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自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)で自決前に演説される三島烈士=昭和45年11月25日
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。
「果たし得ていない約束−私の中の二十五年」と題されたその記事は、昭和45年7月7日、サンケイ新聞夕刊に、三島由紀夫氏の記事が掲載された。この記事の発表から四ヶ月余り後、三島氏は自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)で決起を促す訴えの後、割腹するという壮絶な最期を遂げました。
当時の世間は、3月にはじまった大阪万博の豊かさに酔いしれていました。
多くの人々が空気のように豊かさをむさぼり享受している傍らで、三島由紀夫氏は絶句していたのです。
また三島由紀夫氏と親交のあった俳優、鶴田浩二氏も当時の世情を憂い、
「私の飲む酒の味は苦い。だからつい、ガブ飲みになり、3日酔い、4日酔いということになる。私には今の日本の見せかけの平和が気にいらないんだ。純粋に国のために戦って死んでいった人達の骨が、まだ海の底に、南方各地に散らばっているというのに、もう戦後は終わったとばかりぬくぬくしている連中に腹が立つ。万博の、オリンピックのとお祭り騒ぎをする前に、何でその金の何百分の一でも遺骨収集に使ってくれないのか。一映画俳優の私だが、そのために微力をつくしたい。私が決して好きでないリサイタルなどをやったのも、そのためなのです」と三島氏の死後、昭和46年に語っています。
真の姿の鶴田氏は黙々と働き、巨額の私財を使って戦没者の遺骨収集に尽力し、日本遺族会にも莫大な寄付金をした。この活動が政府を動かし、ついには大規模な遺骨収集団派遣に繋がることとなったのです。生涯を通じて、亡き戦没者への熱い思いを貫き通しました。
三島氏や鶴田氏の他にも豊かさを謳歌する当時の世相を否定する方々は多く存在したはずです。もちろん大東亜戦争を戦った方々です。
今年は三島氏の自決から四十六年の歳月が流れました。
一部の今日の日本は三島氏が予見したとおりの時代になりました。 日本国政府と日本国民は戦後70年以上たっても、大東亜戦争で戦った戦没者との約束は果たされていません。
国会を取り巻き安保法制に反対し、平和を唱えた若者たちからも英霊に感謝し、遺骨帰還に関する文言は一言もありませんでした。
約束を果たすどころか一国の総理が靖国に慰霊に行くの行かないので右往左往し、これらを批判する日本国民やマスコミの存在すらが筆者には理解できません。
しかし、民間では前述した鶴田氏や心ある人々が私財を擲ち、戦没者の遺骨帰還にすべてを捧げられた方々がいます。
三島烈士の次の画像の著書「ココダの約束」で紹介されている西村幸吉氏(高知歩兵第144連隊の元兵士、現在埼玉県在住)です。
西村氏が属した南海支隊は高知の歩兵第144連隊と福山歩兵第41連隊を主力とし、独立工兵15聯隊などの配属部隊から編成され、これらの部隊はいずれもグアム島、マレー半島、シンガポール、ラバウル、サラモアなどで勝利を収めた歴戦の部隊であり、錬度も実戦経験も極めて高く、士気は極めて旺盛で精強部隊と言われていました。
しかし、精強を誇った部隊も補給が続かねば撤退するしかありません。
補給が続かぬ撤退は過酷を極め、支隊はほぼ壊滅した。
ココダの約束の著者はチャールズ・ハペルですが、監修, 監修を手がけた
西村氏らの部隊は、ギルワという海岸における陣地で、十倍以上の敵を相手にしながら、食糧武器弾薬の補給が完全に途絶した中で、凄まじい砲爆撃と飢餓に耐えつつ、決して一歩も後に引かない戦いを演じるが、ついに退却命令が下される事となってしまった。その際、陣地には百名ほどの歩けない負傷兵が居たのであるが、彼らは「俺たちが後を守るから、機関銃など重いものは置いていけ!」と言って、西村氏らを追い出すようにして陣地を守ったのであった。その時、西村氏は彼らと「約束」をしたのである。「いつか必ずお前達の骨は拾ってやる」と。
オーストラリア軍は、西村氏ら主力部隊がとうの昔に撤退してしまった事など、知りませんでした。毎日攻撃をしているのに、日本軍陣地の抵抗力がまったく弱体化しなかったからである。つまり、もはや動けなくなった兵士らが、食糧も水も衛生品も何もない、脱出さえ不可能な状態においても尚、脱出した戦友の背後を守るため、最後の最後まで武器を取って必死に戦ったのです。死地から西村氏は奇跡的に生還しました。
戦後西村氏は事業に成功し、幸せな家庭生活にも恵まれたましたが、一日たりともニューギニアにおける戦友らとの約束を忘れた事はなかった。そして60歳になった時、ついにニューギニアに単身移り住む事を決意し、事業を人に譲り、大反対した家族を捨ててまでして、以後26年間もジャングルの中で単身、戦友の遺骨を探し続けたのです。
西村氏は亡き戦友らとの約束を果たされた。
現世の日本人は平和な日本の礎となられた戦没者を忘れ、彼らによってもたされた繁栄を享受しています。
しかし、いまだ祖国に帰還できない遺骨は、まぎれもなく祖父や曾祖父の世代なのです。
わが国および、すべての国民が戦没者を祖国へ返すという決意が盛り上がってこそ、ふたたび日本という祖国は、国のために尽くそうという気風が甦り、元気な日本が回復すると筆者は思うのです。
戦没者との「約束」を果たすことを・・・
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転載させて頂きました。
ナイスです
2016/12/11(日) 午前 5:46
三島烈士の予言したよりも、更に酷い国へと為り下がってしまいました。嘗ての経済大国も栄華も、今は昔と為り、借金まみれの哀れな国です。その上に、教育の荒廃と貧困の増加は思考の停止をもたらし、大和こころを忘れた、無機質な、空っぽな国民で溢れ返って居ます。皇国の発展を信じて散華為された英霊は、こんなはずじゃなかったとさぞやお嘆きの事と存じます。今一度、英霊のみならず、祖先の御霊に感謝を捧げ、日本人らしさを取り戻すべきです。安倍首相は、真珠湾も大切ですが、靖国神社へこそ参拝して頂き、陛下の御親拝へと道筋を付けて欲しいと願って居ります。
日本人は、日本人らしく、ナイス☆
2016/12/11(日) 午前 10:19
戦後日本は異常なくらい未だ同じです。
ナイス
2016/12/11(日) 午前 10:49
今も昔も何も変わっていません。上が馬鹿でも下がそれをカヴァーして仕舞うから。だけどカヴァーしきれなくなると一気に被害が拡大するんです
[ 陸奥掃部助 ]
2016/12/11(日) 午後 0:03
こんばんは、
転載させて下さいね。
2016/12/11(日) 午後 8:47
お空で三島先生が、泣いている
2016/12/13(火) 午後 8:00