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11月23日は稲の収穫に感謝し、豊穣を祈る新嘗祭です。
天皇陛下の宮中祭祀であります。
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終戦後、宮内省庁舎の2階にあった侍従武官府では戦争が終わったため侍従武官たちは仕事がなくなっていました。
侍従武官とは、陛下の常時お側で軍との連絡をとるために奉仕する陸・海軍将校で、エリート将校の中から選ばれた選りすぐりでありました。
終戦時、彼らはまるで気が抜けており、夕方になると武官府にたくさんあった清酒「惣花」を酌み交わしていたという。
この「惣花」は灘の生一本で、明治天皇が好まれたことから宮中の専用の銘柄となったものです。
戦争中は、毎朝8時に侍従武官が陛下のもとにあがって、その日ごとの天気予報を報告することになっていました。これは天候によって作戦が左右されるからでした。
この報告は海軍が気象情報を収集していたので、その日の当直の海軍侍従武官が行うことになっていました。
戦争が終わり、空襲被害や戦況の上奏は行われなくなっていましたが、天気予報の報告だけは数日間そのまま続けられていました。
8月30日の夜、今井秋次郎中佐は海軍の当直でした。
今井は終戦で空襲がなくなったのでそのまま熟睡し、翌朝7時半ごろに目が覚めました。
この頃には軍令部から天気予報についての電話もかかってこなくなり、陛下もいつも無表情で聞かれていたので、ご負担をおかけしては畏れ多いと思い、報告をしていませんでした。
すると、侍従から電話がかかってきて、
「御上が天気予報を待たれている」と言ってきました。
今井は慌てて軍令部に電話をかけて天気予報を聞き出し、
御執務室の前の廊下でいつものように待っていると、陛下が背広を着て出御されました。
陛下に従って部屋に入ると、天気予報について報告しなかったことを詫びてから、
「ここ数日は、曇天か小雨になるものと思われます」と申し上げました。
陛下はいつものように黙って聞いておられました。
そして、報告が終わると陛下は頷かれ、窓の外に目をやられ、独り言のように言われました。
「では、稲は大丈夫だね」
今井は愕然として衝撃に打たれたようにたじろぎました。
戦争が終わったので、天気予報にはもう用がないだろうと勝手に思っていたら、天皇は稲作について心配されていたのでした。
今井は武官府に戻ると泣きながら陸軍武官の当直であった吉橋戒三大佐に話しました。
すると吉橋も感激して、泣きはじめたのです。
今井も吉橋も、陛下が毎朝空襲の被害状況について聞かれ、戦況が大きく動かなくても、
夕方に戦況について報告を受けられていた理由が初めてわかったのです。
陛下は常に国民のことを想っていらっしゃったのでした。
昭和天皇はいつも農作物の出来具合を心配されていました。
天皇陛下は国民の安寧と繁栄を祈る神官であり続けたのです。
歴代天皇はずっと皇祖を祀り、民草の幸福を祈ってきたのです。
これが我が皇室の伝統です。
昭和63年、この年は長雨が続きました。
昭和天皇は病床から白いレースのカーテン越しに小雨が降っているのをご覧になりながら、
「長雨にたたられた今年の稲の実りはどうなっているのか」と言われました。
陛下も吹上御苑の東南にある小さな水田で、ゴム長靴をはいて水から田植えされ、稲を育てられました。今上陛下も同じ水田で田植えをされて、刈入をされています。
これは天照大御神が高天原の斎庭(ゆにわ)の稲穂をとって皇孫に授け、耕作を命じた神勅にもとづいているのです。天皇陛下は日本神話と一体となっておられました。
日本神話で天孫降臨といわれますが、天照大御神の孫のニニギノミコトが大御神の命によって
日本の国土を統治するために、稲穂を持って今の宮崎県の日向の高千穂峰に降りられたのです。
ちなみに、日本酒「惣花」は今も日本盛によって販売されています。
「惣花」の由来は、めでたいと今日も朝から大祝い、千客万来の福招き商売繁盛、です。
この銘酒「惣花」は、明治32年に皇室御用酒となり、
昭和34年には今上陛下のご成婚の祝い酒としても用いられました。
「惣花」は幻の酒と言われ、それほど多く生産されていません。
特別な製法で造られており、通常の純米吟醸酒が60%の精米歩合のところ、惣花は贅沢にも55%まで酒造好適米とされる、丹波の山田錦を削って造られています。さらに特別な惣花酵母を使用し、10度くらいの低温の環境で3段仕込みをしています。丹念に造り上げられたまろやかな味わいときれいなごく味、高級品の風情を楽しめる、最高級の日本酒であります。(日本盛HPより)
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