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日本の戦後教育において日本は侵略国家であったと日本国内においては教えているが、これは大きな間違いの教育です。
第二次大戦前現在のアジア各国は欧米各国の植民地であったのです。
日本は自国の防衛のために戦ったわけですが、同時にアジア各国の植民地からの解放の為にも戦い敗れました。
しかし、植民地であった國はその宗主国からの独立を成遂げ今日に至っています。
独立を為し得た国々の指導者・識者は次のように述べています。
タイ国元首相
ククリックド・プラモード氏
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。 日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、
産まれた子供はすくすくと育っている。 今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に
話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。 それは身を殺して仁をなした日本という
お母さんがあったためである。 十二月八日は、我々にこの重大な思想を
示してくれたお母さんが一身を賭して 重大決意をされた日である。 我々はこの日を忘れてはならない。」 (十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」)
インド元大統領 ラグ・クリシュナン氏
インドは当時、イギリスの不沈戦艦を 沈めるなどということは想像もできなかった。 それを我々と同じ東洋人である日本が
見事に撃沈もした。 驚きもしたが、この快挙によって
東洋人でもやれるという気持ちが起きた。 (昭和44年「日本経済新聞」)
インドネシア元情報宣伝相 ブン・トモ氏
我々アジア・アフリカの有色民族は、 ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、 全部失敗した。 インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を 我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。 我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、 アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。 一度持った自信は決して崩壊しない。 日本が敗北したとき、 「これからの独立は自力で遂行しなければならない。 独力でやれば五十年はかかる」と思っていたが、 独立は意外にも早く勝ち取ることができた。 インド極東国際軍事裁判判事 ラダ・ビノード・パール氏
要するに彼ら(欧米諸国)は 日本が侵略戦争を行ったということを 歴史にとどめることによって、 自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、 日本の17年間(昭和3〜20年、東京裁判の審理期間) の一切を罪悪と刻印する事が目的であったに違いない。 私は1928年から1945年までの
17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。 この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。 それを私は判決文の中に綴った。 その私の歴史を読めば、
欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人である ということがわかるはずだ。 それなのに、あなた方は自分らの子弟に、
「日本は犯罪を犯したのだ」 「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。 満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、
どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。 日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、 卑屈、頽廃に流されていくのを 私は平然として見過ごすわけにはゆかない。 あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。
あやまられた歴史は書き換えなければならない。 (昭和27年11月5日、広島高等裁判所での講演)
韓国 韓日文化研究所 朴 鉄柱 氏
大東亜戦争で日本は敗れたというが、 敗けたのはむしろイギリスをはじめとする 植民地を持った欧米諸国であった。 彼らはこの戦争によって
植民地をすべて失ったではないか。 戦争に勝った敗けたかは、 戦争目的を達成したかどうかによって決まる、 というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。 日本は戦争に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、 「聖なる戦争」であった。 二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、 しかし彼らは英霊として 靖国神社や護国神社に永遠に生きて、 国民尊崇対象となるのである。 (昭和42年10月)
イギリス歴史学者 H・G・ウェルズ氏
この大戦は植民地主義に終止符を打ち、 白人と有色人種との平等をもたらし、
世界連邦の礎石をおいた。
米国ハワイ日本経済事務局長 政治学博士 ジョージ・S・カナヘレ氏
日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った 種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、 正規軍及び准軍事組織を創設して、 それに訓練を与えた事である。 (中略)
インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は
極めて重要なものであった。 これが後のインドネシア革命軍の 大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきた オランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。 日本によって与えられた
このような機会がなかったならば、 戦後のインドネシア民族革命の経過は 違ったものになっていたであろう。 ビルマ元首相 バ・モウ氏
約50年前ビルマは3回にわたる対英戦争の結果 その独立を失えり、英国側はアジアに対する 掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。 愛国者は挺身的精神をもって
鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを 甘受して突進して来れり、これらの英雄は ビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。 ビルマ人はアジアを結合せしめ
アジアを救う指導者を待望しつつありしが遂に これを大日本帝国に発見せり。 ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する
日本への感謝を永久に記録せんことを 希望するものなり (独立宣言より)
インドネシア共和国元首相 モハマッド・ナチール氏
大東亜戦争というものは、 本来なら私たちインドネシア人が、 独立のために戦うべき戦争だったと思います。 もしあの時私たちに軍事力があったなら、
私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。 大東亜戦争はそういう戦いだったんです。
イギリス 歴史学者 アーノルド・J・トインビー氏
英国最新最良の戦艦2隻が 日本空軍によって撃沈されたことは、 特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。 それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
なぜなら1840年のアヘン戦争以来、
東アジアにおける英国の力は、この地域における 西洋全体の支配を象徴していたからである。 1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、
西洋は無敵ではないことを決定的に示した。 この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、 1967年のベトナムに明らかである。 (昭和43年3月22日「毎日新聞」)
多くのアジアの国々の人々に
勇気・誇り・希望を与えた先人たちを
私偉大に思い・誇りにします。
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2010年05月15日
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日本による韓国併合から100年を迎えるのを前に、韓日両国の知識人たちが今月10日、「『韓国併合条約』は義に反する不当なものであり、当初から無効だった」と宣言する共同声明を発表したのに続き、今年8月には両国の国会議員たちが同様の趣旨の共同声明を発表する意向であることが、11日明らかになった。 韓日両国の国会議員らによる「和解に向けた行動」は、3段階に分けて進められるとみられる。まず、姜昌一議員らが先月5日に発議した、「韓日両国の過去の歴史の整理を求める決議案」が、今年上半期中に韓国の国会で議決される見通しだ。与野党の議員約70人が署名した決議案は、「旧植民地の国家や国民に対し、日本が謝罪・補償を行うとともに、1965年の韓日基本条約締結の際に補償の対象から除外された、慰安婦問題などについて再度交渉を行う」ことを盛り込んでいる。 次の段階として、韓国の国会議員の大部分と、日本の国会議員100人程度が、今年8月15日前後に両国で共同声明を発表することが想定される。共同声明は、▲100年前の日本による韓国併合が当初から無効だったということを確認し▲日本政府による正式な謝罪を求め▲未来志向的な韓日関係の定義付けを図る−という内容が盛り込まれるという。 日本側で今回の共同声明発表を主導した東京大の和田春樹名誉教授も、11日の本紙による電話取材に対し、「国民の関心がないわけではないが、メディアが大きく扱うことはなかった。それぞれ事情があったと思うが、記者会見にも、韓国側からは30−40人が参加したのに対し、日本側からは13人しか参加しなかった」と語った。だが、和田教授は、「韓国併合100年を迎える8月、日本政府の談話が発表される可能性が高い。(韓国併合)条約が強要された不当なものであり、当初から無効なものだったという事実が政府の談話に盛り込まれれば、われわれの行動は実を結ぶことになる」と話した。(5月12日朝鮮日報) http://www.chosunonline.com/news/20100512000014
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ガ島に到着した夏井さんたちはジャングルという悪路の中、
脱水や疲労を堪えて、英霊たちの元に歩み続けました。
そして、レレイから約20km進んだタンボイといわれる地点に到着します。
ここは日本軍が野営していた場所であり、ここで御遺骨の捜索をしました。
御遺骨二柱を発見。大切に拾骨させて頂きました。
ここで野営をし、蚊や疲労、空腹のまま翌朝を迎えて、さらに捜索を始めました。
すると次々に残砲弾が発見されました。
遺骨収集の前に、まずこの砲弾を処理しなければ危険です。
残砲弾を確認すると150個以上もありました。
この砲弾の数は夏井さんや先生、そして現地サポートメンバーの計7名では
とても処理しきれる数ではありません。
ましてや、この険しく足元の悪い密林の中を運ぶとしても1人2個が手一杯です。
先ず自分たちで爆破処理出来る数、
そして地元の治安警察へ届けるためレレイへ持ち帰る数を決めました。
そして、生徒たちをなるべく砲弾に近づけないように爆破処理をはじめました。
確実な方法は「焼き払い」という方法です。
爆破場所は山火事など起きないように充分に注意しながら河原で行いました。
井桁に火が付き、200mほど川下に離れた生徒たちとトランシーバーで連絡を取りながら、
いよいよ夏井さんの手で行います。
この砲弾は67年もの時を経て、計6個を昇天させました。
生徒たちはテレビや映画でしか見たことのないようなこのリアルな状況でしょうが、
ここに人間の業の縮図とかつての先人達が命がけで戦った現実を
この爆破の轟音と火柱に見たのです。
しかも、彼らの目の前で爆破処理している夏井さんの行動は、
いつ自分の手元で爆発してしまうかわからないという状況にもかかわらず、
寡黙に爆破処理をしているのだ。
この身の危険をも顧みない行動を見ているうちに、
言い知れぬ感動が湧き上がり、生徒たちは自然に涙が溢れていました。
・・・・・・
その後、御遺骨2柱と、残砲弾19個を2班に分かれてレレイ村へ引き帰し、
慰霊法要を翌日に控えた夜のことでした。
生徒のうち二人が夏井さんと講師のもとに来て、いきなり涙を流しながら土下座した。
夏井さんと教師の担当している残砲弾処理を見ながら
「たまらなくなった」と言いはじめたのです。
「私にもやらせて下さい。この手で、砲弾を慰霊台に上げるまでですが、
それだけでもやらせて下さい!」
夏井さんは生徒の赤く腫らした目を見ながら、
「その命の言葉、嘘はないな。
分かった。
しかし、もう一度だけ、日本のお父さん、お母さん、娘さん等の顔を思い浮かべなさい。
そして、もう一晩、考えなさい。それで、考えが変わらなければ、な」
彼らは深く頷き、真っ直ぐ夏井さんの目を見つめたまま涙も拭きません。
夏井さんはこの時のことを、
「この二名が素晴らしくて、他の四名はだらしないのでは決してありません。
中には、『正直、爆破処理する夏井さんや先生の姿を見て、また爆破の瞬間を見て、
怖くなりました。出発する成田までは、自分も命を懸けられると思っていました。
しかし・・・自分でもパニックになりそうでした。
しかし、こんな気持ちでいるのに、勢いだけで砲弾に近づくなんて、
逆に英霊の方々に失礼になると思うのです。まだまだ精進を重ねなくては、
まだ自分には出来ないことが分かったのです』と申し出た生徒もおります。
全員がそれぞれの自分自身の命に真正面から向き合ったのです。
結果が問題なのではありません。この姿勢こそが最も重要なのです」
そして、慰霊法要の日。
自らの手で拾い上げた御遺骨と砲弾を慰霊台の上に運び安置しました。
砲弾を運ぶことを申し出た二人は真剣に、そして慎重に運びました。
彼らの頬には自分でもなぜ泣いているのか言葉では説明できない涙が流れていた。
そして英霊達が戦ったこのガダルカナル島に、
彼らの若い僧侶たちの世界平和を願った渾身のお経が響き渡ったのです。
「この命の輝きはきっと次の世代へ受け継がれる。
これこそが我が国に必要な輝きであるに違いない」
と夏井さんはお経を聞きながら確信しました。
困難に継ぐ困難。密林の悪路に継ぐ悪路。
そして過酷な暑さと身体を酷使した疲労と脱水状態で何もかもが限界に達していました。
しかし、この島で戦われた英霊の方々の大変さはこんなものじゃない。
我々が住む日本という国を護るために、これ以上の過酷な状況下で敵国と戦い、
空腹の限界を超えて餓死し、マラリアなどにもやられながらも戦われたのだ。
どれほど苦しかっただろう、辛かっただろう。
食べるものもなく、待てども来ない救援。
その英霊たちの声なき声が一番つらい・・・。
英霊たちには比べるべくもないが、これがどれほど辛いか、短い期間でも体験できた。
何でも揃っている現代の豊かな日本を離れ、不便で気候も環境もすべてが違う島に来て、
彼らに真の心が芽生え始めたのです。
そしてそれを引き出した夏井さん。
彼らは声なき英霊たちへお経を捧げながら、いつの間にか目には涙があふれ、
ついには涙が流れ落ちたまま、それでも無心になってお経を読み続けていた。
そんな彼らの姿に、夏井さんもついには男泣きに泣いてしまった。
毎日彼らの様子を見ていた現地の年寄りたちは
ガ島で戦った日本の兵隊たちをも知っていました。
死を恐れずに勇敢に立ち向かって行った日本の兵隊さんたちを今も尊敬しているという。
そして、七度もこの島にやって来て、死をも恐れぬ夏井さんのその姿に、
昔の大和魂の日本の兵隊を重ね合わせて「ナツイは日本の軍人だ」
と誇らしげに言ってきた。
・・・・・・
今回、自らの手による爆破処理6個、残砲弾19個を回収しソロモン自治警察隊へ届け、
そして御遺骨2柱を発見回収して厚生労働省へ届けました。
全7回の活動で御遺骨回収5柱、残砲弾処理148個です。
しかし、まだ残された砲弾で今現在も、現地の方々の命が脅かされていることは、
日本の国民の皆様が、忘れずに知っておかなければなりません。
自分のことばかりではなく、先人を敬い、他人を思いやる日本の心を取り戻したい。
・・・・・・
夏井さんの心の歌は前回ご紹介した「さすらい」と
もう一つ、この「昭和維新の歌」もガダルカナル島で歌っていたそうです。
現状の政治の悪さや国家衰退を憂う人は、今一度この歌詞をかみしめられたい。
・・・・・・・・・・・・
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私の妻は皇室は大金持ちで一流のものを食べ、一流のものを身に付け、優雅な暮らしをしている、と思っています。これは大きな誤解ですが、マスコミなどが欧州の王室のような報道の仕方をするから、そう思い込んでしまうのでしょう。 戦前の皇室は御料地といって全国に土地を持ち、有価証券など莫大な財産がありました。ですが、主に国策会社で不動産も96%は材木を得るための林野でしたから私有財産というより国庫とあまり変わらない位置づけだったのでしょう。そもそも皇室は無私の存在です。戦後、GHQは財閥などの力を弱めるため一回限りの財産税法を課し、皇室財産も90%は国庫におさめ、さらに新憲法によって資産のほとんどは国に納めました。原則的に皇室には私有財産というものは認められていません。 皇室のための予算は「宮廷費」「内廷費」「皇族費」があり、宮廷費は宮内庁管理のもと国事行為や儀式、行幸啓、外国訪問、宮殿の補修に使われます。内廷費は天皇および皇族方の日用の費用に当てられ、平成21年度は3億2千万円です。いわゆるプライベートマネーですが、3割は祭祀などの人件費にあてられています。ですので、本当の意味で皇室が自由に使えるお金はさほどありません。昭和天皇は生物関係の研究書を買うときに侍従に「少し高価だが、経費に差し支えなかったら買ってもらいたい」と新聞広告を示して相談したというエピソードもあります。皇太子殿下(今上天皇)の初等科卒業のお祝いに写真機をプレゼントしましたが「あまり立派なものや高価なものを与えては将来のためにならん」と言って宮内庁写真部の中古品を利用したといいます。 皇室は戸籍がないため、保険にも加入できません。宮内庁病院を利用すれば皇室は無料ですが、最新の医療技術が整っているわけではないので、宮内庁病院で手に負えない病気になると一般の病院で治療するため高額となります。宮内庁病院は老朽化が進んでおり、雅子妃殿下がご出産のために入院されたとき、米紙は「設備がボロボロ」「なぜロイヤルベビーが質素な病院で生まれなければならないのか」と報じたそうです。 食事もごく普通の家庭料理を召し上がり、食材も御料地の牧場と築地の水産会社から仕入れます。高級食材など購入するゆとりはありません。毒見役というのはいません。侍医や調理スタッフが味付けや栄養素に問題がないかチェックする程度です。御用達制度は悪用、乱用する者が現れたからできた制度で、昭和29年に廃止されています。 このように皇室は欧州の王室のような大富豪とはまったく異なります。雅子妃殿下がご病気になられたとき、欧州のマスコミは「プリンセスは因襲だらけの皇室に閉じ込められ病気になった。ヨーロッパの王族のようにもっと自由に、週末はヨットで海に出たり、夜はいろいろなレストランやナイトクラブで楽しむことを、日本の宮廷は許すべきだ」などと言い、日本のマスコミが「そうだ、そうだ」と報じるようなことをするから国民の間に誤解が生じるのだと思います。 参考文献 「昭和天皇論」小林よしのり著 「昭和天皇語録」黒田勝弘 畑好秀 編 「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政著 参考サイト WikiPedia「財産税法」「御用達」 添付画像 雅子妃殿下 平成21年12月23日の一般参賀(PD) http://www.hiroshima-blog.com/area/banner001.jpg クリックで応援お願いします。 雅子さま2年ぶり「地方公務」 阪神大震災追悼式に(10/01/17) http://www.youtube.com/watch?v=eD7kJsH1c8I |
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