|
還るなき機をあやつりて征きしはや
開聞よ母よさらばさらばと 知覧の特攻平和会館の前庭に、鹿児島市南洲神社 鶴田正義宮司の雄々しき特攻戦士を偲ぶ和歌の歌碑が建てられており、この開聞とは冒頭の画像で示していますが、薩摩半島の南端に聳える開聞岳のことで、薩摩富士とも呼ばれる秀峰で、特攻基地から飛び立った特攻戦士たちはこの開聞岳をかすめる時、翼を振って別れを惜しんだ。
この知覧の特攻基地から出撃して散華された戦士たちは千三十六柱の多くを数えた。沖縄の救援に向かった特攻隊員が最後に見た本土の景色が開聞岳でした。
拙稿を読んでいただいている皆様は多くの若い特攻戦士から母の如く慕われた鳥濱トメさんは知覧の町で「富屋食堂」を営んでおられました。知覧が特攻基地になるに及んで、陸軍指定の食堂となり、以来十代二十代の溌剌とした特攻戦士達が訪れるようになり、トメさんも親身になって面倒をみてあげました。またトメさんの親身のお世話が、明日をも知れぬ青年達の琴線に触れ、たった一つの命のともし火を嚇嚇と灯して国のために殉じていかれたのです。
知覧護国神社 特攻戦死者の石灯籠
そのトメさんが語り部としてある高校生クラブと父兄を前にして語られたのが、「皆さんはみんな威張っていらっしゃいますよ」と一言仰せられその日は特攻のお話はされなかったそうです。今日こころない人が周囲に迷惑をかけても平然としていますが、かっての日本は「人様に迷惑をかけてはいけませんよ」と教えられました。そして「人の役に立ちなさい」「困った人に手を差しのべなさい」「世の中に必要とされる人になりなさい」「自分に負けるな」と・・
これら「人様のために」の教えが日本人の根底にあり、生き方の中心となって
、いつの時代もトメさんはじめ昔の日本人は慈悲慈愛のこころで 人様と接していたのです。しかし、かって人様が大事だったのに今では「俺様」になり、「自分に負けるな」が「人に負けるな」となり、競争社会が大勢となり弱者へのいたわりをも忘れてしまう時世となってしまいました。今のままの時勢が続くと日本人らしい日本人はいなくなってしまうのでは?とさえ思えてきます。
トメさんの世代までの日本人の多くは、人として地域や国のことまでもちゃんと考えていました。現在の日本人は溢れる情報のなかで暮らしながら地域や国のこともなおざりにし、行政や政治家まかせで地域、国の一員であるという自覚が薄いのではと思えます。
本来先祖が継承してきた伝統を尊いものとして受け入れるのが自然な生き方です。「俺様から人様」への回帰こそが日本人らしい日本人に戻る指標だと思うのです。
参考文献:鳥濱初代著「なぜ若者たちは笑顔で飛び立っていったのか」
|
日本人の忘れたもの





「俺様から人様」への回帰…
自分の事より、世の為、人の為ですね!!
ながさきの心。
これこそが大和心の原点です。
いつも、素晴らしいご訓示ありがとうございます。
ナイス☆
2018/6/14(木) 午前 10:03
全く仰せの通りです。
ナイス
2018/6/15(金) 午前 7:04