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関東ではなじみはないが、関西ではいわずと知れた大御所、やしきたかじんさん。(1949年10月5日 - )は、日本のシンガーソングライター、タレント、司会者。大阪市西成区出身。本名は家鋪 隆仁(読みは同じ)。血液型はO型。主に関西ローカルのテレビ番組に出演している。愛称は「たかじんさん」「たかじん」など(ただし桃山学院高等学校で同級生だった堀内孝雄(軽音楽部部長)はたかじんさんと今でも仲がいい。 個人事務所パブリック・インフォメーション・スタイル(P.I.S)の代表取締役を務めており、大阪を盛り上げるために発足された民間団体「OSAKAあかるクラブ」のキャプテンでもある。 兎に角現在の芸能界、マスコミ界にあって破格、別格な人物である。 影響を受けた人物として、藤山寛美、横山やすし、上岡龍太郎、などでも人となりが覗えます。人脈も豊富で、 星野仙一、藤山直美 ( 過去には女性誌に結婚以上の仲であると報道されたことがある。特番等での共演も多く、プライベートでも12時間以上の長電話をしたり、電話口で10曲以上も歌うなど、現在でもふたりの相性が抜群によいことが伺われる。) 松山千春(たかじんのコンサートなどで共演している。) 細木数子(「幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜」で強引にたかじんを共演させたことは有名である) 桂三枝 桂ざこば − (プライベートで親交があり、現在でも最高の親友である) 桂南光(「晴れときどきたかじん」の後継者として南光を指名。一晩中かけて口説き落とした。) 桂雀々 笑福亭鶴瓶 − 祇園の弾き語り時代、金がなく食べ物を求め2人で四条河原町をさまよっていた。ホームレスに不二家の店の前にあるゴミ箱にあったシュークリームを分けてもらおうと、ジャンケンでたかじんが行くことになったのだが、ホームレスに無視され続け、最後には「兄ちゃん、素人が食ったら腹壊すで」と言われ断られたという(2007年11月5日の『そこまで言って委員会』でも語っていた)。 島田紳助(紳助はたかじんを愛を唄うヤクザと表現している) 明石家さんま太平サブロー オール阪神・巨人 ビートたけし 上岡龍太郎(たかじんが影響した人物の一人) 円広志 掛布雅之 板東英二 加藤みどり 杉田かおる(番組内の発言で、厳重注意を受けたこともある。) 金村義明 シャンプーハット 秋元康 桑名正博 リリアン 三宅久之 橋下徹(大阪府知事) 平松邦夫(大阪市長) 勝谷誠彦 宮崎哲弥 角淳一 宮根誠司 −(宮根のフリーアナへの転身を勧めた) 北野誠 -(謹慎処分復帰を応援した) 清原和博 佐々木恭介 泰葉 − 1980年代半ば以降、ラジオ番組(『ウィークエンド・イングス』『ハローナショナルショールーム』など)で共演した。また、根岸の実家に頻繁に出入りしたこともあった。そのためか、母・海老名香葉子から林家こぶ平(現:9代目林家正蔵)を預かってくれるように懇願される。その後、しばらくこぶ平はたかじん宅に住み込み、かばん持ちをしていたが、実質たかじんの弟子入りのような形になった。 在京局(一部地方局)への嫌悪感 から関東での仕事、 NHK(公共放送)では絶対仕事をしない 、朝日放送では絶対仕事をしない 、を貫きTV局から関東で放送させて欲しいと要望があると、「番組降りる!」と強硬に信念を貫いている。 ブレイク前のタレントと芸人の才能を見抜く眼にすぐれており、ABCのアナウンサーだった宮根誠司をABCの社長(当時)に直々に談判し、フリーアナウンサーに転身させたり、駆け出し当時のほしのあきを目に留め、後日即座に自身の番組にブッキング。その後ほしのが全国区でブレイクした。 自身が尊敬する横山やすしと上岡龍太郎の様に芸には厳しく短気な性格で、自己主張や熱弁などがかなり激しい面から、ついには裁判沙汰・警察沙汰になることがあるが、大阪のおばちゃんたちからは絶大な支持を得ている。 宝塚史上初のリサイタル『私の肖像画』を鳳蘭がやるということで、宝塚が行った際の「作曲部門担当」の選考で、当時宝塚の演出家であった草野旦が、たかじんのデビュー曲『ゆめいらんかね』を聴きその歌唱力と作曲センスを評価。白羽の矢が立ち、宝塚大劇場でも共演。男性として史上初めて宝塚歌劇の舞台に立ち、宝塚の舞台に立った唯一の男性。 最近の略歴をみると順風満覇にみえるたかじんさんも不遇な時代もあり、逆境に耐えた時代もあったからこそ現在のたかじんさんがあるのだと思います。 これからも関西を中心とした活動となりますが、権力、財力に屈しないたかじんさんであって欲しいと思います。
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2010年02月28日
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