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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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歴代天皇陛下の祈り

 日本の歴史上、皇室が最も衰微し貧窮の極みにあった時代の天皇が後奈良天皇です。この二代前の後土御門天皇の崩御では、大喪の礼を行う費用もなく、天皇のご遺体を40日あまりも放置せざるを得なかった程です。その次の後柏原天皇はそんな状況で、即位の礼を挙げる費用もなく、結局21年後にやっと本願寺の献金で即位の礼を挙げられました。その次が後奈良天皇でした。やはり即位の礼を挙げられたのは、践祚後10年たって周防の大内氏らの献金によってでした。

 後奈良天皇の時代、御所の築地の壁は破れて穴が空き、その穴から人が出入りしたり、さらには天皇の水垢離をされる姿が外から見えるほどであったと言われています。

 室町幕府は全く機能不全に陥っており、全国では疫病も流行り、洪水まで発生した時代です。天皇は、生活にも困窮されて、宸筆(天皇の直筆の書)を売って生活費の足しにしておられたというほどでしたが、この疫病を深く憂えられて、嵯峨天皇以来の慣習に習って、自ら紺紙に金泥で般若心経を写経されて、全国24カ国の寺や一宮(その地方で一番格の高い神社)など66カ所に納められたといいます。


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 その奥書には、「今ここ天下大いに疫し、万民多いに死亡にのぞむ。朕、国の父母として徳覆ふ能はず、甚だ自ら痛む」(今、世の中では疫病が大いに流行っており、沢山の人々が亡くなっています。私は国の父母として徳の足りないためにこれを防ぐことが出来ません。大変悲痛な思いです)と自省の言葉を書かれています。皇室自体の窮乏はなはだしい時に、国民の苦悩を憂えられ、御心悩は非常に激しいものであったようです。

 また天文148月の伊勢神宮への宣命(せんみょう)では、大嘗祭がいまだに行われていないことや、世の中に公道が行われず、有徳の人がなく、下剋上の心がさかんで暴悪の凶族がはびこり、国の力の衰微していく様をお嘆きになって、皇室と民の復興を祈られています。大嘗祭とは即位後に行われる最初の新嘗祭のことで、一代一回限りの大祭ですが、この大嘗祭によって新天皇に天皇霊が降りてこられるとされ、大嘗祭を経ない天皇はいまだ完全な天皇ではなく、半天皇と言われています。前代の後柏原天皇の時も行う費用が工面できず、お嘆きになっており、そのまま即位から5年後に崩御されました。大嘗祭は天皇にとってこの上ない大切なお祭りですが、この後江戸中期まで200年近く、大嘗祭は中絶を余儀なくされることとなります。大嘗祭だけではなく、伊勢神宮の式年遷宮すらも行うことが出来ず、そのお嘆きの心は苦しいものであったようです。

 災害のたびに、歴代の天皇は、責任をご自分に感じられ、神に不徳のお詫びをされ、民の平安を祈られました。この度の大震災でも、今上陛下がどれほど祈られたかが拝察できます。歴代の天皇で最もお祭りに熱心であると言われる今上陛下の、日本の国への危機感、焦燥感が伝わってくるようです。

 震災後のビデオメッセージ、折に触れてのお言葉、そうした数々のお言葉から伝わる今上陛下の思いを、どれだけの政治家が受け止めていることでしょうか。特に現民主政権の国民の生活などほとんど考えもせずに、保身ばかり、見栄やパフォーマンスばかり、誠実さのかけらもない言動は、どれだけ悲痛な気持ちで見ておられることでしょう。


 告日本国を書いたポール・リシャルは『日本の児等に』という詩の中で

 
  建国以来一系の天皇、永遠に亙(わた)る一人の天皇を奉戴せる

  唯一の民!

  汝は地上の万国に向かって、人は皆一天の子にして、

  天を永遠の君主とする一個の帝国を建設すべきことを教えんが為に
  生れたり
 

と書いています。変わることなきただひとつの中心を持つ世界で唯一の国、日本国、その国民である私達日本人は、今こそ天皇陛下の無私の御心のもとに、心を一つにして、この国難を全力で乗り切るべきです。

 

  万国に優れて統一ある民!

  汝は来るべき一切の統一に貢献せん為に生れ、

  また は選士なれば、人類の平和を促さん為に生れたり。





転載元転載元: 日本の感性をよみがえらせよう

東日本大震災で発生した岩手県の
災害廃棄物(がれき)の受け入れを発表した東京都に対し、
『放射能を拡散させないで下さい』などと反対するメールや
電話が寄せられていることが30日わかった。
都環境局によると、受け入れが発表された9月28日夜以降、
29日に<電話129件・メール33件>
30日に<電話222件、メール61件>の苦情が寄せられ、
大半が、『被災地支援もわかるが、子供がいて不安』
『放射能を入れてくるな』と言う反対意見の内容。
 
来年3月までに岩手県宮古市のがれき計1万1千トンを処理する予定。
鉄道で都内の民間破砕施設に
輸送して処理後、東京湾に埋め立てる。
このがれきを処理した焼却炉を岩手県が検査した所、
1キロ当たり133ベクレルの、放射線セシウムが検出されたが
国が災害廃棄物の広域処理で定める基準値
1キロ当たり8千ベクレルを大幅に下回っている。
都は30日、岩手県などと災害廃棄物の処理基本協定を締結。
今後は宮城県とも同様の協定を結び、岩手、宮城県のがれき役50万トンを
受け入れる方針。
 
 
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何度となくこういうニュースを聞きますけど、
そのたびに怒りが静かにこみ上げてしまいます。
 
自分の住んでいるところじゃなく、
被災地に押し込んでおけといいたいのですか?
『被災地支援もわかるが、子供がいて不安』>
全然被災地支援解っていないじゃないですか。
被災地に子供がいたら放っておくのですか?放射能があると言うことで。
是非お聞かせ願いたい。
『放射能を入れてくるな』>
 
レントゲン検査をした事無いのでしょうね…
 
 
つまりは自分の為ですよね。
 
こういう反応はね世界から
日本は何て冷たい国なんだろうと言われ
失笑されるだけです…
 
その放射能があるだろう所にボランティアの方
自衛隊の方、そして御皇族の方も
行かれました。
 
もう一度言います。
自分の生活だけが安泰ならそれでいいのですか?
 
情けも優しさも無い日本になってしまったようです。
 
   
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転載元転載元: 花徒然

神社のお話(四)

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伏見稲荷
 
全国の神社の中で最も多いといわれているのが稲荷神社で、総本社は、京都の伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)です。稲荷神を祀る日本全国三万二千社(全国社数の三分の一)の稲荷神社の総本宮とされています。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域としています。
式内社(名神大)、二十二社の上七社の一社で、旧社格は官幣大社。
毎年初詣の時期は近畿地方の社寺で最多の参拝者が参拝しています。(日本国内第4位〔2010年〕
 
御本社伏見稲荷大社は、伝承によれば奈良朝和銅四年(711)2月初午の日に、深草の里の長者秦伊呂具公(いろこのはたのきみ)が勅命により、三柱の神を伊奈利山三ヶ峰の平処に祀ったのが始まりで、「伊奈利」又は「稲生」と表記された御神号に、「稲荷」の文字か広く使われるようになったのは、稲束を荷った老翁の姿を神像として礼拝することが普及したことによるものと考えられる。社記には「衣食住ノ大祖ニシテ萬民豊楽ノ神霊ナリ」とあり、稲荷山が古くから民衆の信仰の“お山”であったことは、平安朝の女流日記随筆等によって偲ぶことができます。
また秦氏(はたうじ)は、古代の氏族で、秦氏の本拠地は山背国葛野郡太秦(うずまさ)(現在の京都市右京区太秦)、現在は映画村としても有名です。
 
また、朝廷より神威の盛大な神々に対して神階が贈られて格式が高められたが、稲荷大神に対しても、天長四年(827)に始めて「従五位下」を授けられて以降数次の贈位があり、、ついに天慶五年(942)「正一位」に叙せられた。今も「正一位稲荷大明神」と奉称されているのはその名残です。
 
主祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、大宜津比売(おおげつひめ)、保食神(うけもちのかみ)とも称され、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)を配祀して、五柱の神として祀るが、これら五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化としています。
 
《御神徳》
宇迦之御魂大神(うかのみたまのかみ)
 
古い祝詞に、この大神について「是稲霊也。宇賀能美多康謂」説明しているように、穀物の神様であり、ウカはウケとも云い、立派な「ウ」、食物「カ・ケ」の意味である。ミタマは、清明を養い育てる貴い根源の力を意味する語であり、この大神は生命の祖神に坐しますのである。
神々の伝説によると、我々の食物は五穀を始め、魚も家畜も、更に衣料のもととなる蚕もすべて、この大神がお生みになり、天祖天照皇大神は、稲を日本民族の主食とすべきことを教示し給うた。古来我国を、豊葦原瑞穂国と称え、国家繁栄の基本としてきた所以である。

佐田彦大神(さたひこのおおかみ)

猿田彦大神とも申し上げ、天孫瓊々杵(ニニギ)尊が高天原より御降臨の祭、御一行を日向の高千穂峰へ御先導申し上げた神様で、開運交通安全の守護神である。
 
大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
 
 高天原では天照皇大神の御前に仕へ、地上では天皇の側近として奉仕し、常に行届いた心配りと麗しい言葉使いを以て、神と人、君と臣との間を執り持って和平円満な関係を保ち、御心を安んじ奉った神様である。稲荷大神が、商売繁昌の守護神として崇敬されるのは、この大神の豊かな叡智と機転、愛嬌と麗辞の美徳にあやかり神習い奉るためである。
 
田中大神(たなかのおおかみ)
 
 稲荷神社の御鎮座以前から、稲荷山麓の里人等が奉斎してきた神様と考えられています。
 
四大神
 
 稲荷大神に神人として奉仕した秦氏一族が往古から奉祀してきた神様であろうと推測されている。
 
御神名「稲荷(いなり)」は「稲成(いねな)り」から変化したともいわれ、もともとは農業の神さまとして信仰されていましたが、現在では結びの信仰(ものごとを生み増やす生成発展の信仰)から、諸産業の神さま、特に商売繁盛の神さまとしても信仰されています。
稲荷神社の社頭には、朱塗りの鳥居が幾重にも建てられていることがありますが、朱色は生命の活性化、躍動感を表すといわれ、災厄を防ぐ色ともいわれます。また、狐の置物もよく見られますが、これは田の神、山の神の信仰との結びつきと考えられ、稲が実るころに山から人里近くに姿を現す狐の姿を、人々は神さまの使いと考えたと思われます。
 
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神の遣い(狐)  伏見稲荷
 
 

稲荷神社のお祭りは「初午(はつうま)祭」が有名です。これは、伏見稲荷大社の神さまが三ヶ峯(みつがみね)に天下(あまくだ)られたのが、和銅四年(七一一年)旧暦二月の初午の日であったことに由来し、毎年二月の最初の午の日にお祭りが行なわれます。
冒頭の画像にあるように、稲荷山には信者から奉納された約一万基の鳥居があり、特に千本鳥居と呼ばれる所は狭い間隔で多数建てられ名所となっている。鳥居を奉納する習わしは江戸時代に始まりました。
 
稲荷信仰の根源は、農耕民族である我国の、農耕神崇拝であって、生命の祖神、衣食住の守護神として、平安初期の人々の生活に深く根付いたが、仏教が伝来して神仏習合の思想が芽生え、稲荷神社が東寺の鎮守神と仰がれるに及び、稲荷信仰は飛躍的に庶民の間に伝播していきました。
 
社家には学者が多く、国学者の荷田春満も当社の社家出身である。境内には荷田春満の旧宅が保存されており、隣設して荷田春満を祭神とする東丸神社(あずままろじんじゃ)がある(元は末社であったが、現在は独立した神社。学問の神として信仰されている)。
 
 
※社家 社家とは、代々特定神社神職を世襲してきた家(氏族)のことです。
 
※荷田春満 (かだ の あずままろ、寛文9年1月3日- 元文元年7月2日 古典・国史を研究して復古神道を提唱。『万葉集』『古事記』『日本書紀』や大嘗会の研究の基礎を築き、賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤と共に国学の四大人の一人に数えられました。
 
 
 
次回につづく・・

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