東京・永田町の国会議事堂周辺などで行われた安全保障関連法案に反対する集会をめぐり、支那出身の評論家、石平氏が「平和を語る資格」について産経新聞に寄稿した。石平氏らは北京大学在学中の1982年頃より、毛沢東暴政の再来を防ぐ目的で中国民主化運動に情熱を傾け始め、1988年4月に日本に留学し、日本語学校入学。1989年に天安門事件勃発。祖国と精神的決別した。石平氏は安倍晋三首相をののしる言葉の暴力に「日本のリベラルは死んだ」と嘆いた。石平氏の寄稿は次のとおり。
言葉の暴力
8月30日、国会議事堂前での安保法案抗議集会で、山口二郎法政大教授は安倍晋三首相に対し「お前は人間じゃない」との暴言を吐いた。時代劇の決めぜりふからの借用らしいが、現代の人権感覚からすれば、それは明らかに、安倍晋三という一個人に対する言葉の暴力である。
反安保法案運動が始まって以来、映画監督の宮崎駿氏は安倍首相のことを「愚劣」と罵倒し、日本学術会議前会長で専修大教授の広渡清吾氏は7月末に安倍首相のことについて「バカか嘘つきか」と二者択一の手法でののしった。そして学生団体「SEALDs(シールズ)」の中核メンバーの奥田愛基氏に至っては、8月の連合主催の国会前での安保集会で「バカか、お前は」と罵声を安倍首相に堂々と浴びせた。
言葉の暴力平気な人間は平和を語る資格なし
こうした中で反安保法案運動はそのしかるべき趣旨から逸脱して理性と節度を失い、単なる安倍首相に対する「怨念の個人攻撃」へと変質した。このような「平和運動」はもはやその名に値しない。言葉の暴力を平気で振るうような人間たちに、「平和」を語る資格はどこにあるのか。
さらに問題なのは、前述のような発言に対し、反安保法案運動の陣営から内部批判も自己反省もいっさい聞こえてこないことだ。日本の「保守」とは対極の「リベラル」を代表するような新聞などもそれをいっさい問題視していない。このような異様な事態はむしろ、日本のリベラル全体において基本的な人権感覚がまひしていることを示している。言葉の暴力を容認するような「リベラル」はリベラリズムと言えるのか。
奥田氏や山口氏の暴言が吐かれたその日、そしてそれを容認してしまった時、日本の「リベラル」はすでに死んだ。
誇りないのか
今から26年前、私の世代の多くの中国人青年が北京の天安門広場でそれこそ命がけの民主化運動を展開した。しかしわれわれは、本物の独裁者のトウ(登におおざと)小平に対しても「お前は人間じゃない」といった暴言を吐いたことはない。われわれはただ、民主化の理念を訴えただけだった。だから、民主化運動がトウ小平の解放軍に鎮圧されたとしても、われわれには誇りが残った。
民主主義社会の中で「鎮圧」される心配のない日本の反安保法案運動に参加している皆さんも、このような誇りを持ってしかるべきではないだろうか。
まさに正鵠を得た忠告です。天安門事件は当時の学生らが命を賭して支那を民主化しようと決起したものです。
しかし、当時の支那の指導者はこれらを武力鎮圧、以降民主化の火は消えてしまいました。しかも天安門事件の歴史は自国民には抹殺され今日に至っています。そしてわが国や多くの国の資本投下によって経済大国、軍事大国となった支那は元来のお国柄の本性を見せ始め、周辺国に「解放」という美名の下に侵略を行っています。わが国では行政の長、内閣総理大臣を批判しても罪には問われません、しかし、過度の侮辱や誹謗中傷、憎悪発言は石平氏の仰せのとおり政治活動から逸脱しています。彼らの行っている行動はいくら美辞麗句を並べようと反政府、反日行動にしか筆者には映りません。
以下の反対、賛成両派のデモをご覧いただければどちらがわが国に相応しい行動か?一目瞭然です。
反対派
賛成派
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リベラルと言えば、聞こえは良いですが…
日本解体思想とか?伝統破壊主義としか思えません。
品性の無さは、共産主義者の共通点ですね。
ナイス☆&ランクリ
2015/9/3(木) 午前 6:02
情けない奴らです。日本の恥です。
ナイス
2015/9/3(木) 午前 7:20
自衛隊の潜入工作員のやり口が許せません。
2015/9/3(木) 午前 9:16
釜坂さんに似ている。少し落ちるけれど。
[ 櫻(N) ]
2015/9/3(木) 午前 9:49
反対派の人々の言葉の暴力は最低ですね
服装を見てもだらしがない
やはり、服装の乱れは心の乱れとは反対派を見るとよ〜く分かりますね
ナイスとツイート
2015/9/3(木) 午後 3:46
反対派は、国旗がなく、愛国心が一切見られません。
逆に賛成派は、日の丸が必ずあります。
どちらかまともか、一目瞭然です。
ナイス
2015/9/4(金) 午前 1:14