私の見た最も傑出した国民
1549年(天正18年)に日本に初めてキリスト教を伝えたスペイン人イエスズ会宣教師 フランシスコ・ザビエルは鹿児島上陸二か月半に及ぶ滞在期間中の日本人に対する所見を次のようにのべている。
尚、西洋人が日本人についての公式報告は最古のものです。
「西紀1548年8月の聖母の祝日に、私たちは鹿児島に上陸した。ここは、聖者のパウロ(ザビエルをインドのゴアから日本まで案内した日本人パウロ・ヤジローのこと)の故郷であって、私たちは直ちにその家族や知人達から、心なる歓待をうけた。
そこで私は、今日まで自ら見聞し得たことと、他のものの仲介によって識ることのできた日本のことを、貴兄等に報告したい。
先ず第一に、私たちが今までの接触に依って識ることのできた限りに於いては、此の国民は、わたしが遭遇した国民の中では一番傑出している。
私には、どの不信者国民も、日本人より優れている者は無いと考えられる。日本人は総体的に良い素質を有し、悪意が無く、交わって頗る感じが良い。彼らの名誉心は特別に強烈で、彼らにとって名誉が凡てである。日本人は大抵貧乏である。しかし武士たると平民たるとを問わず、貧乏を恥辱だと思っている者は一人もいない。
彼らにはキリスト教国民の持っていないと思われる一つの特質がある。それは武士が如何に貧困であろうと、平民が如何に富裕であろうとも、その貧乏な武士が、富裕な平民から富豪と同じように尊敬されていることである。また貧困の武士は如何なることがあろうとも、また如何なる財宝が眼前に積まれようとも、平民の者と結婚など決してしない。
それに依って自分の名誉が消えてしまうと思っているからである。それで金銭よりも、名誉を大切にしている。日本人同士の交際を見ていると、頗る沢山の儀式をする。武士を尊重し、武術に信頼している。武士も平民も、皆、小刀と大刀を帯びている。年齢が14歳に達すると、大刀と小刀を帯びることになっている。
彼らは恥辱や嘲笑を黙って忍んでいることをしない。平民が武士に対して最高の敬意を捧げるのと同様に、武士はまた領主に奉仕することを非常に自慢し、領主に平身低頭している。これは主君に逆らうことが自分の名誉の否定だと考えているからであるらしい。
日本人の生活には節度がある。ただ飲むことに於いて、いくらか過ぐる国民である。彼らは米からとった酒(日本酒)を飲む。葡萄はここには無いからである。
博打は大いなる不名誉と考えているから一切しない。何故かと言えば、博打は自分の物でない物を望み、次には盗人になる危険があるからである。
彼らは宣誓によって、自己の言葉の裏付けをすることは希である。宣誓するときには、太陽に由っている。
住民の大部分は読むことも書くこともできる。これは、祈りや神のことを短時間で学ぶための頗る有利な点である。日本人は妻を一人しか持っていない。
窃盗は極めて希である。死刑をもって処罰されるからである。彼らは盗みの悪を非常に憎んでいる。大変心の善い国民で、交わり且つ学ぶことを好む。
神のことを聞くとき、特にそれが解るたびに大いに喜ぶ。私は今日まで旅した国に於いてそれがキリスト教徒たると異教徒たるとを問わず、盗みに就いてこんなに信用すべき国民を見たことが無い。
獣類の形をした偶像などはまつられていない。大部分の日本人は、昔の人を尊敬している。私の識り得た所に依れば、それは哲学者のような人であったらしい。
国民の中には、太陽を拝む者が甚だ多い。月を拝む者もいる。しかし、彼らは、皆、理性的な話を喜んで聞く。また、彼らの間に行われている邪悪は、自然の理性に反するが故に、罪だと断ずれば、彼らはこの判断に諸手を挙げて賛成する。
ペドロ・アルベ、井上郁二訳「聖フランシスコ・ザビエル書簡抄」より引用
461年前の先人がいかに当時の先進國の目からみても評価が高かったがうかがえる。
今の殺伐とした日本からは想像もつかない道徳もあり、誇りがありました。先人は今の時代をどう見るでしょうか?
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