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ご祭神
乃 木 希 典 命 (ノギマレスケノミコト)
乃 木 靜 子 命 (ノギシズコノミコト)
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝もうしあげます。
最近の日本の世情は、見聞きするのも忍びがたいほど乱れています。猟奇的な殺人事件、政治家の資質の退化、企業の不正、本当に日本なのかと疑いたくなるものばかりです。特に教育勅語世代が一線を退かれた以降の荒廃ぶりは坂道を転がるがごとくです。日本人が日本人の価値観、国家観、文化を捨て欧米や隣国、支那などに阿る姿は忍びません。誉れとは誇りとするに足る事柄。また、よいという評判を得ることをいいますが、日本人が最も誇りとする歴史であり、当時欧米列強に植民地支配されていた多くの人々に希望、貢献したのが日露戦争です。日本国民が血と涙をを流し、民族の存亡を賭けた日露戦争の主役が明治大帝(天皇)海の東郷平八郎、陸の乃木希典ではないでしょうか?そして、全国にある忠魂碑に顕彰・慰霊される兵士です。司馬遼太郎の「坂の上の雲」の影響により乃木大将は愚将論が近年わが国を覆いましたが、陸軍大国「ロシア」相手に幾多の不利な条件を撥ねのけて勝利に導いた将軍は古今に比類なき名将です。鬼神の強さをもつ将軍ですが、ただ剛勇だけの将帥ではなく、「武士の情け」をもった真の武人でした。敵将ステッセルに見せた深い、仁慈、礼節、敵将の不遇を知り、救済の手を尽くしたことは戦前の日本人なら多くを知るところです。乃木大将が殉死したとき、「モスクワの一僧侶」という名前で皇室の下賜金に次ぐ多額の弔慰金がステッセルより送られてきました。多くの部下を亡くした乃木大将には世界各地で見られる英雄の凱旋の華々しさはなく己を責める姿でした。しかし、帝都の市民は「乃木大将万歳」を叫びました。宮城の参内、奏上した乃木大将の復命書奏上は、忠勇義烈死を見ること帰せるがごとく弾に斃れ、剣に殪るる者皆、陛下万歳を喚呼したる有様に滂沱に咽び泣かれた。明治大帝は乃木将軍及びその将校、士卒を厚く嘉賞された。陛下の士卒の多くを失わしめたことへの責任として割腹謝罪を許しを大帝に謝罪し許しを請われた。しかし陛下は「朕世を去りたる後にせよ」とお許しになりませんでした。それ以降の乃木大将は戦没した士卒の慰霊、東京巣鴨にある廃兵院に通われ、明治大帝から下賜品があると分け与え、一人一人を慰問し、菓子や果物の手土産も欠かさなかった。廃兵たちは乃木将軍の厚い情けに感涙し、来院を何より喜んだ。乃木大将が殉死したとき、彼ら廃兵は慈父を失ったかのように悲しんだ。葬儀への会葬を希望した。葬儀後、一般の国民とともに乃木大将の墓参に訪れる廃兵が後を絶ちませんでした。
京都・乃木神社は 明治天皇伏見桃山御陵のある古城山の南西に鎮まります。京都・乃木神社のHPに乃木大将がなぜ祀られるなったかを次のように書かれています。
多くの人は乃木大将といえば、日露戦争の活躍を連想し、難攻不落の二〇三高地を苦労の末攻略し、旅順港を封鎖。日露戦争を勝利に導いた凱旋将軍として称えられたからだと言います。 乃木大将は、私心無き武士の誇りと天皇への赤心を、その一命をもって明示した類い稀なる傑人として、死してのちも国民の尊崇を集めました。また、軍人としての輝かしい功績は素より、日頃から質素倹約に務められ、陰日向なく素直に人の道を歩むことを旨とし、学問を通じ人の道を究め、真理を一心に求められた比類無き有徳赤心の人として、「乃木さん」と親しみを込めて追慕されるご存在でもありました。 村野山人翁
村野山人翁は、鹿児島出身で九州や関西の各電鉄経営に参画した人で、衆議院議員も二期務めるなど、関西の政財界を代表する人物でした。 失いつつある日本人の「忠君愛国の至誠、献身犠牲」の万古不易の信念、一死を以て君国に殉ずる日本国体の精華を実践された乃木大将こそ海の東郷平八郎元帥とともに日本人の誉れであり、世界に誇る日本人の典型というべきではないでしょうか?
京都・乃木神社には日露戦争時、第三軍が旅順要塞攻略をしている際、大本営や満州の総司令部が神社が建立された際に、礎石を初めとする建物全体が移築されています。国家の威信と民族の安寧を願って戦った乃木大将、先人を偲んで顕彰していただきたい次第です。 |

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楠正成、山鹿素行、吉田松陰、乃木大将とつながる流れこそ、日本人本来のあるべき姿があります。
今の日本人が失った「忠孝」の実践こそ、日本を取り戻す基があります。
ナイス
2016/9/18(日) 午前 8:55
水を差すが、彼はドン将・弱将、西郷戦では軍旗を奪われ、203高地では多数の兵士を死なせ、たまりかねた大山参謀総長がひそかに指揮し、陥落させた。その殉死でも、静子夫人あて遺書を書いて置きながら、直前殺害した。明治天皇は不思議に愛された。日本人の悲壮感に一致したのであろう、私まねするはご飯粒残さない。
彼は大東亜線の陸軍思想まで影響した。曰く「武士道とは死ぬことと見つけたり」。
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2016/9/18(日) 午前 10:30
ここ、参拝したことがあります。
学習院の院長先生だったんでしたっけ。
昔の人は立派です
2016/9/19(月) 午後 10:50