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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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ルクセンブルクのギョーム皇太子を迎えられる天皇陛下、皇后陛下 御尊影=17日正午、皇居・御所車寄
 
 
 
 
 
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ルクセンブルクのギョーム皇太子を迎えられる天皇陛下、皇后陛下 御尊影=17日正午、皇居・御所車寄
 
 
 
 
 
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ルクセンブルクのギョーム皇太子を迎えられる天皇陛下、皇后陛下 御尊影=17日正午、皇居・御所車寄
 
 
 
 
 
 
 
 
 
畏くも天皇陛下、皇后陛下にあらせられましては17日、宮城・御所におかれまして、来日中のルクセンブルクのギヨーム皇太子を招き、ご昼餐(昼食)を一緒にとりあそばされた。
 
畏くも天皇陛下、皇后陛下にあらせられましては、御所の玄関に到着したギヨーム皇太子と笑顔で握手を交わしあそばされました。
両陛下がギヨーム皇太子に会われるのは初めてです。
 
また、皇太子徳仁親王殿下にあらせられましては同日午後、東宮御所におかれまして、ギヨーム皇太子と懇談あそばされました。
 
ルクセンブルク大公国は、、西ヨーロッパに位置する立憲君主制国家。首都はルクセンブルク市。隣接国は、南のフランス、西と北のベルギー、東のドイツである。ベルギー、オランダと併せてベネルクスと呼ばれる小国のひとつ。
国家元首はナッサウ=ヴァイルブルク家が世襲するルクセンブルク大公。内閣とともに行政権を執行する。2009年現在、世界唯一の大公国です。
大公国とは、主に中世ヨーロッパで、大公の称号を持つ君主が治めた小国のこと。
2010年のルクセンブルクのGDPは524億ドル(約4兆円)であり、青森県とほぼ同じ経済規模。
ルクセンブルクは高度に発達した先進工業国であり、一人当たりの国民総所得(GNI)では世界第4位。
 
 
 

【天皇陛下、皇后陛下ご動静】(16日・月)

 
 
(宮内庁発表分)
 
 【午前】
 
 天皇陛下 宮内庁人事異動者拝謁(宮城・御所)
 
 
 
畏くも天皇陛下、皇后陛下にあらせられましては、被災地への行幸啓でお疲れのことと、新聞各紙が報じております。
ご高齢でもあられるので、ご無理なさらないよう祈るばかりです。
 
 


 
 
尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
被災地の皆様の苦難を思い、
犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。
長期に渡る激務に心身の疲労も極限にあると推察します。自衛隊、各国の救助隊はじめ、関係者一同の皆様の努力に敬意を表します。
 
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山岡鉄舟翁
 
 
国難とも言える東日本大震災。
国家を司る内閣総理大臣の要職にありながら、まるで何処の国の宰相なのかと疑いたくなるような首相。
そして、国家観に欠ける政府民主党。
明治維新の英傑、西郷南洲翁は、
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
と、『西郷南洲遺訓』に述べられています。
 
西郷南洲翁には、これといった著書がありません。わずかに西郷の言葉を伝えているのが、『西郷南洲遺訓です。
西郷南洲翁は、 無私の人だといわれます。
その西郷南洲翁が命も名誉もいらない、官位も金もいらないというような人は扱いに困る。しかし、このような人物でなければ困難をわかちあい、国家のために大きな仕事を成し遂げることはできない。この言葉は、山岡鉄舟のことを語ったと言われています。
山岡鉄舟は、西郷南洲翁との駿府(静岡市)での談判で有名です。その談判により西郷と勝海舟の交渉を実現し、江戸無血開城を成功に導きました。そうした鉄舟は、幕末屈指の剣術家であり、武士でした。
先祖に、戦国時代の剣豪、塚原卜伝、母に常陸国鹿島神宮神職・塚原石見の二女をもつ、山岡鉄舟は尊皇の志のある人でした。
東洋の軍事学の古典・『孫子』は、戦わずして勝つことを最上とします。
武士とは本来、戦士であり、兵法(軍事学)を実践する武芸者でした。しかし、『孫子』に見るような真の「武」の考えが、日本の武士道にはあります。
 剣法においては「殺人刀(せつにんとう)」と「活人剣(かつにんけん)」があるとされ、人を殺すより、人を活かす剣こそが、真の剣の道とされました。そして、相手と戦わずして勝つことが、最高の境地とされました。その境地に至るには、剣の技術以上に、心の修行が必要です。山岡鉄舟こそ、これを生涯実践した達人でした。
鉄舟は、剣の達人でありながら、暗殺の横行する血なまぐさい幕末の時代にあって、一人の人間も斬ることがなかったといわれます。
 鉄舟は自ら体得した剣の流儀を「無刀流」と名づけました。その極意を次のように述べています。
 「無刀とは、心の外に刀なしと云事(いうこと)にして、三界唯一心也。内外本来無一物なるが故に、敵に対する時、前に敵なく、後に敵なく、妙応無方朕迹(ちんせき)を留めず。是余が無刀流と称する訳なり」
鉄舟にとって「武士道」とは、中世の武士の間に初めて生まれたものではありませんでした。「謹んで惟(おもん)みるに、わが皇祖皇宗、この国を『しろし』召され、そのお徳を樹て給うことはなはだ深遠である。故に日本武士道はこれに伴うて、またはなはだ深遠である。天地未発の前において、すでにはらまれていたものである。さて、これは日本人の道というほうが至当である…」と鉄舟は語っています。また、「武士道という語句の中には…『日本人の守るべき道』という意味があるから、…上は王侯貴族より、下は方山里のきこりまで、また浦々の漁民までならして国民全般の修身宝道である」と述べています。
鉄舟のいう武士道は、日本古来の精神的原理であり、武士だけでなく、すべての国民が踏み行うべき道だったのです。こうした見方は、彼以後の武士道論に影響を与えました。
鉄舟は、幕末から明治にかけての大変動の時代を生きた人間です。明治維新によって文明開化がなされ、西洋の物質文明が急激に日本に流れこみましたが、鉄舟は、そうした西洋の科学・知識を否定するわけではありません。むしろ、大いに摂取するとよい、といいます。しかし、鉄舟は、物質文明と精神文明が調和してこそ「真の文明」であると考えました。そして、「今後は祖先伝来の武士道をもって頭脳となし、抽象科学、物質的思想を手足となし、武士道である頭脳が指揮官となって、物質的科学が手足のごとき遵奉者」と、ならなければならないと説かれました。
西郷南洲翁のたっての依頼により、明治5年に宮中に出仕し、10年間の約束で侍従として明治天皇陛下に仕えました。
明治天皇陛下の信任は厚く、ご下命により終生、御用係という役職につきました。
官軍・賊軍と分ければ、鉄舟は賊軍の幕臣出身でありながら、人物を見込まれたのです。明治天皇がまだ少年の頃、鉄舟に相撲を挑んだところ、鉄舟はいとも簡単に転がしてしまいました。わざと負けて、「お強いですね」とおだてたりするのでなく、立派な君主になって育っていただきたいという思いで、敢えて投げ飛ばしたといわれています。
西郷南洲翁との約束どおり、10年間このお役を務めた後、引退を申し出ました。
剣・禅・書の達人として知られた鉄舟は、人から頼まれれば断らずに書いたので各地で鉄舟の書が散見される。一説には生涯に100万枚書したとも言われています。
鉄舟は、人が揮毫の謝礼を差し出すと「ありがとう」と言って快く受け取り、そして貧乏で困窮した者が助けを求めてくると、惜しげもなくお金を取与えたと言われています。しばしばそういう場面を目撃した人が、「先生は御揮毫の謝礼は全部人におやりになるのですか」と訊くと、鉄舟は「わたしはそもそも字を書いて礼をもらうつもりはないが、困った者にやりたく思って、くれればもらっているだけさ」と答えた。こんな具合だったので、鉄舟はずっと清貧で通したそうです。
宮内省に馬車を差し回すといわれても固く断り、人力車で通いました。
 
鉄舟は、明治21年7月19日、胃ガンで亡くなりました。その最期は白衣に着替え、皇居に向かって遥拝して、座禅を組んだ姿勢で、静かに座死したと伝えられます。享年53
西郷南洲翁が命も名誉もいらない、官位も金もいらないというような人は扱いに困る。しかし、このような人物でなければ困難をわかちあい、国家のために大きな仕事を成し遂げることはできない。と記した名誉、権力に固持しない、鉄舟の人生でありました。
 
権力に固持し、執着し、国家を亡国に導こうとする現政権に少しでも学んで欲しいものである。
 
 
 
 

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