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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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陛下が御入院されており、大変心配であります。
ここに陛下の御快癒を願い、陛下に誇りと自信を頂いた人々のお話を書いてみたいと思います。
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天皇皇后両陛下は、一年に数回地方へ行幸啓されます。
そのうち3回は毎年決まっております。
全国植樹祭、国民体育大会、全国豊かな海づくり大会。
この三つの行事を「三大行幸啓」といいます。
 
全国植樹祭は、大東亜戦争でたくさんに木を使ったため、荒れ果ててしまった山や林を緑豊かなものにしようと昭和25年から各県持ち回りで開催されました。昭和天皇、香淳皇后が式典に参加され、それぞれ苗木の「お手植え」と樹木の種を「お手まき」されました。木を植え育て、国土の緑を守ることの大切さを御自らお示しになられたのです。
 
ここに襟裳岬の緑化事業と今上陛下の御心についてふれてみたいと思います。
現在、襟裳岬は強風でも倒れない黒松が岬を覆っています。
しかし、そんな襟裳岬に木など全くない荒地の時期がありました。
襟裳岬一帯の海はもともと海産物の宝庫として有名で、魚や昆布などがたくさん採れていました。
ところが明治になると住宅用や燃料用の木材のために豊かな森林が次々切り倒されていったのです。
その結果、昭和の時代になると襟裳岬周辺は赤土だらけの砂漠のようになってしまいました。
 
荒れた大地の赤土は、強風と雨により容赦なく海へと流れ、やがて襟裳岬の海は赤く濁り、
魚や昆布が次第に姿を消していきました。
襟裳岬では、瞬間風速十メートル以上の強風の日が、年間約290日もあります。
そのため種を植えてもすぐ吹き飛ばされてしまうのです。
緑化事業最大の壁は、襟裳岬特有の強風から、いかにして蒔いた種を守るかでした。
試行錯誤の結果、浜辺に打ち上げられた「ゴタ」と呼ばれる雑海藻を使うことが提案されました。
ゴタは1回腐らせて乾燥させると粘着力ができます。
そこで種をゴタでネットのように覆うことにしました。
すると種は吹き飛ばされることなく、芽を出すようになりました。
こうして牧草による緑化は安定し、やっと木を植えられる環境になりました。
そこに黒松を1本ずつ植え、半世紀かけて襟裳岬を緑豊かな黒松の森に蘇らせることが出来たのです。
 
平成189月、天皇皇后両陛下は襟裳岬をご視察されました。
緑化事業に従事した駿河さんはゴタについて説明申し上げるために乾燥したゴタをお見せしました。
ところが、陛下はあえて、濡れて腐ったゴタを見たいとおっしゃり、
それを軍手も使わず素手でお触りになられたのです。
ゴタは一度腐らせているため匂いがきつくベタベタしていて
地元の人でも触るのを遠慮するほどなので、駿河さんは大変驚いたそうです。
さらに、陛下は、複数の海藻からなるゴタの一つ一つを手に取り、
「これはつのまたですね」など、海藻の名前を次々言われ、
わからないものは、「これは何という海藻ですか」とお尋ねになられたそうです。
長い間、海の仕事にたずさわってきた駿河さんにとって、これも大変な驚きでした。
陛下は海のことをよく勉強されているとつくづく感じたそうです。
 
陛下はこの時、次のような御製をご発表されました。
 
えりも岬
吹きすさぶ海風に耐えし黒松を永年かけて人ら育てぬ
(海の風が強く吹き荒れるこの地で人々は長い年月をかけて黒松を植え育てたのである)
 
平成19年、苫小牧で行われた第五十八回全国植樹祭にご臨場された陛下は、
襟裳岬の緑化事業の成果を詳しく紹介されました。
そして、森の回復が豊かな海をつくることを述べられました。
えりも町役場の方は陛下がこのように仰って下さることで、えりもはすごいところなんだ、という自信と誇りが芽生えた」といいます。
そして、「緑化事業の一番困難な時にたずさわっていた方々が存命なら、どんなに嬉しかったことだろうかと思います」と感慨深く語りました。
 
「黒松の森を守り続けていくのはえりも町の使命です」
と語る町役場の方の表情は自信と誇りに満ちていました。
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

外国人から見た日本人

昨今の国会での議論を見ていると、実に歯がゆいものを感じます。
国家観もなく、保身ばかりで、政党政治とはいえ党利党略ばかりにとらわれ、国の未来に関しての展望を議論しようという姿勢が見えてこないのです。
首相及び閣僚は、外遊すればお詫び行脚、情けない限りです。
1993年8月10日、当時の細川首相は先の大東亜戦争を「侵略戦争であり、間違った戦争であった」と断定して大きな波紋を引き起こしました。自国の威信と名誉に及ぼす影響は実に甚大なるものがありました。そして後の村山元首相による「村山談話」。
日本の首相で大東亜戦争を「侵略戦争」であると断じたのは1993年の細川護煕が最初であった。細川総理以前の歴代総理は頑として認めなかったのです。
では、外国の指導者たちは日本の指導者をどう捉えているのでしょうか?
以下に、マレーシアの元外相で、アセアンを結成した功績により国連ハマーシェルド賞を受賞。アジアを代表する外交官と言われた、ガザリー・シャフィー(シャフェー)氏の述べられたことを引用します。
日本の政治家はどうしてお詫びばかりするのか。今もT氏(自民党参議院長老)は、私に会うと一番に「過ぐる大戦において、我が国は貴国に対してご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と言うのだ。私は思わず言ってしまった。「どうしてそんな挨拶をするのか。我々はペコペコする日本人は嫌いだ。なぜサムライらしく毅然としないのか。日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか三ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。その偉業を忘れて、政治家たるものが、ステレオ・タイプのように同じ言葉でお詫びをする。人種がすっかり変わってしまったのかと思ったよ」と。

 
日本の政治家はなぜ論争しないのか。一九七四年の一月であったか、田中角栄首相がインドネシアを訪問したことがある。その時、四万の学生デモにとり囲まれて立往生し、ヘリコプターで虎口を脱し、何もせずに逃げ帰ってしまった。首相は、どうして学生を相手に公開討論を申し込まなかったのか。学生との討論の中で、日本の立場を堂々と打ち出したら、一度に人気が上がり、日本が見直されていたのに。惜しいチャンスを失ってしまった。

 特に私が惜しいと思うのは、日本ぐらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ。イギリスのサッチャー首相でなくても、責任感をもった政治家だったら、国家の名誉にかけて、必ず反論する。もし私が日本の政治家だったら次のように言うだろう。

 「その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然ではないか。諸君らは、何十年何百年にもわたって、彼らからどんなひどい仕打ちを受けたかを忘れたのか。日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、敗けたら自分のことは棚にあげて、責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジアの事大主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないのか」と。

 目先をごまかしてお詫びする日本人ほど、調子がよくなると、今度は威張りだすのだ。威張るのもダメ、ペコペコするのもダメだ。  

 日本人は、バック・ミラーばかり見ている。バック・ミラーは映し出されたもので、真物ではない。自分の目で前を見なければ、運転を誤るよ。
 
この談話が発表された当時、日本の高校英語教科書(三省堂)の内容が大きな問題になった。これは日本軍兵士が、マレーシアでおこなったという残虐行為をまた聞きする形で書かれていたのです。『マレーシアで日本軍が赤ん坊をほうり投げ、落ちてくるところを銃剣で突きさした』という伝聞が英語の教材になり、この項目を文部省が検定で黙認通過させていたのである。
 これを田中正明氏、半本茂氏らが問題視し、自民党の国家基本問題同志会(座長・亀井静香)や文教委員会に所属する議員らに陳情した。
 三省堂は問題が大きくなるのを恐れ「記述に誤解を与える恐れがある。事実関係が明らかでない内容になっていた」などの理由で問題の「戦争」を全部削除した。しかるに反日記事を売りものにする朝日新聞が、紙上で『マレーシア・日本兵による虐殺 私は見た』と題し『ほうり上げた赤ん坊を刺し、足で踏みつけ銃剣を抜いた』とマレーシア中学生向け英文歴史副読本の挿絵を記載した追加キャンペーンを報道したが、これがマレーシアの日本人社会で大きな物議をかもしたのです。
 かかる反日新聞や教科書が記載するような残虐行為を、日本軍は、マレーシアでおこなったのでしょうか?
マレー人長老ラジャー・ダト・ノンチック元上院下院議員は次のように明言している。
「日本軍はマレー人を一人も殺しておりません。なぜなら、マレー人は、日本軍をイギリス植民地の解放軍として歓迎し、日本軍の作戦に全面協力したからです」と。
 日本軍の進撃は電撃作戦といわれる猛進撃であり、一五〇年の永きにわたりマレー半島を植民地支配した英軍は、なすところなく敗走につぐ敗走をつづけた。わずか三ケ師団の日本軍第二十五軍が、数倍の兵力の英軍を撃破敗走させた作戦の裏面には、マレー半島の多数民族であるマレー人の日本軍への協力が大きな戦力となり、さらに英軍の主力であったインド人将兵が集団投降し、インド独立のためのインド国民軍が編成されたことは、勝敗を分けた日本と英国の戦史に明記されている。しかし、マレー半島には、日本軍を歓迎し作戦に協力したマレー人やインド国民軍編成に祖国インド独立への熱狂的エネルギーを爆発させたインド人のほかに、イギリス植民地と植民地経済の存続のために英軍に協力した華人(華僑)が多数いたことも戦史に明記されている。
 敗走する英軍は、反日華人を組織して抗日ゲリラ部隊を編成し、英軍諜報部隊の一三六部隊が武器、弾薬など補給物資を潜水艦や落下傘空輸で供給した。これら抗日ゲリラ部隊で代表的なものが「共産党マラヤ人民抗日軍」と「国民党マラヤ抗日義勇軍」である。
 日本軍は、シンガポールに昭南興亜訓練所、マラッカにマラヤ興亜訓練所、ジャカルタに幹部訓練所(タンゲラン青年道場)を開設し、マレー人青年の人材養成のための教育と訓練を開始した。これら訓練所出身者から選抜された南方特別留学生第一期生、第二期生が、日本の上級学校へ留学した。さらに、マラヤ義勇軍、マラヤ義勇隊、スマトラ義勇軍、ジャワ郷土防衛義勇軍(いずれも略称PETA軍)を編成し、各訓練所出身者が指揮官将校になった。
 ちなみに、ガザリー・シャフィー元外務大臣はマラヤ興亜訓練所の第一期生、マレーシアの故ラザク元首相は昭南興亜訓練所の第三期生、インドネシアのスハルト大統領はタンゲラン青年道場の第二期生、ラジャー・ダト・ノンチック元上院下院議員、フィリッピンのラウレル副大統領、インドネシアのヨガ・スガマ情報局長官らは南方特別留学生第一期生である。これらの人たちは、戦後それぞれの国の独立とASEAN結成に命がけの活躍をした代表的人物である。
 英軍に支援された抗日ゲリラ部隊との凄惨な戦闘が日本の敗戦まで継続し、ゲリラとの戦闘による日本軍戦死者とゲリラの略奪と殺害による住民の犠牲者は多数であったと記録されている。
 戦後四十三年を経た日本の反日新聞や教科書が伝聞として「マレーシアでの日本軍の住民虐殺行為があった」と記載していることに対して、マレー人長老たちは「日本の新聞は自分をいじめて喜ぶマゾ狂ですね。これは社会科学ではなくて病理学の分野です」と苦笑している。
 ならば「赤ん坊をほうり放げて銃剣で突きさす」という鬼畜の発想は、どこから出てきたのであろうか?
 ロシアの作家ドストエフスキーの著書「作家の日記」とか「カラマゾフの兄弟」の二冊の本(ドストエフスキー全集、米川正夫訳、河出書房)に、ロシアとトルコの戦争で兵士が「赤ん坊をほうり投げて銃剣で突き殺す」という物語があり、三省堂の高校英語教科書や朝日新聞の報道と同様の内容である。反日グループによる悪意の引用だったのです。
 マレーシアでは一昨年から政府の提唱による『国語(マレーシア語)愛用運動』が盛んである。小中学校の教科書はすべてマレーシア語であり、教育省の見解は「英語の副読本は認めていない」という。
 日本人は、マレーシアのマジョリティーたるマレー人社会を代表するガザリー・シャフィー元外務大臣、ラジャー・ダト・ノンチック元上院下院議員、さらにマハティール首相(ルック・イースト東方政策を提唱)、その他多数長老たちの発言をもう一度玩味するべきではないでしょうか?
多くの独立運動を指導した指導者を育て東亜の開放を目指した、先人の偉業を学び、誇りを取戻し、国家とは何か?国家をもたない民族の悲哀をも学ぶべきではないでしょうか?
 
そして、建国以来数年の占領期間こそあれ、万世一系の皇室を頂き世界最古の国家であることの慶びをも噛み締めるべきではないでしょうか?
 

参考文献、土生良樹  「マレーシアから見た日本」
     名越二荒之助 「世界から見た大東亜戦争」
 
 
 
 
 

情報を考える(TPP)

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TPPへの参加かどうかの報道が連日にぎわっています。
そして、TPPに関する情報もあふれかえっている状況です。
 
その「情報」に関して中西輝政氏は著書『情報を読む技術』の中で、
情報を読む姿勢として「楽観主義」と「悲観主義」という対比で、
どちらが的確に情報を役立たせることができるのかを書いています。
 
たとえばTPPの交渉で「とにかく参加して、悪ければ離脱すればよい」という楽観的考えと、
「いや、交渉に参加したら簡単には離脱できない」という意見があります。
さらには、「中身がわからない状況で交渉参加はすべきではない」という意見とともに、
「中身がわからないからまずは交渉に参加するのだ」という意見があります。
 
肝心の政治家自体がわかれている状況でも、マスコミの報道はどちらかというとTPP参加推進の論調なので、何も知らない国民は、離脱できるなら交渉くらいは参加してもいいのでは? とか、
よくわかんない、というところが大半かもしれません。
 
ここで私は自分の意見としてTPP参加、不参加については書かず、
中西氏の著書を参考に、あえて考えることにしたいと思います。
これはTPPに限らず、あらゆる「情報」にあてはまることです。
 
・・・・
ある情報に接したら、まずは、悲観的にとらえてみる。これが、情報を的確に読むためのスタート地点です。情報に対する基本的な姿勢、といってもいいでしょう。
情報というものは、つねにあやふやなものです。「百パーセントたしかな情報」など、まずありえません。だからこそ、情報を楽観的にとらえるのは危険です。楽観的にとらえたとたんに納得してしまって、それ以上、考えなくなってしまうからです。
朝のニュースのお天気コーナーで、「今日は雨になるでしょう」といっていたとします。ところが窓の外を見ると、雲一つない晴天です。これで、「なんだ、雨なんか降らないさ」といって傘を持たずに出るか。「降るかもしれないし、降らないかもしれない。午前中は晴れて、午後から降るかもしれない」と考えて、折りたたみ傘を持って出るか―
情報を読む姿勢としては、後者の方が正解です。私はこうした対比を、「愚かな楽観主義」と「活力ある悲観主義」と呼んでいます。
愚かな楽観主義は、情報を自分の都合のいいようにとらえて、あるいは自分の都合の悪い情報にはフタをして、考えることをやめてしまいます。言い換えれば、自分の「実感」でしか、ものごとをとらえないといったらいいでしょうか。
しかし活力ある悲観主義とは、いったんは悲観的に情報をとらえた上で、いろいろな可能性を考えます。そして、それぞれの可能性にシナリオを描き、結論を用意します。
こうして考えれば考えるほど、情報を読む精度は上がります。考えた分、危機に備えることもできますし、状況の変化に対する考え方や行動の柔軟性、迅速性も高まります。「悲観」を出発点にすると、自ずとより正しく考え、行動できるようになるのです。日本人という国民は、この過程を踏むことを非常に苦手としています。天気予報なら雨に降られるだけですが、これが国際関係となるとどうでしょう。
たとえば、中国の軍事予算が年々上がっているという情報があります。アメリカをはじめヨーロッパからインドに至るまで、各国の評論家も中国の危険性を指摘しています。ところが現在、私たちが日々、耳目に接する中国といえば、せいぜい、経済発展に勢いを得た買い物客が秋葉原や銀座に押し寄せている、といった程度のものでしょう。ここで私たち日本人は、満面の笑みで買い物袋をぶら下げる中国人を見て、「かつてのバブル期の日本みたいに、経済が発展すれば平和的になるに決まっている」と、安心してしまいがちです。「中国の軍事予算が上がっている」という情報を、目の前の中国人を見た「肌身の実感」で楽観的に読みかえ、思考停止してしまうのです。これでは、相手が「お天気」から「中国」に変わっただけで、「愚かな楽観主義」であることに変わりありません。困ったことに政治家までが、この楽観主義に陥りがちです
日本には国家戦略がない、とよくいわれますが、その根本的な理由はただ一つ。国のトップが、極力楽観主義を廃し、「Aに転んだらCBに転んだらD」という具合に、一つの情報に対していくつかシナリオを描いておく労力を避けているからです。「この情報は事実に間違いない」と確定して初めて策を講じるから、時間がかかるだけでなく、大抵は遅すぎて役に立たない。それだけではなく、シナリオで考えないから、戦略もビジョンもなく、つねに行き当たりばったりになってしまうのです
歴史をひも解いてみると、優れたリーダーは、ほぼ例外なく悲観論者です。前向きにことをいえば、人気は高まるでしょうが、国のかじ取りを誤りかねません。だからこそ、優れたリーダーは、プレッシャーに耐えながらも、あえて黙して悲観主義に徹し、あらゆる事態に備えてきたのです
(中西輝政氏著書『情報を読む技術』より)
・・・・・・・・・・・・・
 
これを読むと、余計な解釈は不要であります。
民主党の歴代首相(歴代といっても鳩山、菅)、そして野田首相に欠けているものこそ、
国家にとって一番危険だということが理解できます。
TPP交渉参加を主張する人たちの言い分は”楽観”過ぎると思えてなりません。
 
 
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