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天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。
京都五花街合同公演「都の賑い」が6月26日、27日の両日、つまり昨日と今日、南座ではなく京都市東山区の祇園甲部歌舞練場で行われます。歴史と伝統を誇る京都五花街(祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東)の芸舞妓約80人が一堂に会し、それぞれの花街の舞が披露されます。フィナーレでは、五花街の舞妓20人が勢揃いする「舞妓の賑い」の華麗な舞台が流派を越え、垣根を跨ぎ、千年の都の文化が披露されます。
京文化、京舞の伝統は彼女らによって連綿と受け継がれ、紡がれています。
流行に流されることなく、ひたむきに稽古に励み精進している姿はこころある日本人のこころを打ちます。
明治維新後、日本は欧米など西洋文化を追い求め、近代化への道をひた走ってきました。大東亜戦争に敗れたことで、米国を中心とした欧米文化の吸収力は、単なるあこがれや模倣ではない自国文化として昇華し、その原動力は経済大国といわれるまでになりましたが、一方で経済、文化などのグローバリズムがすすむ中で、昨今の混沌とした空虚感・空洞感に満ちた世相を顧みると、我々日本人が悠久の歴史のなかで培ってきた“心”までも捨て去ってしまったのではないでしょうか?。
我々が置き去りにしてきた“心”とは、たとえば“大自然”にいのちが宿るとする“山川草木悉皆成仏”の考え方であり、質素な生活を心がける“始末のこころ”、四季を通して自然と共生し生活する“生き方”、 すなわち、「神道のこころ」、「和(なごみ」を大切にした先人の教えまでも忘れてしまいました。
道徳観や倫理観など人格形成に影響を及ぼす“しつけ教育”や、“読み書きそろばんなどの基礎教育”、合理化を追求することで失われた“もてなしの心”です。
かって日本人が持っていた“心・感性”は近代化の道でその多くが置き去りにされ、便利さや損得など個人や団体、ひいては国家のエゴを正当化する社会の流れになり、現代の希薄な人間関係を招いたのではないでしょうか。
筆者は様々な伝統文化を連綿と紡いできたわが国の歌舞音曲が廃れ、わが国に相応しくないものが主流を占める今日の歌舞音曲に、大きな不安を抱いています。 自国の文化を継承し、次世代へと紡いでいく、美辞麗句のグローバリズムよりもナショナリズムこそ今の日本人に大切なことではないでしょうか?
伝統工芸、伝統芸能がいつまでも日本人のこころ、魂とともにあって欲しいと筆者は願ってやまないのです。 |
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今の日本に本当に必要なのがナショナリズムです。
ナイス
2016/6/26(日) 午前 6:10
いいなあ、見たいなアw
[ 陸奥掃部助 ]
2016/6/26(日) 午後 11:41
綺麗だな〜(^^)
それに尽きます。
今夜の酒は美味しいと思う!
2016/6/27(月) 午後 3:12
お人形のようです
綺麗
2016/6/28(火) 午前 1:10
京都ならではですね。
2016/6/29(水) 午前 8:37