の独立記念日には日本人を二人釈放してあげましょう。二人というのは小池君と藤崎君です。戦争中、私が捕虜になっていた時、こっそりと庇ってくれたのです。この二人については早くから何とかしたかったのです
 
6月27日、大統領府からの連絡で「7月4日の独立記念日を機会に一部の者に恩赦、釈放の恩典を与えるので、それに値すると認められるものを指名せよ」とありました。そして一夜明けると、その決定がこうなりました。
死刑囚、無期刑囚を全員釈放する。死刑囚は無期に減刑して日本の巣鴨に送還する
 
キリノ大統領は周囲にこう語ったと言います。
加賀尾は言葉の代わりに音楽を持ってきた。その音楽が私の心の琴線に触れた。日本は戦争に負けたとはいえ、かくのごとく巧妙で、堂々たる外交ぶり、一同、よくこの日本人に学ばねばならないぞ
 
釈放前日、加賀尾と108名ははじめて仲間の墓に行きました。そして処刑された仲間17名の遺骨を掘り起こし、遺骨になった仲間に「皆と一緒に日本に帰ろう」と言った。
 
7月15日、帰国者108名が日の丸を掲げた白山丸(はくさんまる)で帰国します。
短い人で9年、長い人では15年ぶりの帰国です。
 
7月22日午前8時半、白山丸は横浜の大桟橋に着岸しました。これを待ち受けたのは港を埋め尽くす2万8千人もの日本の国民たちでした。これほど多くの人々が自分たちを出迎えてくれたことに帰国者たちは驚き、そしてこんなに大勢の人たちが関心を持ってくれたことが釈放の原動力になったに違いないと思いました。加賀尾は処刑された仲間の遺骨から先に船から降ろしました。
 
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自分が食べていくだけで精一杯の時代、そして、戦犯の家族が後ろ指を指されていた時代に、出迎えた2万8千人の中には帰国者とは縁もゆかりもない人々もたくさんいました。しかし、モンテンルパの同胞を出迎えるためにこれほどの国民が集まってきたのでした。
・・・・・・・
 
渡辺はま子はその後も歌い続けました。しかし、平成元年に引退。
引退後は認知症が進行し、脳梗塞に倒れたこともあり、家族以外の者との会話がほぼ困難になり、晩年は寝たきりの生活だったといいます。
 
亡くなる数日前からあまり意識も無かったのですが、娘さんがモンテンルパに行った時の本人の肉声のテープを聞かせると、娘さんの言葉に何度も頷き、目から一筋の涙を流し、その瞬間に最後の笑顔を見せたと言います。
そして、1999年11月、89歳の生涯を閉じました。
 
モンテンルパは終戦後の混乱期に日本国民が忘れかけていた同胞への思いを目覚めさせてくれたのでした。
 
 
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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    さくらの花びら様よりの転載記事です。いつもありがとうございます。
    「日本人よ、誇りを持とう」 をブログ」タイトルに輝かしい誇りある日本をご紹介くださっておられます。

    是非、転載元様へもご訪問いただき秀逸な記事の数々をご覧ください。願わくば拡散にご協力お願いします。

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    2013/9/1(日) 午後 0:24

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    転載感謝いたします。

    保守の会会長 松山昭彦

    2013/9/1(日) 午後 9:46

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    さくらの花びら様

    転載させていただきありがとうございます。

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    2013/10/6(日) 午前 9:35

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