|
三内丸山遺跡 出土品編 Sannai-maruyama Remains (Artifact reviews)
四年前の三月十一日、大津波がわが国の東日本を襲いました。 現代日本人が経験したことのない逆境の中で日本人は日本人らしさを現しました。想像を超える自然の脅威に打ちのめされるなかで、被災地の人々は自分より弱い立場の人々をわが身を犠牲にしてまで当然のように守ろうとしました。地震と津波で根こそぎすべてが倒壊、破壊され、大事な家族や先祖伝来の田畑(でんばた)や生きていく上に必要なものをすべて失った方々がいました。 しかし、そんな状況の下で人々はお互いを気遣い、子供やお年寄りを守りました。三月上旬の東日本の寒さ厳しい時の中で、一枚のコート、一枚の毛布を自分より弱い立場の人に与え、一つのおにぎりさえも分かちあったのです。 被災地の有事に緊急の支援の物資を送る企業やこころある人々、このような日本人の姿に世界中の人々が涙し、感動しました。 平成七年一月に筆者の住む兵庫県を襲った阪神淡路大震災でも同様の光景が見られました。 世界の人々は驚きました。「どうしてあの凄まじい被害、状況の中でわれ先にと争うことなく秩序を保ち、優しさと勇気が保てるのかと・・」 そうした世界の問いに、多くの日本人は「自然な振る舞い、行動です」と答えました。 日本人は昔より、「どう生きるか」を先人や先祖の生き様を行動規範として生きてきました。 どのように生きるか?人間らしく生きれるか?現代日本人は模索しています。筆者はいつも思うのです、わが国の歴史を振り返れ、先人・先祖に学ぶべしと・・ 歴史の中に我々日本人の精神を培った心優しい先人の姿が見えてきます。先人のこころに学ぶことこそ、日本人としていかに生きていくか学ぶことに繋がっていくと思うのです。 これら日本人の特性は百年や二百年で醸成されたものではありません。遠い縄文の時代から連綿と引き継がれてきたものです。 冒頭の動画にある三内丸山(さんないまるやま)遺跡の発見は筆者らがかって学校で教わった縄文文化を覆す発掘でした。 (「やまとごころ」とは何か)田中英道著 に述べられています。 縄文人の死者の弔い方は人間に対してやさしさと思いやりの精神性が伝わるものです。三内丸山遺跡では墓地が重要ないちを占めています。三内丸山遺跡のお墓はみんな平等で、大きなお墓、小さなお墓の区別はなく、男女別々に埋葬され、子供たちは特別に供養されていました。三内丸山遺跡では個々の家族の集合体ではなく、集落全体が一つの大きな家族として暮らしていたと言われています。 大家族の一員として、それぞれの役割を務め、分け隔てなく豊かな食料が分配され、死者は集落の内部に埋葬され、生者も共に暮らしていたのです。 これらの生活は1500年もこの集落で続いたと言われています。平和で、やさしさに満ちた社会でした。 縄文文化の代表は「土偶」だと言っても過言ではありませんが、その土偶の形相は異形の相のものがあります。それらは血の繋がりの濃い結婚によって生まれた奇形や遺伝病の子供を表現したものと言われています。幼くして死んだ子供を弔うために作られたのが土偶だと言われています。三内丸山遺跡では母の胎内にいるかのように深鉢型の土器に納められています。 縄文人の子供に対する深い愛情が感じられます。 征服に次ぐ征服によって国が形成された外国と違い、大きな家族の延長として国が形成されたわが国とではその国民性、文化、死生観まで大きく異なります。 縄文の精神性が神道の基本的な考え方、「御霊信仰」にに引き継がれ日本人の魂の形成へと繋がっています。 我々日本人の国民性は長い悠久の歴史を紡いだ精華でもあるのです。 天皇彌榮(すめらぎいやさか)
|

>
- Yahoo!サービス
>
- Yahoo!ブログ
>
- 練習用






日本人の精神は他国には真似が出来ないと思いました
素晴らしい民族だと思います☆
ナイス☆
2015/3/27(金) 午後 10:37
八紘一宇精神ですね。
[ さとみゆ ]
2015/3/28(土) 午前 0:10
大日本帝国万歳
美しき国 日本
何時までも永遠に美しい国 日本
[ 博多の鷹 ]
2015/3/28(土) 午前 0:32
三内丸遺跡と吉野ヶ里遺跡とは全く違います。
縄文人の血こそ日本人であり、弥生人は大陸の倭人の血が入っています。
ナイス
2015/3/28(土) 午前 9:11
縄文人と弥生人が交じり合ったとしても大和民族の血は世界に冠たる血脈です。
2015/3/28(土) 午前 10:24