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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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靖国神社(完)

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靖国神社
 
日(ひ)の本(もと)に生(あ)れ出(い)でにし益人(ますひと)は 神より出(い)でて神に入(い)るなり (江戸時代の伊勢神宮の神官 中西直方)
 
「祖先の神があってこそ生まれ出た自分、その自分もやがては祖先の神のもとへと帰っていくのだ。」というこの歌は、日本人の死についての昔からの考え方を明確に表現しています。
 
我国の宗教観の中心には、自然崇拝と並んで祖霊崇拝があります
ともに現代人が近代化・西洋化の中で失いつつあるものです。
祖霊崇拝とは、先祖の霊を祀るものであり、祖先崇拝ともいいます。
筆者が仕事上の拠点としている、兵庫県神崎郡福崎町で生をうけられた民俗学の草分けといわれる柳田国男先生は、昭和20年戦争末期に執筆した、著書『先祖の話』のなかで、「日本人の死後の観念(かんねん)、即ち霊(れい)は永久に、この国土のうちに留まって、そう遠方へ行ってしまわないという信仰(しんこう)が、恐らくは、世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられている」と述べています。

日本人にとって、「死ぬ」ということは、仏教で説いているように、十万億土(おくど)のかなたに消え去っていくということではなく、死後人はやがて祖霊(それい)となり、さらに祖先神(そせんしん)へと昂(たかま)っていき、この世の子孫の生活を見守っていて下さると考えてきました。

民俗学の世界では、亡くなってから間がない人や、不慮の事故、異状死を遂げた人は「ほとけ」と呼ばれても決して「神」とは呼ばれません。しかし、死の穢(けが)れの清まる期間を経て、弔(とむら)い上げを済ませた「ほとけ」は「かみ」となるのです。「ほとけ」はひとの個性がまだ残っており、この世に未練がありますが、死者から個性が消え、祖霊として一括される神性を獲得すると無条件に子孫を包み込む神と昂(たかま)っていきます。
 ここで重要なのは、人の御霊(みたま)は、歳月の経過によって、浄化されるとともに、家族をはじめ人々からの「まつり」を受けることによってさらに浄化と昇華をし、神格性を持つということです。稲魂(いなだま)を育て、水を配り、子孫の生活を温かく見守る守護神・氏神となるのです。
 
「草葉(くさば)の蔭(かげ)から見守る」という言葉がありますが、ご先祖さまの御霊(みたま)は、常に私たちの身近にいらっしゃって、私たちを見守っています。この祖霊(それい)を慰め、霊威(れいい)が昂(たかま)っていただくために行う「祭(まつ)り」を「先祖まつり」といいます。お盆や春秋のお彼岸の行事などは、今では仏事のように一般には思われていますが、祖霊(それい)をおまつりすることは、もともと仏教にはない我が国の固有(こゆう)の習俗(しゅうぞく)です。
 
古い時代の日本では、旧暦の一月十五日と七月十五日ごろの満月を中心として、年に二回、神さまのご来臨(らいりん)を願い、祖霊(それい)の祭りを行っていました。私たちは、大層にぎやかな時、あるいは楽しい時には「盆と正月がいっぺんに来たようだ」などと表現しますが、実は「お正月」は、祖先神(そせんしん)や歳神(としがみ)さまといった「神々」をお迎えして行う「お祭り」であり、一方「お盆」は、祖先神までには昂(たかま)っていない「精霊(しょうりょう)」をお迎えして行う「お祭り」なのです。ともに、感謝と祈りを捧げるための対(つい)をなすお祭りです。それゆえに、お盆の行事とお正月の行事は、ほとんど共通する要素からなっています。
7月13日〜16日に行われる靖国神社の「みたままつり」正月一日の新年祭、春、秋の例大祭が行われるのはこの為です。
 
建国以来、畏くも天皇陛下は民の父母であり、、国民は天皇陛下を親のように慕ってきました。また畏くも天皇陛下は「祭祀王」であり、「神々に祈る者」として、靖国神社に御親拝されます。戦前のわが国では、戦地に赴く国民にとって、もし自分が戦死した時は、死後、靖国神社に神として祀られ、そこに天皇陛下が御親拝していただき、自分達に向かって拝礼していただけることが、大きな心の支えであり、慰めでありました。
 
靖国参拝とは、国家公共の行為としての慰霊として、日本という国が、単に独立した個人が集合しただけの社会であるのか、それとも生命・文化・歴史を共有した共同体としての社会でありたいのか、を明らかにすることなのです。そして、これは私的な愛を超えた、死者への愛、公共社会の一員としての博愛を、日本人個々が持つことができるかどうかという課題でもあるのです。
日本人は遠い昔から、神々、皇室、ご先祖(せんぞ)さまを敬い、感謝をする心を大切にしてきました。平穏な生活に感謝をしたり、日々の出来事を報告するなど、神棚(かみだな)や祖霊舎(みたまや、仏壇)に頭(こうべ)を垂れ、手を合わすことは、ごく自然な感情であり清らかな心のあらわれでもありました。

近年は個人主義の考え方が非常に強くなり、遠いご先祖から続いてきた家の意識や家族や親族の絆(きずな)の意識が希薄になり、国の為に命を散華された英霊の存在さえも蔑ろにしています。東日本大震災後の福島県民の皆さんへの風評被害が顕著な例です。
 
戦後、自分さえよければ、他人の苦しみや痛みをまったく無視するような風潮さえ生じてきました。被害者と加害者の間に、なんの関係も見られない殺傷行為や、社会に対する犯罪の多発傾向は、まさにこのことを証明しています。

前節、靖国神社(八)にブログ友であり、尊敬してやまない「さくらの花びら」大兄様に次のようにコメントいただきました。
 
「靖国神社の国家護持など当然のことなのですが、全てにおいて当然が出来ない日本です。」・・・・・・と・・

 
まさに、すべてのことにおいて、「お国柄を失った」病める今日の日本の病状が集約された言霊です。
 
 
「敬神崇祖(けいしんすうそ)」の心をもって、護国の神、靖国神社を守り伝え、お祭りを行う大きな意義とは「感謝(かんしゃ)と慰霊(いれい)」の誠を捧(ささ)げることでご祭神(英霊)やご先祖さまと、自分との間の命の繋(つな)がりを確認し、国家と個人の絆を深めていくことにあります。
 
 
靖国」という名は国の平和と、安寧の祈りが込められているのです。
 
 
 
 
 

 

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