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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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神社のお話(九)

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三輪山(大神神社HPより)

古来より神の鎮まりますお山として、『古事記』や『日本書紀』には、御諸山(みもろやま)、 美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)と記され、大物主神(おおものぬしのかみ)の鎮まりますお山、神体山として信仰され、 三諸の神奈備(みもろのかむなび)と称されています。
山内の一木一草に至るまで、神宿るものとして、一切斧(おの)をいれることをせず、松・杉・檜などの大樹に覆われています。


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昭和59年10月13日の、昭和天皇陛下ご親拝を記念し、また御在位60年を奉祝して建立され、昭和61年5月28日に竣功しました。
高さ32、2メートル、柱間23メートルの偉容を誇る、日本一の大鳥居です。材質は耐候性鋼板であり、耐久年数1、300年と言われています。



筆者が昨年9月に参拝させていただいいた時も平日にも関わらず、
最近のパワースポットブームでの参拝者が多く、車を駐車場するまでに一時間近くを要しました。
奈良県桜井市にある『大神神社(おおみわじんじゃ)』。別名を「三輪神社」といいます。大和国で中世には延喜式内社・二十二社の中七社のひとつとされました。旧社格は官幣大社
日本神話にも記載され、大和朝廷の設立当初から存在し、「日本最古の神社」と呼ばれる歴史、由緒ある神社です。
神社の中で最も重要な「本殿」を持たず、背後の三輪山そのものを御神体としており、神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とされています。
神奈備とは、神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森の神域をさし、神籬(ひもろぎ)磐座(いわくら)となる森林や神木(しんぼく)や鎮守の森や山(霊峰富士)をさし、または(夫婦岩)や滝(那智の滝)などの特徴的な自然物がある神のいる場所をいいます。

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)主祭神とし大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)を配祀し、祀られています。
大神神社の由緒によれば、三輪の神、大物主神について、文献で最初に記述されるのは、 我が国最古の歴史書、『古事記』の上巻にあります。
それによれば、大国主神が、自分と協力して、ともに国造りに励んできた少彦名神がなくなられ、 独りしてどうしてこの国を造ればよいか思い悩んでいた時、「海を光(てら)して依り来る神」が あった。その神が、「我がみ前をよく治めれば協力しよう」と申し出た。これに対し、大国主神は、 「お祭り申し上げる方法はどうしたら良いのでしょうか」と問うたところ、その神は、 「自分を倭(やまと)の青垣、東の山の上に斎きまつれ」と希望した。その後に、 「こは御諸(みもろ)の山の上に坐す神なり」と記されています。
つまり大和の国の周囲を垣のように取り巻いている青山のその東方の山上、三輪山にお祭りした神が、 三輪の神であり、これが大神神社ということであります。続いて、同じ『古事記』中巻の 神武天皇段に至って、三輪の神は「大物主神(おおものぬしのかみ)」であることが記されます。

また『日本書紀』には、同じ内容が書かれ、大国主神の別名である大己貴神(おおなむちのかみ) が、協力者の少彦名神(すくなひこなのかみ)がなくなられたので、嘆き悲しんでいるところへ、 海を照らしてやって来た神があり、この神は、大己貴神の「幸魂(さきみたま)・奇魂 (くしみたま)」であると言い、「日本国(やまと)の三諸山(みもろやま)に住みたい」と答える。 そして「この神が大三輪の神である」と記しています。
続いて『日本書紀』の崇神天皇8年に、大田田根子(おおたたねこ)が三輪君族の始祖であり、 三輪の神が大物主神であることが示されています。
大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。また国の守護神(軍神)、氏族神(大田田根子の祖神)である一方で祟りなす強力な神(霊異なる神)ともされている。

摂社の檜原神社は天照大神をはじめて宮中の外に祀った「倭笠縫邑」の地であると伝えられ、元伊勢の一つとなっています。
元伊勢とは、
三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮内外両宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所をいう。
伊勢内宮の祭神である天照大御神は皇祖神ですが、崇神天皇の御代までは大君(天皇陛下)と「同床共殿」であったと伝えられ、つまり宮城内に祭祀されていましたが、その状態を畏怖した崇神天皇が皇女である豊鋤入姫命(とよすきいりびめのみこと)にその神霊を託して倭国笠縫邑(わこくかさぬいむら、かさぬいのむら)に移したのに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とされ、垂仁天皇の第4皇女倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地の伊勢に遷座したと伝わっています。その経緯は『古事記』にはこれを欠くものの、『日本書紀』で簡略に、『皇太神宮儀式帳』にやや詳しく、そして中世の『倭姫命世記』においてより詳述されていますが投稿文字数に限りがありますのでまたの機会にご紹介したい。

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大神神社は三輪山そのものを御神体としていることは上記にも述べましたが、山中には、苔むした神の憑依(よりしろ)である磐座(いわくら)が各所に厳存し、山頂には奥津磐座(おきついわくら)、中腹付近には中津磐座(なかついわくら)、山麓付近には辺津磐座(へついわくら)があります。

神宿る山ゆえに、早い時代からみだりに足を踏み入れることの出来ない禁足(きんそく)の山となり、江戸時代には幕府より厳しい制札が設けられ、神社の山札がないと入山することは出来ませんでした。

明治以降は、この伝統に基づいて、「入山者の心得」が定められ、現在ではこの規則を遵守すれば登拝(とはい)することが出来ます。
狭井神社(さいじんじゃ)で、申し込みを行い、許可を得て、「三輪山登拝証」と書かれたタスキをかけ、お祓いをすませてから、登拝します。
道中このたすきを外すことは禁止されている。行程は上り下り約4kmで、通例2時間ほどで下山できるが、3時間以内に下山しなければならないという規則が定められています。また山中では、飲食、喫煙、写真撮影の一切が禁止され、下山以降も山中での情報を他人に話す事を慎むのがマナーでもある。午後4時までに下山しないといけないため、午後2時以降は入山が許可されない場合があります。
入山せずに参拝する際には、大神神社の拝殿から三輪山を仰ぎ拝みます。
下記の画像は大神神社HPのものをお借りしました。


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狭井神社入山登拝口




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磐座(山の神)



最近は、特に入山登拝の人たちが多く、登拝道に沿って、磐座(いわくら)を熱心に拝む姿が見られ、太古よりの信仰が今に生きています。
磐座とは、神の御座所(おましどころ) を意味します。
三輪山麓には聖水思想が古代から存在したことが指摘されており、。纏向遺跡尾崎花地区の井泉と家ツラの導水施設は、古典で言う井水を浄化して聖水とする為の施設であると推測し、「三輪の磐井」と呼ばれる井泉があり、大泊瀬皇子(後の雄略天皇)と「三輪の磐井」のほとりで戦った御馬皇子が、「この水は、百姓のみ唯飲むこと得む。王者は独り飲むこと能(あた)はじ」(『日本書紀』雄略天皇即位前紀)と呪詛したことを挙げ、5世紀頃の三輪山麓に聖水思想があったことが証明されています。

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大神神社詳細(大神神社HPより)



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三ツ鳥居(みつとりい)は、鳥居の様式の1つである。三輪鳥居(みわとりい)ともいいます。

明神型鳥居を三つ組み合わせた、一名「三輪鳥居(みわとりい)」とも言われる独特の鳥居で、いつ頃どのようにして、この形式が出来たのかは不明ですが、神社の記録にも「古来、一社の神秘なり」と記されているだけです。
左右には、長さ16間の瑞垣(みずがき)が設けられ、ご祭神とゆかり深い動物、花鳥など、すぐれた木彫りの欄間が、はめ込まれています。三ツ鳥居、瑞垣ともに
重要文化財に指定されています。


四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
例えば、山の神は、生産をつかさどる神です。それもありとある全てのものをつかさどっているといえます。なぜなら猪、鹿などの獲物や山の樹木、銅や鉄、田を潤す水に至るまで、山からもたらされるものは全て山の神のお陰だと祖先は信じ、崇めてきました。狩猟や林業、炭焼きなど山仕事をする人々にとっては、大切な生活の糧(かて)を与えてくれる神として厚く信仰されています。また、田の神と山の神は同じ神さまだともいわれ、山の神は春になると人里に降りて田の神となり、稲を守り豊穣(ほうじょう)をもたらし、秋に収穫が終わると山に帰ると信じられています。

人間は、神代の昔から変わることなく、自然の恵みを受けて生活しています。森羅万象、見えないものまで、自然は子々孫々に受け継がなければならない人類共有の財産です。太陽・空気・水、どれが欠けても人間は生きていけません。これらすべてのものを、当然あるものと考えていないでしょうか。自然は人間が創り出したものではなく、一度無くしてしまったら取り返しがつきません。古代の日本人は、自然を崇敬し護るべきものと知っていました。失ってしまったらら元に戻せないと知っていたからです。古代人に習い、自然への感謝と畏怖の気持ちを忘れてはなりません

日本最古の神社、大神神社はそれを語っています。


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秋篠宮文仁親王殿下、悠仁親王殿下 御尊影





秋篠宮文仁親王殿下の46歳のご誕生日を臣民の一人として心よりお祝いし、殿下がお健やかなること、秋篠宮家の彌榮を祈願します。




以下にNHKニュースより引用します。
秋篠宮さまは、30日、46歳の誕生日を迎えられました。記者会見で、東日本大震災の被災地を訪問したことに触れ、「長期的な視野で今後の復興を見守り、末長く被災された方々に心を寄せていきたい」と話されました。

秋篠宮さまは、誕生日を前に紀子さまと記者会見に臨まれました。この中で秋篠宮さまは、東日本大震災の被災地を訪問したことに触れ、「大変な状況のなかにあって人々は、非常に前向きな姿勢で一日一日を過ごしているという印象を持ちました」と述べたうえで、「長期的な視野で今後の復興を見守り、末長く被災された方々に心を寄せていきたい」と話されました。紀子さまも、震災について、「人々の心身の健康や子どもたちの成長を長期にわたって見守る活動などに、関わっていくことができればと思います」と語られました。また、天皇陛下が気管支炎で入院されたことについて秋篠宮さまは、被災地へのお見舞いなど公務が特別に多い1年だったと振り返り、「宮内庁には、これからの行事のあり方を今の状態でずっといいのだという認識ではなくて、常に医師とも連携を取りながら柔軟に対応していくことが必要だ」と述べられました。さらに、天皇陛下の負担軽減のため、ある程度の年齢で公務を減らし国事行為に専念する「定年制」のような制度を設けることについて考えを尋ねられると、「定年制というのはやはり必要で、一つの考えだと思います」と答えられました。そして、年老いていくスピードは人によって変わるとして、「ある年齢で区切るのか、どうするのか、というところも含めて議論しないといけないのではないか」と述べられました。一方、女性皇族の結婚で、将来、皇族の数が大幅に減るおそれがあることについて秋篠宮さまは、国費負担が少ないという点では悪くないとしながらも、「現在の皇室を維持していくためには、ある一定の数というのは当然必要になってくる」と述べ、「今後の皇室のあり方を考えるときには、私、もしくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあってよいと思います」と話されました。



畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかにと願ってやみません。




尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳

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