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春日大社
春日大社(かすがたいしゃ)は、奈良県奈良市の奈良公園内にある神社です。旧称春日神社。式内社(名神大社)、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。全国にある春日神社の総本社です。
二十二社(にじゅうにしゃ)は、神社の社格の一つで、国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受けた。後朱雀天皇治世の長暦3年(1039年)に22社目の日吉社が加わり、白河天皇治世の永保元年(1081年)に制度としての二十二社が確立したとされています。
春日大社は当初、春日神社と呼ばれていました。
飛鳥時代の孝徳天皇2年(大化2年)に発布された改新の詔(かいしんのみことのり)に基づく政治的改革。乙巳の変(いっしのへん)で活躍した中臣鎌足(なかとみ の かまたり)が臨終に際し、大織冠とともに藤原姓を賜ったのが藤原氏の始まりです。
『藤氏家伝』によると、中臣鎌足の出生地は大和国高市郡藤原(奈良県橿原市)
で藤原という姓も出生地の地名から取られたものですが、『大鏡』では、大原(現在の奈良県明日香村)や常陸国鹿島(茨城県鹿嶋市)とする説もあります。
天智天皇から藤原朝臣の姓を賜った鎌足の次男が藤原 不比等(ふじわら の ふひと)です。不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職に就くことができるとされた。不比等以外の鎌足の子は、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当することと明確に分けられた。このため、不比等が藤原氏の実質的な家祖と言われています。
中臣氏(なかとみうじ)は、古代の日本において、忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった中央豪族で、古くから現在の京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた。天児屋命(あめのこやねのみこと)を祖とし、姓(かばね)は連(むらじ)、八色の姓制定後の姓(かばね)は朝臣(あそみ・あそん)。天児屋命は、天孫降臨の際瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に随伴してきた神です。
妻は天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した神として知られています。
八色の姓(やくさのかばね)とは、天武天皇が天武13年(684年)に新たに制定された「真人(まひと)、朝臣(あそみ・あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)」の八つの姓の制度のことで、真人は主として皇族に与えられたので、朝臣は最高位に位置します。
春日大社 本殿
春日神社は、藤原 不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命・タケミカヅチノミコト)を春日の御蓋山(みかさやま)に遷して祀り、春日神と称したのに始まります。社伝では、神護景雲2年に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取神の経津主命(ふつぬしのかみのみこと)と、枚岡神社に祀られていた藤原氏の始祖・天児屋根命・比売神(ひめがみ)を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀としています。比売神は、特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神をいいます。春日神社では、上述の天美津玉照比売命です。
春日神社の御祭神である武甕槌命様・経津主命様は、日本の国を秩序ある国にするためにあらゆる神々と交渉され、平和裡に治められた功績ある神々であり、また天児屋根命様は神事と政治を守り導かれる神として、比売神様、平和と愛の尊い神様であり、それぞれの霊験を仰ぎ御加護を頂いてまいりました。この四柱の神々様は、それぞれ端正な春日造の御本殿(国宝)に鎮座されており、最も尊崇すべき神々として春日皇大神と申しあげ、また、春日四所明神、春日大明神として祭祀され皇室・国家の守護神とされてきました。
神紋は下がり藤。武甕槌命が白鹿に乗ってやってきたとされることから、鹿が神使とされています。
昭和21年12月に現在の春日大社に改称されました。
奈良公園の鹿
神代の時代から皇室をお守りしてきた藤原氏は、奈良時代に、南家・北家・式家・京家の四家に分かれ、平安時代までは本姓の「藤原」を称したが、鎌倉時代以降は姓の藤原ではなく、「近衛」、「鷹司」、「九条」、「二条」、「一条」などの苗字に相当する家名を名のり、公式な文書以外では「藤原」とは名乗らなかった。これらをあわせると特に朝廷における比率は大きく、地方に散った後裔などもふくめ、日本においては皇室(およびその流れを汲む源平など)に次いで大きな広がりと歴史を持つ家系となりました。
「近衛家」は、昭和初期の内閣総理大臣近衛文麿はこの嫡流、、「九条家」から大正天皇陛下へ貞明皇后陛下が入られた。「一条家」から幕末期の当主・一条忠香の三女が明治天皇陛下の皇后陛下となられた。
平成20年10月31日に春日大社に御親拝あそばされた、畏くも天皇陛下、皇后陛下御尊影
樹齢約800年 「砂ずりの藤」
年1回、秋頃に全国の藤原氏の末裔が春日大社に集まり、親睦を兼ねた会合「藤裔会」を執り行っています。 現代の藤原氏の多くは全国各地に存在する藤原という地名が発祥と考えられていますが、
安藤 - 安房に移った藤原氏。
伊藤 - 伊勢に移った藤原氏。
江藤 - 近江に移った藤原氏。
衛藤 - 衛府に務めた藤原氏。
加藤 - 加賀に移った藤原氏。
紀藤 - 紀伊に移った藤原氏。
工藤 - 木工寮頭を務めた藤原氏。
後藤 - 備後に移った藤原氏。単に藤原氏の後裔を示す場合。
近藤 - 近衛を務めた藤原氏。
左藤 - 左衛門尉(さえもんのじょう)。
佐藤 - 佐渡、佐野に移った藤原氏。佐(すけ)など律令制の役職との合体も含まれる。
斎藤 - 斎宮寮頭を努めた藤原氏。
藤重 - 藤原氏の繁栄を祈した。
尾藤 - 尾張に移った藤原氏。
以上は、苗字の由来であり、これらの苗字だから藤原氏の子孫とは限りません。 続く・・・・
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2011年11月12日
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