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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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天皇陛下、皇后陛下 御尊影
 
 
 
 
君が代
 
 
 
謹んでお伝え致します。
 
 
宮内庁発表によると、気管支炎などのため東京大学医学部付属病院(東京都文京区)にご入院中の畏くも天皇陛下の病状について、「せきが残っているが回復の方向に向かわれている」と説明。近日中に退院あそばされ、国賓で来日するブータン国王夫妻の歓迎行事が行われる16日までに公務に復帰されるという見通しを示した。
 羽毛田長官によると、畏くも天皇陛下におかせられましては、病室にパソコンを持ち込みあそばされ、13日に皇太子徳仁親王殿下が名代で行啓あそばされる山梨県での式典のお言葉のを準備されているということです。
 
公務、ご祭祀に責任感の強い畏くも天皇陛下におかせられましては、11月23日に、五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧めあそばされ、、また畏くも天皇陛下におかせられましても、これを食しあそばされ、その年の収穫に感謝あそばされる新嘗祭もひかえておられ、玉体がとても心配です。
政情が定まらぬ今日、畏くも天皇陛下におかせられましては、ご心中いかばかりか・・・
 
ご平癒を心から、祈念します。
 
 
(9日・水)
 
 (宮内庁発表分)
 
 【午前】
 
 皇后陛下 東京大学医学部付属病院(東京都文京区)お見舞い、のち宮城・御所
 
 へお戻り
 
 【午後】
 
 皇后陛下 平成23年度「ねむの木賞」受賞者4人をご接見(御所)
 
 皇后陛下 東大病院お見舞い、のち御所へお戻り
 
 
 

皇太子徳仁親王殿下、名代で山梨行啓へ

宮内庁は9日、天皇陛下の入院に伴い、畏くも天皇陛下と皇后陛下が予定あそばされていた13〜14日の山梨県行幸啓を取りやめられると発表しました。
畏くも天皇陛下の名代として、皇太子徳仁親王殿下におかせられましては、13日に甲府市で開催される「恩賜林御下賜100周年記念大会」に行啓あそばされる。
 皇太子徳仁親王殿下におかせられましては、13日に甲府市に泊まられる。14日は元々皇太子徳仁親王殿下が行啓を予定あそばされておられた、長野県松本市での農業関連の式典に行啓あそばされる。
 
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
 
 
 
 
初雪にはまだ早い今日この頃ですが、「降る雪や明治は遠くなりにけり 」昭和58年に亡くなった俳人、中村 草田男(なかむら くさたお)氏が明治生まれの草田男は、昭和の時代を目の当たりにして、雪が降るという季節の節目に立ち、母校の小学校を尋ねた際に作った句だそうです。
生まれた時代を振り返って、明治という時代が遠くになったものだな、と言う感慨を句にしたものと思います。
近年特に顕著な国力の退化、日本人の道徳観の荒廃、政治家の資質の劣化、日本人として歯痒く、哀しくおもいます。
明治の日本人は気骨にあふれ、たくましかった。日本人であることの誇りを抱き、信念に基づいて世界に飛び出していきました。
明治日本は、才能溢れる人材で満ち溢れ、国民は貧しくとも幸せな生活を送っていたことが、外国から見た明治日本を語る書籍等で多数紹介されています。
政治家にも、世界に誇れる傑物がいますが、世界から賞賛されたのは、多くの軍人でした。
 
 
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伊東 祐亨元帥
 
 
世界の大国、ロシアを相手に戦った「日露戦争」では、海の東郷平八郎元帥、陸の大山巌元帥、乃木希典大将、の名声は世界にと轟きました。
帝国海軍の初代連合艦隊を努めたのは、伊東 祐亨(いとう ゆうこう)元帥です。
伊東元帥は、天保14年薩摩藩士、伊東祐典の四男として鹿児島城下清水馬場町に生まれました。先祖は木崎原の戦いで島津義弘に敗れた日向の戦国武将伊東祐安。
開成所で英国学問を、江川太郎左衛門のもとで砲術を学び、薩英戦争従軍後には勝海舟が設立した海軍操練所で坂本龍馬、陸奥宗光らと共に航海術を学んだ。
日清、日露戦争に従軍した薩摩出身軍人の大半は、文久三年の薩英戦争で初陣を迎えています。
東郷平八郎、川村景明らは天保山砲台の守備を担当、山本権兵衛は後方で弾薬運搬などを行っていた。一方、大山巌、西郷従道、伊東祐亨、樺山資紀、黒田清隆、仁礼景範らは島津久光の発案で結成された決死隊に志願します。彼らはスイカ売りに変装して小舟で英国軍艦に近づき、敵が油断したところで軍艦に乗り込んで奪取する予定でした。伊東は大山、西郷と一緒にスイカや野菜、鶏を満載した小舟で敵艦に近付き「スイカはいらんか」と頻りに英国人に勧めたが、相手に怪しまれて結局この計画は失敗に終わりましたが、何とも大胆不敵な行動力でしょう。
 
戊辰戦争では阿波沖海戦や宮古沖海戦に参戦。
維新後は「日進」、「比叡」、「浪速」などの艦長を歴任し、海軍大学校校長、鎮守府長官などを経て、明治26年に常備艦隊長官に就任。
 
海軍軍人としての伊東元帥は、部下たちにやりこめられても、「わはは、またやられたわい」と破顔一笑して根に持たない器量人だったそうです。
艦隊戦術は「軍事の天才」島村速雄の提唱した単縦陣戦術を鷹揚に受け入れ、初代連合艦隊司令長官として日清戦争中の二大海戦(黄海海戦、威海衛<いかいえい>海戦)を勝利に導いた。
 その結果、清国北洋水師の提督丁汝昌(ていじょしょう)が自殺すると、情の人でもある祐亨は、その遺体を故郷に送るために分捕った運送船一隻を独断で提供するというふところの深さも見せた。伊東の姿勢は各国から高く評価されたが、その一方でこれを非難する者もあった。この批判に対し伊東元帥は、「この非難はもっともである。しかし自分としては、恐れながら大御心が斯くあらせられるということを平素から服応しているので、戦時においてもこれを実行したにすぎない。もしお咎めを受けるならば、もとより私は一死を以て御詫びする覚悟であった」と語っている。
明治大帝ならこうなされたであろうと語っているのです。
天皇陛下大御心を行動軌範としていた明治人の器量です。
 実際、伊東が丁汝昌の遺体を商船で送り届けることを決断した際、躊躇する部下たちに対し、「俺が同じような立場になっていたら、お前たちはこの体がボートで送り届けられてもよいのか?責任全ては俺が取る」と涙ながらに説得したと言われている。
これらの崇高な精神は、日露戦争の水師営の会見でもみられます。

またこの黄海海戦で旗艦「松島」が被弾した際、伊東元帥は幕僚らとともに被害状況を確認するために下甲板に降りた。一行が負傷者収容所を通りかかったところ、瀕死の兵士が一人倒れていた。その兵士は司令長官が来た事に気づくと、力を振り絞って伊東元帥の足元に這い寄り、かすれた声で「長官、ご無事でありましたか」と言いながら、振るえる手で伊東元帥のズボンを掴んだ。伊東元帥はその兵士の手を握ると、「伊東はこの通り大丈夫ぢゃ。分かったか」と言いつつ、2、3回ドシンドシンと足踏みをして見せた。これを聞いた兵士は安心したように「長官さえご無事ならこの戦は勝ちます」と言って息絶えた。伊東元帥は涙を流しながら、しばらくの間この兵士の手を離す事が出来なかったという。戦後、伊東元帥は小笠原長生に「俺はこの話をするたびに胸がいっぱいになる。その名が判らなんだのが遺憾千万ぢゃ」と語っている。

拙ブログでも幾度となく紹介させていただきましたが、我国は建国以来、天皇陛下を国父、皇后陛下を国母と仰ぎ、崇敬し、歩んできた国です。
国民は一つの大きな家族として形成した歴史があります。
伊東元帥もとても部下を大切にされたのです。
日露戦争後、乃木大将が凱旋され、明治天皇陛下の御前で自筆の復命書を奉読した。復命書の内容は、第三軍が作戦目的を達成出来たのは天皇の御稜威、上級司令部の作戦指導および友軍の協力によるものとし、また将兵の忠勇義烈を讃え戦没者を傷む内容となっていたことからも窺えます。
伊東元帥は蛇が大嫌だったそうです。艦長時代に艦内点検中に甲板上で索具がグルグルに巻かれているのを見た伊東元帥は、蛇のトグロを連想して堪えられなかったそうで、そこは顔をそむけて通過した。そして後になって、「索具を甲板上に巻き飾るに及ばず」という命令を出されたという逸話があります。
 また、日清戦争後に秋田県の祝賀会に招かれた際、会場に行く途中の山路に落ちていた一片の縄を蛇と見間違えて一瞬顔色を変えたため、招待客の一人が「砲煙弾雨をものともせず、あの大海戦で三軍を叱咤された勇猛果敢な大提督にも、やはり世の中に怖いものがあるのか」と言われ、一場の笑い話になってしまった。
 明治38年の日露終戦の後は元帥に任じられた。明治大帝の指示どおり、政治権力には一切の興味を示さず、大正3年、軍人としての生涯を全うされた。72歳の御生涯でした。
 
この時代の方々には、「日本の発展を願ってやまない骨の髄からの愛国者」で、「気骨にあふれ、たくましく、日本人であることの誇りを抱き、信念に基づいて」行動されました。、彼らをそのように育てたのはその前の世代、つまり国学(日本古学、、古道学、皇学)の教えが基本となっていました。

国学は遥か太古のわたしたちの祖先から受け継ぎ伝えられてきた学問で、宇宙の起源や日本国の成立からはじまり、日本人としての生き方、人間としての生き方を教えてくれますので、それを学ぶことによって、目先の小さな損得に捕らわれず、この世に生まれて自らの使命を果たす道を本能的に進んでいくように思います。

もちろん諸外国の学問を学ぶことも大切ですが、日本の学問を知らずにそれらを学んでしまうと、一種の先入観に捕らわれてしまい、本来の日本人としての素晴らしいものが見えなくなってしまうという弊害が生まれてくるようです。
これらの本質が見えないのが、現在の日本人の姿ではないでしょうか?
 
「降る雪や明治は遠くなりにけり 」そう思うのは私だけでしょうか?
 
 
 最後に畏くも今上天皇陛下のご病気平癒、皇族方がお健やかであられることをこころより祈念いたします。
 
 

名もなき英雄たち

 
 
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名もなき英雄たち
 
東日本大震災。
日が経つにつれ、のど元過ぎれば忘れっぽい日本人に、もう一度記憶に残してほしい話があります。
・・・・・
 
宮城県石巻市で、氷のように冷たい水に胸までつかりながら、
67人のお年寄りを救った15歳の少年がいました。菊池透也君、中学三年生です。
 
東日本大震災当日、透也君は母の由理さんと自宅近くを車で移動中でした。
透也君は当時の様子を、
「振り向いたら車がおもちゃのように流されていて、信じられなかった」と語った。
 
高台に避難した後、そこから見えた車の中に人影を見つけた。
車の上にさらに車が積み重なり、危険な状態だった。
由理さんに「大人に任せなさい」と制止されたが、覚悟は決まっていた。
「自分がやらなかったら、死んでしまう」
透也君は母の反対を押し切って助けに行くことを決めた。
ジャンパーにスエットという軽装のままだった。
3月のとても冷たい水に胸までつかりながら車のドアを押し開け、ふるえている高齢の女性を助けた。
 
その後も車の中で助けを呼ぶ人々を次々助け続けた。
中にはかなり重たいドアもあったという。
透也君は「なかなか開かないドアもあったが、その時は強い力が出ました」と言う。

日が暮れてからは、誰かの持っていた懐中電灯の明かりだけが頼りだった。
高齢者を67人助け終えたとき、寒さでふるえている自分に気付いた。

透也君の家族は幸いにも皆無事でしたが、自宅は土台を残して全て流され跡形もなくなっていた。
2軒隣に住んでいて「何でも話し合えた」という幼なじみの同級生の女の子は、
自宅から1キロ以上離れた場所で遺体で見つかった。
 
「あいさつをすれば言葉が返ってくる温かい町が、震災を境に寂しくて悲惨な場所になってしまった」

透也君の誕生日は117日。あの阪神淡路大震災があった同じ日の翌年に生まれたのです。
 
「阪神大震災も復興したんですよね。この街も僕ら若者が立て直します」
透也君は避難所で炊き出しなどに走り回るボランティアを見て、
将来は困っている人を助けられる人間になりたいという。
・・・・・
 
台湾の高雄市の義守大学では、日本語学科の学生が毎年発行している短歌・俳句の雑誌で被災者を励ます特集が組まれました。
『台湾人と日本精神』という著書で有名な蔡焜燦(サイコンサン)さん。
この著書では、「日本人よ目覚めよ、そして自分の国を愛しなさい」と、元日本人として今の日本人に激励のメッセージを書いてくれました。
「かつて半世紀もの間、歴史を共有してきた台湾で、今だ『日本精神』が勤勉で正直、そして約束を守るというもろもろのよいことを表現する言葉として使われている。
それは、日本の先人たちがその叡智をふりしぼって前近代的社会であった台湾を近代化させ、愛をもって民衆の教育に努めた成果なのである。これは歴史の“真実”であり、戦後日本の進歩的文化人が振りかざすような希望的推測やフィクションとはわけが違う。台湾では我々日本語族の世代が、こうした日本統治時代の輝かしい歴史の側面を孫・子の代にしっかりと語り継いでいる。
・・・台湾人が最も尊ぶ日本統治時代の遺産はダムや鉄道などの物質的なものではなく、『公』を顧みる道徳教育など精神的遺産なのである。こうした遺産は、台湾の発展の基盤となり、またこれからも語り継がれていくことだろう。・・・ただ、日本が立派な国としてあり続けてほしいからこそ、時に苦言を呈することもある。
また、国際社会における日本のおどおどした姿勢に苛立ちを覚え、息子を叱りつける思いで『なにやってるんだ!』と思わず怒りを口にすることもある。そして、現代に日本人の精神的荒廃を嘆くあまり、頭に血がのぼってしまうこともしばしばである。・・・・かつての日本人は立派だった」
と、心からのお叱りを読み、私は日本人として恥ずかしい気持ちでありました。
 
しかし、その蔡焜燦さんまでもが今回の大震災で短歌を寄稿してくれたのです。
「国難の地震と津波に襲はるる祖国護れと若人励ます
「被災者の気高き姿に人ら言う『日本精神』健在なりと」
 
 
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