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戦後日本は多くの災害に遭い、多くの同胞がなくなりました。
犠牲者の数だけ遺族が存在します。
多くの方々が犠牲者の冥福を祈り、その遺志を継承されました。
今年は大東亜戦争戦闘状態の終結から70年の秋を迎えますが、軍人230万人、一般人80万人、合計310万人が戦禍に斃れられ、これは肇国以来の大事でした。
70年の時は経ても戦禍に斃れた遺族は今なお健在であり、忘れてはならぬことです。最近の若者の一部には、わが国が米、英、支、蘇、四国を相手に戦ったことすら知らない人が増えてきています。
産経新聞編集委員の宮本雅史氏が<特攻「戦後70年」>と題し、他紙にはない視点で取材し、秀逸な記事を展開してくれました。
筆者は今なお大東亜戦争で散華された御霊に思いをよせる人々に涙しました。日本人はどうなってしまったのだろうか?、彼らが後世の我々に遺したかった日本は今の日本なのかと・・・
「英霊は黙して語らず」
しかし、父を、母を、兄を、弟を、姉を、妹を、祖父母を、婚約者を亡くした遺族は御霊の最期を、遺志をご存じです。
ほんの一部ですが、抜粋してお伝えしたいと思います。
昨年10月25日、愛媛県西条市の楢本神社で「神風特攻敷島隊並びに愛媛県特攻戦没者追悼式典」が開かれ、全国から遺族が参列しました。
式典では、曽我部隆二飛曹=当時19歳=の弟の勲さん(84)が遺族を代表して次のように述べられた。
「血潮たぎる若者が祖国を守らんと志願し、靖国神社で会おうを合言葉に陸、海軍合わせ240万人にも上る同胞が国難に殉じましたが、その御霊は今、靖国神社で安らかに鎮まっているでしょうか。皇室はじめ歴代総理大臣も公式参拝できないのです。これが独立国日本の姿でしょうか。私は尋ねたい「国のために逝きたる御霊は安らけきか」と・・」
人間魚雷「回天」金剛隊員として昭和20年1月、特攻を敢行し戦死した塚本太郎少尉=当時21歳は遺族に肉声の円盤と手帳を遺しています。
少尉の弟、悠策さん(79)は実家に戻った少尉に胸ぐらをつかまれ、頬を叩かれた。「両親のことはお前に頼んだぞ、たった一人の弟に言いたかったのだと思う。体でそれを覚えさせようとしたのだろう」
また、母親の遺した手帳に少尉は次のように述べられています。
「俺ハ立派ナ日本人ニナレレバ満足ダ。忠義一途ノ人間ニナレバ、ソレガ人ニ知ラレズニ消エヨウト、誤解ノ中ニ葬ラレヨウト、俺ハ満足ダ」
悠策さんは「手帳を読んでいると、国の為に夢中になって、自分のことを考えていないことが分かる。今の人には全然ないことだ。そんな日本に歯ぎしりしている人はたくさんいるよと」と涙を浮かべた。
「亡き人の今はの際の足跡を 遺し給ひし知覧恋しく」と知覧の慰霊祭でこの詩を詠まれた小栗楓子(ふうこ)さん(95)は第105振武隊の隊長として昭和20年4月22日、沖縄沖で戦死した林義則少尉=当時24歳=の婚約者でした。小栗さんは戦後林義則少尉を慰霊されてきました。
そして少尉が眠る沖縄の海に思いを馳せておられます。
「私が死んだら、お骨は沖縄の海に沈めてほしい。あの人を捜して巡礼の旅に出るつもり。あの人に会えるかしら」と涙をあふれさせ、言葉をつながれた。
「私はあの人のおかげで生かさせてもらった。でも今の日本を見ると、かわいそうで仕方がない。あの人たちは何のために死んだのかしら。あの人たちの姿と思いを、今の日本人は忘れてしまったのかしら」
楓子(ふうこ)さんの戦後はまだ終わっていないのです。
陸軍第72振武隊
上記の写真を見たことがあるという人もいるのではないでしょうか? 写真に写っているのは、全員17歳、18歳の少年です。彼らはこの写真が撮られた13時間後に沖縄の海にて戦死。最年長の隊長は23歳でした。
子犬を抱いているのが荒木幸雄伍長=当時17歳=です。
君がため世のため何か惜しからん
雲染む屍と散りて甲斐あり いざ往かん防禦砲火も何のその 愛機と共に撃ちて砕けん 荒木伍長の辞世です。
荒木伍長の兄、精一さん(88)は戦後70年の現実をこう憂いる。
「七十年の間に日本人として、大事なものが欠落してしまった。一番大事なのはこころの問題。毎日のように悲惨な事件が起きている。日本のこころのの文化がなくなってきている」
近年、荒木伍長らと同世代の若者らが関係する殺人事件や、自殺が続発しています。親が子供を、子供が親を手にかける事件が如何に多いことか・・・
荒木伍長ら戦禍に散った御霊は今の日本をどう思うだろうか?
知覧や靖国に遺されている遺書の多くは、父母や妻子に当てた愛情溢れる文面に満ちています。素晴らしい文章、魂が入った文章です。また、中には、私たち後世の日本人に宛てた「後に続く者を信ず」という言葉が見られます。 編者、宮本氏は連載を終えて次のように締めくくられています。 想像を絶する苦悩を克服し、肉親との恩愛を振り切って、従容な態度で出撃したのである。特攻を美化するあまり、特攻隊の誠に気付かず、彼らの心情や「将来を託す」思いを見過ごしてしまうことを恐れる。と・・・
「若者よ、 君たちが 生きるきょうという日は 死んだ戦友たちが生きたかった 未来だ」八杉康夫氏(戦艦大和語り部)
今の日本でよいのか?
参考文献 産経新聞 特攻「戦後70年」
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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英霊の名誉回復の第一歩は真実の教育からです。
>産経新聞編集委員の宮本雅史
7月11日に保守の会で講演することが決まりました。
非常に楽しみです。
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2015/4/5(日) 午前 8:49
画像は飛燕ですね
非常に故障の多かった機体です
鹿児島 知覧平和記念館に展示してあります
また若き特攻隊員は鹿児島県万世から逝かれた荒木伍長ですね
子犬を抱く少年特攻兵として有名な画像です
彼ら特攻隊の意思を日本は軽んじている事が本当に悔しくってなりません
知覧には過去何度も訪ねました
幾たびに 彼らの気持ちを考えれば胸が熱くなりました
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[ 博多の鷹 ]
2015/4/5(日) 午後 2:01
荒木伍長は知覧からといわれていますが
正式には万世基地からの出撃でした
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[ 博多の鷹 ]
2015/4/5(日) 午後 2:02
素晴らしい記事をありがとうございます〜
こうして伝えてくれる方も大切だと思う事が多々あります
若い命を未来の為に託してくれた先人の思いを受け継いで良い日本を維持して行かなければならないと思います
気持ちが分からない方は、回天の模型に乗って下さい
どんな大勢でどんな気持ちになるでしょうか
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2015/4/5(日) 午後 4:54
良い文章は書けませんでしたが
トラバさせて下さいねm(_ _)m
2015/4/5(日) 午後 4:55
偉大な先達に感謝します。
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2015/4/5(日) 午後 8:31
転載させて下さい
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[ 月と星の夜 ]
2015/4/5(日) 午後 10:51