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我國の歴史は、神代の時代から皇室の歴史です。
また、天皇陛下の権威を否定したならば、いかなる政権の権力者も公共性、正統性も成り立ちません。
それは、政権の権力者の系譜が証明しています。
平安時代に権勢を誇った藤原氏は、元は中臣氏であり、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祖とします。この氏神は、皇室の祖先神・天照大神に仕えたと、古事記等に記されています。それゆえ、藤原氏は、いかに権勢を極めた時にも、あくまで皇室に仕えるという立場は普遍でした。
武家政権の元祖たる、平氏は桓武天皇を祖とし、鎌倉幕府を開いた源氏は、清和天皇を祖としました。
これは各地の豪族にもあてはまり、家の誉れとしました。また徳川氏は、皇室の分家・源氏の流れを汲むことを、武家の棟梁にふさわしい由縁としました。
ゆえに、皇室が自分の家の本家のようなものであるとすれば、皇室に歯向かうことは、自分の祖先の意に反することになります。「公」である天皇・朝廷に対し、朝敵となることは、大罪と意識され、「私」の専横への強い自制が働いたものと思われます。
今日数ある姓氏の由来を調べてみると、多くの家が、皇室を宗本家とした本家・分家に由来し、藤原氏・橘氏・源氏・平氏などから分かれたものと伝えられます。藤原氏からは、足利国佐野の佐藤氏、伊勢国の伊藤氏、加賀国の加藤氏、近江国の近藤氏などの家が分かれました。もとの藤原という姓氏と、地名の一部とが合体して、名字が作られました。
また、源氏からは、新田、今川、秋山などが分かれました。村岡、相馬、梶原などは平氏の末裔です。
ご存知のように、日本には、たった一つ名字のない家があります。それが、皇室です。
家と呼ぶにには畏れ多いですが、皇室に姓がないということは、本家中の本家、やまと民族の宗本家であることを意味します。
日本人の名字は29万もあるといわれます。日本の多くの家は、この皇室を中心とした本家・分家・別家の系統に連なり、あるいは、そうでなくとも、長い年月の中で、皇室の系統となんらかの親族関係を結んできたと考えられます。
この記事をご覧いただいている貴方にも、二人のご両親がいます。
ご両親には4人の親がいます。こうして遡ると、28代で現在の日本の総人口を越えてしまいます。
昔の日本の人口は、現在よりもっと少なかったわけですから、今の日本人は、どこかで共通の先祖を有するのです。
また、皇室とも連なると考えられるのです。
親、先祖を敬い、孝養をつくすことはすなわち、皇室に忠義を尽くすことと同じことなのです。
我國は、一大家族的共同体としての「公(おおやけ)」つまり「大きな家)」を基盤とした神武天皇の建国の詔にある、「八紘一宇」の精神こそがお国柄であると思います。
我々の祖先が、こうした家族的なつながりの意識を共有しつづけてきたことが重要なのであり、そこに、「宗本家と分家」「父と子」の関係が長い歴史を貫いて保たれてきたことが大事なのです。
現在、民主党などが、画策している諸政策は、神代の時代から連綿と続いてきたお国柄を否定し、我國を間違った方向へと導こうとしています。
日本は日本人の為にあります。
そして、今生きている、現世の国民だけのものでもありません。
神代の時代から、皇室とともに歩んできた、先人、祖先、そして未生の子孫の為にあるのです。
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
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2011年05月29日
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