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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

書庫神宮

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「伊勢に行きたい伊勢路が見たい
せめて一生に一度でも
わしが国さはお伊勢に遠い
お伊勢恋しや参りたや」

と伊勢音頭で唄われたように、
昔から神宮参宮は日本人の憧れでした。

江戸時代は長旅には通行手形がないと関所を通れなかった。冒頭の画像は幕末のころ実際に使用された通行手形です。

差上申手形一札(さしあげまうすてがたいっさつ)の事
白須甲斐守知行所
武州幡羅郡原ノ郷村
名主 権左衛門組下
百姓 庄八
弟 龍三
当年三十五才
右の者壱人 今度(このたび) 伊勢参宮
罷(まかり)通り候(さうらふ)間(あひだ)
御関所 無相違(そういなく) 御通し被遊候(あそばされさうらふ) 仍て如件(よってくだんのごとし)
元治元年  右名主 権左衛門
子 六月   組頭 惣右衛門
七右衛門
横川御関所
御役人衆中様


昔の伊勢参宮の時期は、正月を過ぎ、稲の種蒔きが始まる前までの、新暦では1月から4月までの時期が多かったようです。


江戸時代、国民の6人に1人が神宮に参宮したと言われています。
日本人は元来伊勢神宮に対する崇拝心が強く、神宮参宮は、特別にご利益があるとされていました。
江戸からは片道15日間、大阪からでも5日間、名古屋からでも3日間、東北からも、九州からも参宮者は歩いて参拝した。岩手の釜石からは100日掛かったと言われています。
お蔭参りの最大の特徴として、奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で参詣したことにある。これがお蔭参りが抜け参りとも呼ばれるゆえんである。大金を持たなくても信心の旅ということで沿道の施しをうけることができた時期もあったのです。
江戸時代、庶民の移動、特に農民の移動には厳しい制限があったのですが、神宮参宮に関してはほとんどが許される風潮でした。特に商家の間では、子供や奉公人が伊勢神宮参詣の旅をしたいと言い出した場合には、親や主人はこれを止めてはならないとされていたのです。また、たとえ親や主人に無断でこっそり旅に出ても、神宮参宮をしてきた証拠の品物(お守りやお札など)を持ち帰れば、おとがめは受けないことになっていました。
また、庶民の移動には厳しい制限があったといっても、神宮参宮の名目で通行手形さえ発行してもらえば、実質的にはどの道を通ってどこへ旅をしてもあまり問題はなく、参宮をすませた後にはや大坂などの見物を楽しむ者も多かったのです。
明和8年の群参のときから、広く「おかげまいり」と言われるようになり、それ以前の群参については「おかげまいり」と呼ばずに、前述していますが、「ぬけまいり」と呼んでいました。皇太神宮のお札が降ったとか、多くの人たちの伊勢まいりが始まったとかの噂が立つと、子は親に断りなく、妻も夫の許可なく、奉公人も主人に無断で伊勢参宮に出掛けました。その旅姿は、白衣に菅笠で一本の杓を持ったりもしました。また、彼らは多く集団を作って旅し、のぼりや万灯を押し立て、「おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ」と歌い踊り歩きました。日頃の生活を離れて自由に旅ができ、十分な旅行費用を用意しなくても、道筋の家々が食べ物や宿泊の場所を与えてくれました。それを神のおかげとし、妨げると天罰が下るとされました。
山田三方会合所の記録や本居宣長の『玉勝間』によれば、宝永2年の群参は50日間で362万人に達し、京都から起こった群参の波は、東は江戸、西は現在の広島県や徳島県にまで及ぶほどでした。次の明和8年の「おかげまいり」の総人数は、不明確ですが、宮川の渡し人数から見ても200万人以上に達し、東北地方を除く全国に及んだと言われています。さらに、文政13年の場合は、約500万人が伊勢へ伊勢へと押し寄せています。
当時の庶民にとって、伊勢までの旅費は相当な負担でした。日常生活ではそれだけの大金を用意するのは困難です。そこで生み出されたのが「お伊勢講」という仕組みである。「」の所属者は定期的に集まってお金を出し合い、それらを合計して代表者の旅費とする。誰が代表者になるかは「くじ引き」で決められる仕組みだが、当たった者は次回からくじを引く権利を失うため、「講」の所属者全員がいつかは当たるように配慮されていたのです。くじ引きの結果、選ばれた者は「講」の代表者として伊勢へ旅立ちました。旅の時期は、農閑期が利用されました。
伊勢では代参者として皆の事を祈り、土産として御祓いや新品種の農作物の種、松阪や京の織物などの伊勢近隣や道中の名産品や最新の物産を購入したのです。無事に帰ると、帰還の祝いが行われ、江戸時代の人々が貧しくとも一生に一度は旅行できたのは、この「講」の仕組み、相互扶助
の精神が役立っています。
筆者の生まれ故郷では、つい近年まで伊勢講が存在していました。
お蔭参りに行く者はその者が属する集落の代表として集落から集められたお金で伊勢に赴いたため、手ぶらで帰ってくる事が憚るられ、当時の、最新情報の発信地であったお伊勢で知識や技術、流行などを知り見聞を広げるための旅でもあったのです。お蔭参りから帰ってきた者によって、最新の装束(織物の柄)や農具(新しい品種の農作物)がもたらされ、に代わって、手動式風車でおこした風で籾を選別する唐箕が広まったのです。
 
また迎える伊勢近辺ではどうだったでしょうか?
参宮人の宿泊を認めたお触書きが残存しています。
 
参宮人の宿泊を認めた触書き(駒田家文書「御用状写帳 二」)
 
 
伊勢別街道に近い久居藩領多門村(現芸濃町)の「御用留」閏3月14日付けの大庄屋から村への触れには、「参宮人が多く、旅籠屋での宿泊に差し支える場合は、宿続きの村方に宿泊させるようにし、難渋している者がいたならば、志のある者が宿泊させてもよい」とあり、同時に「火の用心」「農業の手抜きがないように」との記述が見られる。
また、藩から村への触れでは、「参宮人が多く、旅人や難渋者への施行は、奇特なことである。中には施行を進められ、やむを得ず行っている者もあるが、それは心得違いである。施行駕籠も異様な客には出してはならない。ただし、病人や足が痛く歩行困難な旅人に施行することはよい。もちろん、農業に差し支えないように心得るように」とある。多少、藩と大庄屋との間で村への触れの内容が違うが、いずれも困っている旅人への施行を認め、農業に差し障りがないように心がけることとしている。
また、伊勢国紀州藩田丸領でも、「銘々門に立つ者へ合力等を致すように」「宿に困る者については、明家を用意し無賃にて泊まらすように」「施行は心次第、多少によらず施すように」などの通達が見られる(『玉城町史』下巻)。一方で、田丸代官からの各村落への触れには、「参宮人が多く、往還筋の飯米が差し支えるため、領内での米の売買は認めるが、他領への米の移動は禁止」とある。ただ、同じ紀州藩尾鷲組大庄屋記録には、「お蔭参り」に関する記述は見られない。
これらのことから、同じ藩であっても、地域差によって参宮客への対応が異なったことがわかる。
これらを迎え入れる神宮領の資料を見てみると、閏3月ごろの記事に「参宮人で病気になり難渋している者は介抱すること」「宿がない難渋者に対する宿施行を行うこと」「旅籠屋の宿泊料を安くすること」「商人が諸色値段を高くしないように」などの触れが、宇治会合から各村に対して出されている。神宮のお膝元では、こうした参宮人を迎え入れるための準備を行っていたのである。
また大坂の豪商鴻池家は一人50文ずつ、計700万両を施し、空き家はすべて宿泊施設とし、伊勢路では各所で粥を炊いてお蔭参りの人々に奉仕したと言われています。
 
 
ござを丸めて、その先にひしゃくを背負う姿はお伊勢参りの定番のスタイルでした。
その姿をみた主要街道、伊勢路の人々は施行(おもてなし)を行い、無銭でお伊勢参りが可能にしました。


 
 
 
しかし、病気やその他様々な都合により、伊勢参宮に行きたくてもどうしても行けないという人もおり、そういった人達は、自分の代理として他の人に伊勢にお参り行って来て貰う事で、神宮に代参をしたのです。
そして、そのうちに、人間ではなく自分の犬に代参を託す人も出てくるようになり、近所でおかげ参りに行くという人に自分の犬を預けて連れて行って貰ったり、もしくは、道中の人々がその犬を伊勢へと案内してくれる事を期待して、犬一匹だけで送り出される事もあったようです。こういった犬のおかげ参りは江戸時代後期に流行り、おかげ参りをしている犬である事がすぐ判別できるよう、上記画像にあるように、犬には御幣や注連縄が付けられ、また、犬の首には道中のお金などがくくりつけられて送り出されました。
伊勢へと通じる道々では、そうした犬が来ると皆で餌をあげたり泊めるなどして、その分のお金を少し貰ったりもするのですが、逆に「これはとても立派な犬だ」と言ってお金を足してあげる人も多く、犬の首に掛けられている袋のお金が増えてくると、袋が重くて犬が可愛そうだと一枚の銀貨に両替してくれる人までいたそうです。当時の人々はとても信心深かったので、おかげ参りをしている犬からお金を盗むような人はなく、こうして犬は人々の善意に支えられながら伊勢へと送り届けられていったのです。
 
神宮の「おかげ参り」「参宮」に思いを馳せる時、いかにかっての日本人が大らかで、崇敬心が篤く、同じ日本人を労わるこころがあったかお解りいただけるでしょう。
神宮が「日本人」の「こころのふるさと」と言われている由縁です。
 


























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    これぞ日本人の心であります。

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    保守の会会長 松山昭彦

    2013/9/1(日) 午後 9:49

  • 日本人に生まれて幸せです。
    式年遷宮に当り、この様な歴史を改めて勉強したく存じます。

    転載させて頂きます。

    ナイス☆

    so-kei♪

    2013/9/3(火) 午後 0:09

  • 素晴らしい記事、素晴らしい動画を、どうもありがとうございます

    ナイス

    [ MYU ]

    2013/9/4(水) 午後 11:23

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    コメントを頂戴し、またご支援賜り、誠に有難う御座います。
    訪問コメントを優先したく、纏めコメントで失礼致します。
    もちろん、頂いたコメントは全て拝読させて頂いております。
    日頃のご配慮に感謝します。

    アメブロにタイトル同じで移行。

    2013/10/6(日) 午前 9:41

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