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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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三笠宮崇仁親王殿下 ご真影



謹んでお伝えいたします。
大正天皇の第4皇男子で、先帝昭和帝の弟君、天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下が27日午前8時34分、心不全のため、東京都中央区の聖路加国際病院で薨去(こうきょ)あそばされた。100歳で、皇位継承順位は第5位であられた。戦時中は陸軍の軍人、戦後は古代オリエント史の研究者として活躍あそばされ、本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は約1週間後に東京都文京区の豊島岡(としまがおか)墓地で執り行われるとみられる。崇仁親王殿下薨去により、皇族方は19方、皇位継承資格者は4方となられた。
臣民のひとりとして衷心より哀悼の意を表します。
昭和16年10月に高木正得(まさなり)子爵の次女、百合子妃殿下と結婚あそばされ、寛仁親王殿下、桂宮宜仁親王殿下、高円宮憲仁親王殿下、貉卞眇堂ε族次 近衛忠夫人)、容子内親王殿下(千宗室夫人)の3男2女をもうけたが、平成14年に高円宮殿下、24年に寛仁親王殿下、26年に桂宮殿下を相次いで亡くされた。昨年12月2日に100歳となられ、本年1月2日には、宮城(皇居)で行われた新年一般参賀で元気な姿を見せられた。
。激動の戦前、戦中、戦後の混乱期と、多難の時代、国はじまって以来の占領も経験あそばされ、高度経済成長やバブルの崩壊など、大きく移り変わるわが国の姿をつぶさに見てこられた。
大東亜戦争時には、
「今の皇軍に必要なのは装備でも計画でもない、“反省”だ。自らを顧み、自らを慎み、一挙一動が大御心に反していないかを自身に問うこと」と部下達を叱られた。

皇族の「歴史の生き証人」でもあられた。常に国民とともに歩む皇室であろうと願って公務に励まれた三笠宮殿下薨去を多くの国民が悼んでおります。

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結婚式当日の三笠宮殿下、百合子妃殿下=昭和16年10月22日(宮内省提供)

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    三笠宮殿下薨去を逝去とか死去と書くマスコミがあります。とんでもないことです。

    謹んで哀悼の意を表します。

    保守の会会長 松山昭彦

    2016/10/27(木) 午後 9:05

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    恐れ多くて拙記事にはできません。

    よかもん人生

    2016/10/27(木) 午後 9:17

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    心からご冥福をお祈り致します

    不適切がありましたら、申し訳ございません

    ・:*:・桜乃 一人静・:*:・

    2016/10/27(木) 午後 9:25

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    なんだか宮家が少なくなっていくと寂しいなあ
    ご冥福をお祈りします。
    今まで国民のためにありがとうございました。

    [ 陸奥掃部助 ]

    2016/10/27(木) 午後 11:47

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