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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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すめらぎいやさか。

今上陛下のご即位を祝う一般参賀が4日、宮城(皇居)で行われました。
1日に即位あそばされた今上陛下が、公式行事で国民の前にお成りああそばされた。
宮内庁によると、午前9時10分時点で4万9300人の参賀者が集まったため、午前9時30分予定だった開門を20分早めた。
午前10時からの1回目の参賀で、陛下は皇后陛下、秋篠宮皇太弟・同妃両殿下、皇族方とともに宮殿「長和殿」のベランダに立ちあそばされ、「このたび、剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀、および、即位後朝見の儀を終えて、今日、このように皆さんからお祝いいただくことをうれしく思い、深く感謝いたします。ここに皆さんの健康と幸せを祈るとともに、わが国が諸外国と手を携えて世界の平和を求めつつ、一層の発展を遂げることを心から願っております」と叡慮を賜った。
 宮城に集まった参賀の皆さん、誰一人として招集された方はおられません。皆さん、お祝いの為に参じた方ばかりです。ここに他国に無類なき文化、伝統を伝承し、世界最古にして最長の皇室を仰ぎみる素晴らしさを感じます。

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日々、私たち国民の安寧、平和を祈って下さる天皇陛下。 一天万乗の天皇陛下に感謝しながら、ともに歩み生きていく国民。 往古の昔から自然に感謝しながら、共生してきた歴史や文化を継承し、不器用だけどまじめで言挙げせず、裕福でないかもしれないけど、楽しく生きてきた国民。
そして「ありがとう」の言葉で成り立っている国。
一般参賀を見るとき、悠久の昔よりの皇室と国民の紐帯を感じ、日本人に生まれてよかったと思うのは私だけではないでしょう。

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天皇にご即位された皇太子徳仁親王殿下と雅子妃殿下。今月24日の特別展「両陛下と文化交流 日本美を伝える」の会場で=東京都台東区の東京国立博物館(代表撮影・時事)



世界最古、最長にして万世一系の皇室に彌榮(いやさか)を祈る。
祖国日本に生まれた喜び、世界に比類無き文化を持ち、伝承するべき尊い文化、祭祀を連綿と紡いでいる日本を誇りにおもいます。

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すめらぎいやさか。

平成の御代も残すところあと二日。
明日には今上陛下もご譲位あそばされ、平成に幕がひかれる。
今日は昭和の日です。昭和天皇を偲び、我々がかって過ごした昭和の日々を思い返す日でありたい。

戦前から昭和天皇を撮影していた、写真家の山端祥玉(やまはた しょうぎょく)山端氏は昭和天皇の写真を撮る前に、御文庫(当時の昭和天皇の住居)に下見に行った際、あまりに質素な事に感激された。
特に「両陛下のおスリッパを見て感泣してゐた」と伝わります。
(昭和天皇の侍従長・入江相政日記より)。

肇国以来、「常に汝臣民と共にあり」を継承されてこられた畏くも昭和天皇、今上陛下。筆者は陛下の叡慮に幾度か涙しました。
昭和天皇、香淳皇后は、大豆の粉やフスマ入りのパン、素うどんなどを召し上がられました。
膝の擦り切れたズボンも取り換えず、空襲で焼けた宮殿を新設することもお許しになられませんでした。
「国民はバラックに住んでいるから自分たちだけ贅沢することはできない」との由。昭和34年、日本国民は皇太子殿下、美智子妃殿下の御成婚を華やかに祝いました。しかし、その時ですら、昭和天皇、香淳皇后は御文庫(防空壕)で暮らしておられた。それからさらに2年、終戦から16年経過して、やっと新たに建てられた「吹上御所」に移られた。

「こんな良い家に住める様になったのも、皆んな国民のお陰だ」と・・・


飽食の時代と言われる今日、昭和天皇、香淳皇后が常に汝臣民と共にあられたかを思い出してほしいと願う。

両陛下 ご成婚60年



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両陛下 ご尊影




両陛下 ご尊影



天皇彌榮(すめらぎいやさか)
拙ブログへお越しくださり感謝をもうしあげます。
謹んでお伝えいたします。


奉祝、両陛下ご成婚60周年を言祝ぎ、両陛下がいつまでもお健やかであられることを衷心より祈ります。

天皇彌榮(すめらぎいやさか)


畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては今日、昭和34年の結婚から60周年を迎えあそばされた。
陛下は昨年12月に御年85歳になられ、皇后陛下におかせられましても今年10月に84歳を迎えられる。
ご高齢にも関わらず、国内外に行幸啓あそばされ臣民との絆を大切にされておられる。
パラオ、フィリピンと大東亜戦争の激戦地に眠る御霊を慰霊され、先日は神武天皇陵にご親謁あそばされ、われわれ臣民に祖先を祀ることの意義を示された。

拙ブログでも幾度となく紹介させていただきましたが、わが国は世界で唯一、神代の時代から連綿と続く皇統を戴いている国家です。他国にも神話から続く王朝を戴く例がいくつかありましたが、今ではすべて途絶えています。わが国の皇統とは、まさに日本民族の「連続性の象徴」であり、日本人は歴史の連続性を基に独特の精神性を有するに至った民族なのです。日本がただ一つの国家だけで固有の文明を形成しているゆえんは、その連続性にこそあるといえるでしょう。
占領軍が日本の国民精神を壊してしまうまでは、祖国のお陰を蒙って生きていることを、皇恩といって感謝し、崇敬しました。
畏くも天皇陛下のお陰で、私たちが毎日生きているのを感謝することを意味していた。
「皇恩」というと、今日の多くの日本人が「民主的ではない」「古い」といって、過去の亡霊のように斥けてしまう風潮があります。東日本大震災後、畏くも天皇皇后両陛下が被災民を真心こめて見舞われた。当時の菅首相が避難所を訪れて、被災者から「もう帰るの?」と詰められたのと、何と大きく違っていたことか。多くの国民が、天皇陛下あっての御国だと心を打たれた。
今日、日本は125代目の天皇を戴いている。そして、古代から「天皇に 私(わたくし)なし」といわれてきたが、125代のなかで贅ぜいに耽ふけられた天皇陛下は、一人としておいでになりません。
日本のご歴代の天皇陛下は大規模な天災に見舞われた後に、第45代の聖武天皇が「朕(ちん)の教化に足らざるところがあった」、第51代の平城天皇が「朕の真心が天に通じず天災を招いたが、この災いについて考えると、責任は朕一人にある」、第56代の清和天皇が「朕の不明を恥じ、恐れるばかり」といって、 詔(みことのり)のなかで自分の不徳を責めている。多くの天皇が災いを自分に帰している詔を発せられた。
畏くも今上陛下におかれましても、常に被災地、被災された方々に思いをよせられておられることは多くの国民が知るところです。

陛下が君臨あそばされる日本は過去、現代においても世界でも希にみる美し国であります。
日本人は何事においても、人が見ていなくても手抜きせず、正直であり、国民の末端まで物事を正確にこなす国民性があります。
日本のどこを訪ねてもインフラの整備はもとより、人々の規律さえも整っているのです。
道路や繁華街にはゴミ一つ落ちていず、他国にある貧民街もなく、他国で見られる自動車のクラクションの騒々しさもなく、路線バスやその他の交通機関もほぼ時間の狂いもなく運行しています。
世界各国が注目する新幹線も開業以来死亡事故がありません。また数人の僻地の児童、生徒の為に分校などを置き続け、何人であっても身体に異常を認めれば救急車は病人を病院に届ける、読み書きソロバンは多くの国民に浸透し、何より素晴らしいのは社会の為に働けることを見いだしていることです。
日本人という国民性は世界に比肩なきものであると筆者は常に思うのです。
これらの素晴らしい民族性は、往古の昔より日本人は「清き明き心」を大切にしてきました。
これの伝統を歴代の皇室とその伝統を紡いできたのが我々の先人、先祖であります。
畏くも天皇陛下はにあらせられましては、「祈る王」「祭祀王」といわれます。「地上の支配者」であるヨーロッパの国王とは異なります。
天皇陛下はひたすら「国平らかに、民安かれ」と祈られるのです。
民とともにある天皇陛下はいつの時代も、國家の栄光ばかりではなく、苦悩のただ中におられます。
戦後最大の國難ともいわれる東日本大震災。
今上陛下の御心を深く痛めておられます。
「天皇陛下に私なし」といわれますが、天皇陛下はひたすらすべての民のために祈られます。
「公正無私」を第一義とされるのが天皇陛下です。天皇陛下にとっては右翼も左翼もありません。多様な考えを持ち、多様な暮らしをする國民すべての天皇陛下なのです。「まつろわぬ民」のためにさえ、代々、祈りを継承してこられたのが天皇陛下なのです。
 
今日なお多様で多面的な國家、民族、社会の中心に位置し、「国平らかに、民安かれ」と日々、祈り続けておられる天皇陛下の価値というものを私たちが失わないかぎり、日本人が民族の英知を失わないかぎり、天皇陛下と國家は、國民とともに、未来永劫に発展していくことでしょう。
そして、臣民として唱えられずにいられません。
平成の御代もあと僅か、ご譲位後もお健やかでと願ってやみません。

天皇彌榮(すめらぎいやさか)

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在位三十年に当たり、政府並びに国の内外から寄せられた祝意に対し、深く感謝いたします。
 即位から三十年、こと多く過ぎた日々を振り返り、今日(こんにち)こうして国の内外の祝意に包まれ、このような日を迎えることを誠に感慨深く思います。
 平成の三十年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。世界は気候変動の周期に入り、我が国も多くの自然災害に襲われ、また高齢化、少子化による人口構造の変化から、過去に経験のない多くの社会現象にも直面しました。島国として比較的恵まれた形で独自の文化を育ててきた我が国も、今、グローバル化する世界の中で、更に外に向かって開かれ、その中で叡智(えいち)を持って自らの立場を確立し、誠意を持って他国との関係を構築していくことが求められているのではないかと思います。
 天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。
 天皇としてのこれまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした。これまでの私の全ての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした。災害の相次いだこの三十年を通し、不幸にも被災の地で多くの悲しみに遭遇しながらも、健気(けなげ)に耐え抜いてきた人々、そして被災地の哀(かな)しみを我が事とし、様々な形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の一つです。
今日この機会に、日本が苦しみと悲しみのさ中にあった時、少なからぬ関心を寄せられた諸外国の方々にも、お礼の気持ちを述べたく思います。数知れぬ多くの国や国際機関、また地域が、心のこもった援助を与えてくださいました。心より深く感謝いたします。
 平成が始まって間もなく、皇后は感慨のこもった一首の歌を記しています。
 ともどもに平(たひ)らけき代(よ)を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ
 平成は昭和天皇の崩御と共に、深い悲しみに沈む諒闇(りょうあん)の中に歩みを始めました。そのような時でしたから、この歌にある「言葉」は、決して声高に語られたものではありませんでした。
 しかしこの頃、全国各地より寄せられた「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています。
 在位三十年に当たり、今日このような式典を催してくださった皆様に厚く感謝の意を表し、ここに改めて、我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。



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