戦後教育(六)「教育勅語」とは一昨年、戦後我國の政治を担ってきた自民党より、民主党への政権交代が為されました。
多くの國民は歓喜し、新しい政治に期待しました。
しかし、その後の新政権は、有権者の期待をよそに右往左往、迷走の繰返しばかりで、政府の体を為してない状況です。
民主党議員の多くは、戦後教育を受けた世代の議員が殆どであり、國家観の欠如が指摘されています。
すべて戦後教育の弊害が顕著な政党だと言えます。
前回の戦後教育(五)では、教職員の公職追放について述べましたが、優秀な教職員の公職追放よりも「教育勅語」を失効してしまったことが一番の欠陥であるといえます。
今回は「教育勅語」とは何かについて考えたいと思います。
「教育勅語」は、こころない人々が言う、国粋主義でも排他主義でもありません。日本の国体(お国柄)に根ざしながら、尚且つ、世界に通用する価値観が込められています。
「教育勅語」は、
日本の国体と国体精神の明示(欧化主義一辺倒の是正)
教育の大目標の明示(教育大本の確立)
国民の勤勉性と遵法精神の育成(資本主義・自由主義国家の国民精神基盤の育成)
三つの成果をあげました。
日本の近代化は、「教育勅語」と「明治憲法」によって揺るぎない基礎が作られた両輪なのです。
教育熱心であられた明治天皇陛下は、明治十九年の東京帝大御視察あそばされ、帝大教育が西洋学術(法学・理学・医学)のみを教え、全ての学問の中心となる国史・国漢学・修身が教えられていないことにひどく失望され、帝大教育の改善を望まれました。渡辺帝大学長は、その非に気づき、明治二一年になり、ようやく国史・地理の講座を設けました。
日本の国史・修身の必要性を認識していなかったのです。
学問とは、学問を発展させた民族の歴史・伝統を背負っています。憲法を例にとっても、英・米・仏・独それぞれの歴史・伝統、お国柄を背負っています。
自国の歴史、お国柄を知らずして外国の学術を取り入れた場合、外国の精神的奴隷となったであろう。明治天皇陛下が帝大教育に失望された理由も、ここにありました。
小学校においても、その間の事情は、帝大と似たり寄ったりの欧化主義に陥っており、さらに、子供が学校で習った知識をひけらかし、親をバカにするといった様相を呈していたのです。
知事会議にて、東京府高崎知事は「政府の文教政策は、幼年者を奨励して虚無党を養成しているようなものだ」と政府の基本の定まらない教育政策を批判。長官会議は、徳育の必要性を表明(「徳育涵養の建議」)し、さらに、熊本県富岡知事の意見(「通常の手段では、混乱した教育の正常化は不可能なので、陛下の直接の御決定を希望する」)に従って、天皇陛下から教育の目的を国民に明示して戴きたい旨、声明を出した。これを受け、山県有朋首相は、明治天皇陛下御臨席の上、「人生の幼少期にこそ急いで教育しなければならぬことがある。人生を戒める言葉を編纂し、子供に与え、日夜繰り返し読んで記憶させる」と閣議決定。
明治天皇陛下も、文相に「徳教に十分意を尽せ」とのお言葉をかけられました。
文相に勅語策定の依頼を受けた井上毅は、明治天皇陛下の御意見を入れて、天皇陛下が国民に明示される著作物であり、法律ではなく、あらゆる宗教色、哲学理論、政治、儒学等の漢学の影響を除去し、過ちや悪を戒めるといった消極的なものでなく、天皇陛下に相応しいをおおらか文章で示すという方針で「教育勅語」を仕上げました。
教育勅語」の優れている点は、
①日本の国体と国体精神を明らかにした。
②教育の最終目的が、学問修得でなく国体精神継承にあることを国民・全教育関係者(政府・学校・教師)に明示した。
③自由主義・資本主義の成立発展に欠かせない「国民規範」となった。
「国民軌範」なしには「契約と私有財産」は成立せず、従って自由主義(法治)国家も存続できない。教育勅語が「国民軌範」を日本国民に明らかにしたことで、明治国家は揺るぎないものとなりました。
ご存知のとおり、幕末までの身分社会では、民百姓は先祖伝来の田畑をまもっていればよく、国家のことには武士まかせでよかったのです。
武士、商人、農民、それぞれに規範の違いがありましたが、近代社会、法治國家は成り立ちません。
国民一人一人が社会的責務と法律遵守のつとめを果たしてはじめて成立し、国民全てがより高い道徳を要求されたのです。
そして、明治23年10月30日明治天皇陛下より「教育ニ関スル勅語」が渙発されました。
朕(ちん)惟(おも)ふに 我が皇祖皇宗(こうそこうそう) 国を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に 徳を樹(た)つること深厚(しんこう)なり 我が臣民(しんみん) 克(よ)く忠に克く孝に 億兆(おくちょう)心を一(いつ)にして 世々(よよ)厥(そ)の美を濟(な)せるは 此(こ)れ我が国体(こくたい)の精華(せいか)にして 教育の淵源(えんげん)亦(また)実に此(ここ)に存す
爾(なんじ)臣民(しんみん) 父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相(あい)和し 朋友(ほうゆう)相信じ 恭儉(きょうけん)己れを持し 博愛衆に及ぼし 學を修め業(ぎょう)を習ひ 以(も)って智能を啓発し 徳器(とくき)を成就(じょうじゅ)し、進んで公益を広(ひろ)め 世務(せいむ)を開き 常に国憲を重んじ国法に遵(したが)ひ 一旦緩急あれば義勇公に奉じ 以って天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし 是(かく)の如(ごと)きは 独(ひと)り朕が忠良の臣民たるのみならず 又以って爾祖先の遺風を顕彰(けんしょう)するに足らん
斯(こ)の道は 実に我が皇祖皇宗の遺訓にして 子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所 之(これ)を古今に通じて謬(あやま)らず 之を中外(ちゅうがい)に施(ほどこ)して悖(もと)らず 朕爾臣民と倶(とも)に挙々服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其(そ)の徳を一(いつ)にせんことを庶(こ)ひ幾(ねが)う
明治二十三年十月三十日
御 名 御 璽
教育勅語の十二の徳目】
教育勅語、大日本帝国憲法の両輪により明治日本は世界に類を見ない飛躍を為し得ました。
建国以来の、國體の精華です。
昭和の時代、我國は連合國と戦いましたが、連合國は、規律ある日本國民の強靭な捨身の精神力に恐れを成したのです。
やまと民族の國體の精華を畏れたのです。
占領中にありながらも、連合國は我國を畏れた米国は、何とか日本國民を「精神的ふぬけ」にしなければならないと考えました。
何故なら、日本が必ず米国に対する復讐戦を行なうと恐れたからです。 連合國は、その両輪を破棄させる必要があったのです。
次回は教育勅語失効についての経緯を述べたいと思いますが、教育は國の礎(いしずえ)です。
現在の民主党政権など、戦後、教育勅語という規範を失った我國の教育の弊害が生んだ産物でしかありません。
悲しい現実ですが・・・・
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