日本では中国の聖人として名高い孔子(こうし(儒教の始祖)紀元前551年‐紀元前479年)を遡ること紀元前2070年頃に中国に始めて国家という形をなした王朝「夏」という国が誕生しました。 三皇五帝(さんこうごてい)は、中国の神話伝説時代の帝王。現在ではこれらは実在の人物とは考えられていないので司馬遷の史記に記述にある最初の「帝」でります。 皇帝という呼称は、万里の長城などで有名な、秦の始皇帝前(在位期間246年 - 前210年7月)が自分が中国を初めて武力をもって統一したので、この三皇五帝より尊い存在であると言う考えから皇帝と言う言葉を造語し、自分に対する呼び名として使わせた(『史記』など)そうで、以降、中国の支配者は皇帝を名乗ることになりました。 夏朝の創始者「禹」の祖父は五帝の1人である帝顓頊で、従って、禹は、帝顓頊の孫である。また、帝顓頊は黄帝の孫であるので、禹は、黄帝の玄孫にもなる。 黄帝(5000年前黄河中原で部族を統一したと言われ、中国古代伝説上の帝王で 中華民族の始祖とされ、その後の中国政治思想の基礎を築いた人物です。)黄帝の墓とされている黄陵には、歴代王朝のみならず今の中華人民共和国政府も、毎年参拝の使者を送って中国の現状を報告しているそうです。 今も昔も中国の黄河の治水は国家の大事業とされ「禹」もこれに取組み、自らも仕事に打ち込みすぎ、子供も育てず、家庭も顧みなかったので、身体が半身不随になり、手足はひび・あかぎれだらけになったという伝説があります。 「禹」は即位後しばらくの間、武器の生産を取り止め、田畑では収穫量に目を光らせ農民を苦しませず、宮殿の大増築は当面先送りし、関所や市場にかかる諸税を免除し、地方に都市を造り、煩雑な制度を廃止して行政を簡略化した。その結果、中国の内はもとより、外までも朝貢を求めてくるようになった。さらに禹は河を意図的に導くなどしてさまざまな河川を整備し、周辺の土地を耕して草木を育成し、中央と東西南北の違いを旗によって人々に示し、古のやり方も踏襲し全国を分けて九州を置いた。禹は倹約政策を取り、自ら率先して行動したそです。 中国の、春秋時代の中国の思想家は「禹」を聖人としてあがめ、尊敬し、為政者は「禹」の志を受継ぎ、踏襲したそうです。 現在も中国では別格な存在であるそうです。
日本の為政者も「禹」のような志が欲しいですね! |
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2009年04月14日
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