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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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1月12日、平安時代の貴族社会の成人儀礼にのっとり新成人を祝う「成人加冠式」が國學院大學で行われた。



(動画は昨年のものです)


すめらぎいやさか。
拙ブログヘお越しくださり感謝を申しあげます。

平成最後の成人式より一週間が過ぎました。新成人の方々は大人の仲間入りをし、地域社会の一員として決意も新たにされていることでしょう。
冒頭の画像は平安時代の貴族社会の成人儀礼にのっとり新成人を祝う「成人加冠式」のものです。
國學院大學は明治15年創立、有栖川宮幟仁親王は、初代総裁として就かれました。皆さんご存じのように明治維新後、わが国のなすべきことは、世界の先進国に追いつくことでした。欧米諸国の思想、文化、体制の多くを導入しましたが、しかし、導入が急ぐあまり、欧化万能の風潮が日本全土を覆い、日本古来の思想・文物が顧みられない状態となりました。わが国が独立を全うし、国家の発展を将来に期するためには、思想も文化も体制も、単に欧風の模倣でなく、わが国の歴史・民族性に基づくものでなければならないという気運が興り、國學院大學の母体である皇典講究所は、このような反省の気運を背景として創立されました。教育勅語が渙発されたこともこの欧米万能の風潮に明治天皇が日本人の精神、人の道を示されたものです。

國學院大學「成人加冠式」についてシブヤ新聞さまが詳しく報じられていますので以下に引用します。

国学院大学ならではの行事で成人を祝いたい」という学生の発案で2007年に始まり、神職の養成を目的にしている同大神道文学部主催で毎年1月に行っている同行事。今年は新成人の男子27人、女子27人の計54人の学生が、卒業生の神主たちから寄付された衣冠や狩衣(以上男子)、斎服や正服(同女子)などの装束姿で参列した。


 式の中心となる「加冠之儀」では、加冠役である教職員が学生の頭部に冠や烏帽子(えぼし、以上男子)、釵子(さいし)や額当(ぬかあて、同女子)と呼ばれる装飾具を着装。成人の装束を完全に身にまとった姿となった学生たちが校内の神殿に移動し、誓詞を奏上し玉串を拝礼した。「祝賀之儀」では、ボランティアの在学生たちによる神楽舞などが披露された。

 同学部の和田有司さんと宮川周子さんは「神職を目指している」ことから、神道の行事である同式の「機会を逃したくない」と参加を決めたという。式を終え、「大人への一歩を歩めたという気持ち。今回着た衣装は身分を与えられなければ着ることができないので、貴重な経験となった。より神職になることへの憧れが強まった」と宮川さんは振り返る。

 5月に元号が変わることから、平成最後の成人となる。和田さんは「偶然ではあるが、こうして平成最後に新成人となったのは非常にうれしい。また違う元号になるので、新しい気持ちですがすがしく生きていきたい」と話した。

 大人の仲間入りとなるが、「人をだまさない。お金を盗まない。嘘をつかない。人を悲しませない。こういった親から学んだことを今後も守っていきたい」(和田さん)、「助け合いの心を忘れず、新成人として頼られる存在になれるように、少しずつ大人に近づいていけたら」(宮川さん)と誓いを立てた。
わが国は世界最古の歴史を誇り、世界最古にして、最長の皇室をいただく比類なき國です。日本に住みながら自国の歴史や文化を知らない方々が増えています。先人の文化に触れることは、自らのルーツを知ることです。学業に励み、先人を顕彰している成人の方々もいることは頼もしくおもいます。


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崇敬奉賛会会長 三宅知行さま 挨拶



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泉和慶宮司さま 挨拶


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東大阪市出身のシンガーソングライターで、産経新聞のPRモデルも務める山口采希(あやき)さんが五年ぶりに新年祈願祭へ。




兵庫縣姫路護國神社崇敬奉賛会 平成31年新年祈願祭




兵庫縣姫路護國神社崇敬奉賛会平成31年 新年祈願祭



すめらぎいやさか。
拙ブログヘお越しくださり感謝申し上げます。

昨日、兵庫縣姫路護國神社崇敬奉賛会平成31年新年祈願祭の模様です。
御代替わりの今年の祈願祭は、過去最高の列席者になりましたが、遺族会の方々の高齢化により、ますます崇敬奉賛会の活動が問われています。
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昭和天皇・香淳皇后 ご真影


拙ブログにご来訪くださり感謝を申しあげます。

女優の市原悦子さんが身罷られました。
衷心よりお悔やみもうしあげます。
大正、昭和、平成を生き抜き辞世された著名人の訃報が続いています。
著名人だけでなく、激動の時代に生まれ、戦後焦土の中から復興し、敗戦から再び大国へと押し上げた原動力となった世代が舞台から去られていくさまは本当に寂しく思います。

「降る雪や明治は遠くなりにけり 」

昭和58年に亡くなった俳人、中村 草田男(なかむら くさたお)氏は明治生まれでした。昭和の時代を目の当たりにして、雪が降るという季節の節目に立ち、母校の小学校を尋ねた際に作った句だそうです。
生まれた時代を振り返って、明治という時代が遠くになったものだな、と言う感慨を句にしたものと思います。
昭和に生まれた筆者も還暦を前に、時々昭和という時代を懐古し、今日の日本と対比することが多々あります。今日のように物質的に恵まれ豊かな時代に暮らしていても、何か大きな忘れ物をしたような?大事なものを置き去りにしてきたように思えてなりません。地域の紐帯は薄れ、個人主義が蔓延り訴訟社会になってしまった平成の日本。豊かではなかったけれど幸せだった昭和の時代。

「昭和は遠くなりにけり 」と・・・

今日は成人の日です。かっての成人になる儀式は元服といいました。
十歳そこそこで元服された先人もおられます。
時は流れ、現代の若者は7割以上が成人式は「20歳で」とし、18歳成人式について「受験」「就職準備」と重なるなど現実的な支障を挙げる若者が多いとか。今どきの成人式は大人としての「自覚を持つ」より、久しぶりに友人と会える、同窓会的役割が主なようです。気骨があった明治人、他人の為に生きた大正、昭和初期の世代、戦前の薫陶をわずかばかりではあるが受け継いでいた昭和中期、後期の世代。

先人を否定し、日本の歴史、文化を忘れ、日本人らしさを失っていくのは自らのルーツを否定しているのと同じではないかと筆者は思うのです。
昨今の日本を見るにつけ、日本が日本で無くなっているような錯覚にとらわれ落胆させられることが多々あります。
今一度、日本という「祖国」「母国」について熟考せねばならぬ時代が来ているのではないでしょうか?

昭和の御代最後の日

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那須御用邸内の湿地を散策あそばされる先帝、昭和天皇と香淳皇后ご真影(昭和58年)

すめらぎいやさか。

今日一月七日は昭和天皇祭です。
先帝陛下が崩御あそばされてから三十年になります。
先帝陛下の御遺徳を偲び、皇室の彌榮を祈念します。

『 降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ 』

終戦の翌年詠まれた先帝陛下の大御歌(おおみうた)です。
深い雪に覆われても時が来れば青々と茂る松の木を 雄々しき日本人に例え、今の苦しみを耐えて再び隆盛とならんと鼓舞されたもので、同時に日本人が日本人らしさを失わぬようにと願われたのです。

大東亜戦争終戦後、先帝陛下はマッカーサーとは戦後、11回にわたり会談あそばされた。
しかし、マッカーサーが解任されたとき先帝陛下はアメリカ大使館を訪問あそばされ、別れの挨拶をされました。
しかし、マッカーサー離日の日、GHQからの要請にもかかわらず、先帝陛下は見送りにいかず侍従長遣わされたのみでした。
昭和39年マッカーサーは84歳で死去し、バージニア州のノーフォークにはマッカーサー記念館が建設されました。
昭和50年、先帝陛下は訪米されました。このときマッカーサー記念館から記念館来訪と墓参の要請がきましたが、先帝陛下はこれを断りあそばされた。マッカーサーの未亡人から改めての要請の手紙がきましたが宮内庁はこれを拒みました。
  訪米あそばされた先帝陛下はワシントンの歓迎行事を前にウイリアムバーグで2日間の休養をとられましたが、この町からマッカーサー記念館まで車でわずか40分の距離にありました。それでも先帝陛下は記念館には出御あそばされませんでした。
GHQは民主主義を米国が日本に持ち込んだと盛んに刷込みました。
現在でもマッカーサー信者がわが国にも存在します。
明らかにマッカーサー及び、米国の悪意ある占領政策を否定された先帝陛下。
昭和が終わった三十年前の今日。今一度、先帝昭和天皇の国民への思い、悪意ある占領政策を知ってほしいと願うばかりです。

天皇陛下萬歳。
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すめらぎいやさか。


戦前から昭和天皇を撮影していた、写真家の山端祥玉(やまはた しょうぎょく)山端氏は昭和天皇の写真を撮る前に、御文庫(当時の昭和天皇の住居)に下見に行った際、あまりに質素な事に感激された。
特に「両陛下のおスリッパを見て感泣してゐた」と伝わります。
(昭和天皇の侍従長・入江相政日記より)。

肇国以来、「常に汝臣民と共にあり」を継承されてこられた畏くも昭和天皇、今上陛下。筆者は陛下の叡慮に幾度か涙しました。
昭和天皇、香淳皇后は、大豆の粉やフスマ入りのパン、素うどんなどを召し上がられました。
膝の擦り切れたズボンも取り換えず、空襲で焼けた宮殿を新設することもお許しになられませんでした。
「国民はバラックに住んでいるから自分たちだけ贅沢することはできない」との由。昭和34年、日本国民は皇太子殿下、美智子妃殿下の御成婚を華やかに祝いました。しかし、
その時ですら、昭和天皇、香淳皇后は御文庫(防空壕)で暮らしておられた。それからさらに2年、終戦から16年経過して、やっと新たに建てられた「吹上御所」に移られた。

「こんな良い家に住める様になったのも、皆んな国民のお陰だ」と・・・


飽食の時代と言われる今日、昭和天皇、香淳皇后が常に汝臣民と共にあられたかを思い出してほしいと願う。
アメブロにタイトル同じで移行。
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