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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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天皇陛下、皇后陛下 御尊影  平成22年(皇紀2670年)天長節
 
 
 
 
天皇陛下 皇后陛下  御尊影
 
 
 
 

天皇陛下、皇后陛下 ご動静 11日 (月)

 
(宮内庁発表分)
 
 【午前】
 
 陛下 健康診断《定例ご検査・皇后陛下は頸椎(けいつい)症性神経根症の痛み
 
 のためお取りやめ》(宮城・宮内庁病院)
 
 【午後】
 
 天皇陛下 皇后陛下 離任する駐日リトアニア大使夫妻をご引見(宮城・御所)
 
 天皇陛下 皇后陛下 黒井千次・日本芸術院第2部部長はじめ同部会員をお茶に
 
 お招き(御所)
 
 
 

皇太子徳仁親王殿下 「学習院OB管弦楽団第63回定期演奏会」に

 
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ビオラを演奏あそばされる皇太子徳仁親王殿下 御尊影=10日、学習院大学
 
 
 
皇太子徳仁親王殿下におかせられましては、は10日、東京都豊島区の学習院創立百周年記念会館で、ビオラ奏者として「学習院OB管弦楽団第63回定期演奏会」に出演あそばされました。
 今回の演奏会は、東日本大震災の被災者支援チャリティーコンサートとして開催され、皇太子徳仁親王殿下におかせられましては、シューマンの交響曲と、震災の哀悼曲としてプログラムに追加されたモーツァルトの曲を演奏あそばされた。
ご演奏なされない3曲は客席でご覧あそばされました。
 
 

第23回高松宮殿下記念世界文化賞の受賞者発表

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「2011世界文化賞」 第23回受賞者発表 常陸宮正仁親王殿下、同妃華子殿下ご台覧のもと記念撮影に収まる受賞者たち=11日午後、英国・ロンドンのクラリッジホテル
 
 
 
 
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第23回受賞者発表 発表前の控え室で記念写真に収まる受賞者ら。左からドミニク・クック、ジュディ・デンチ、アニッシュ・カプーア、サイモン・オーバー=11日午前11時55分、英国・ロンドンのクラリッジホテル
 
 
 
以下産経新聞より引用
 
【ロンドン=木村正人】ロンドンのクラリッジホテルで11日に行われた第23回高松宮殿下記念世界文化賞の受賞者発表会見には、日本美術協会総裁の常陸宮殿下と同妃殿下が臨席され、人気スパイ映画「007」の「M」役で日本でもおなじみの英女優、ジュディ・デンチ氏=演劇・映像部門受賞=ら約150人が出席、海外メディアの注目を集めた。
 主催者を代表して日枝久・日本美術協会会長が「受賞者から被災者の苦しみを分かち合いたいという温かい激励をいただいた。復興に立ち向かっている被災者のためにも予定通り受賞者発表を行った」とあいさつし、英国の国際顧問、クリストファー・パッテン英オックスフォード大総長が各受賞者を紹介した。
 「英国の人間国宝」と称されるデンチ氏は日本語で「ドウモ、アリガト」と礼を述べた。
 両殿下は10日、パッテン顧問の案内でランベルト・ディーニ元イタリア首相ら各国際顧問とともにパッテン顧問の案内でオックスフォード大を見学された。
 
世界文化賞とは
 
趣 旨

高松宮殿下記念世界文化賞は、公益財団法人日本美術協会によって1988年に創設されました。58年の長きわたり日本美術協会の総裁を務められた高松宮殿下の「世界の文化・芸術の普及・向上に広く寄与したい」とのご遺志にもとづいて、また日本美術協会が創立100周年を迎え、2世紀目の活動に入ることを記念して創設された全世界の芸術家を対象にした顕彰制度です。
「私たち全人類の財産である芸術の創造者たちに感謝と敬意を捧げ、永遠に讃える」ことを基本理念とし、絵画、彫刻、建築、音楽、演劇/映像の各部門で優れた業績を上げた芸術家に毎年授与されます。受賞者の選考にあたっては、6人の国際顧問が各々の地域の叡智を集めた委員会を設けて候補者の推薦にあたり、これを受けて日本国内の選考委員会で候補者を絞り、日本美術協会理事会で受賞者の最終決定をします。
日本美術協会はこの世界文化賞が単なる顕彰制度に止まることなく、次代の芸術家たちの育成にも役立ち、芸術への理解と絆が全地球に広がることを願っています。


授賞式典

高松宮殿下記念世界文化賞の授賞式典は、毎年10月に東京・元赤坂の明治記念館において常陸宮同妃両殿下をお迎えして行われます。日本美術協会会長の挨拶、受賞者推薦に当った6 人の国際顧問のスピーチに続いて常陸宮殿下から受賞者一人一人に顕彰メダルが授与され、日本美術協会理事より感謝状と賞金が贈呈されます。
続いて祝宴が催され、常陸宮同妃両殿下と受賞者を中心に、政・財界人、文化人、各国大使、また受賞者の友人ら300人を超える方々がご出席、毎年歓談の和が広がり新しい交流が生まれています。


高松宮殿下記念世界文化賞HPより
 

 
 
天皇陛下、皇后陛下はじめ、皇族方がいつまでもお健やかであられ、皇后陛下のお痛みがご平癒あそばされることを、臣民の一人として祈念いたします。




皇尊 彌榮 彌榮 彌榮


天皇陛下、皇后陛下 萬歳  萬歳 萬歳


日本国民は(やまと民族)は皇室と共に
 
 

聯合艦隊解散之辞 に学ぶ

東郷平八郎元帥
 
 
 
秋山真之 参謀
 
 
明治三十八年 (1905年)、日露戦争終結後の連合艦隊解散式において東郷平八郎連合艦隊司令長官が読み上げた訓示。
秋山真之参謀の起草と言われています。
 
聯合艦隊解散之辞

二十閲月ノ征戰已ニ往事ト過ギ、我ガ聯合艦隊ハ今ヤ其ノ隊務ヲ結了シテ茲ニ解散スル事トナレリ。
然レドモ我等海軍々人ノ責務ハ決シテ之ガ爲ニ輕減セルモノニアラズ。
此ノ戰役ノ收果ヲ永遠ニ全ウシ、尚益々國運ノ隆昌ヲ扶持センニハ、時ノ平戰ヲ問ハズ、先ヅ外衞ニ立ツベキ海軍ガ常ニ其ノ武力ヲ海洋ニ保全シ、一朝緩急応ズルノ覺悟アルヲ要ス。
而シテ武力ナル物ハ艦船兵器等ノミニアラズシテ、之ヲ活用スル無形ノ實力ニアリ、百發百中ノ一砲能ク百發一中ノ敵砲百門ニ對抗シ得ルヲ覺ラバ、我等軍人ハ主トシテ武力ヲ形而上ニ求メザルベカラズ。
近ク我ガ海軍ノ勝利ヲ得タル所以モ、至尊ノ靈徳ニ頼ル所多シト雖モ、抑亦平素ノ錬磨其ノ因ヲ成シ、果ヲ戰役ニ結ビタルモノニシテ、若シ既往ヲ以ツテ將來ヲ推ストキハ、征戰息ムト雖モ安ンジテ休憩ス可カラザルモノアルヲ覺ユ。
惟フニ武人ノ一生ハ連綿不斷ノ戰爭ニシテ、時ノ平戰ニ由リ其ノ責務ニ輕重アルノ理ナシ。
事有レバ武力ヲ發揮シ、事無ケレバ之ヲ修養シ、終始一貫其ノ本分ヲ盡サンノミ。
過去ノ一年有半彼ノ風濤ト戰ヒ、寒暑ニ抗シ、屡々頑敵ト對シテ生死ノ間ニ出入セシコト固ヨリ容易ノ業ナラザリシモ、觀ズレバ是レ亦長期ノ一大演習ニシテ之ニ參加シ幾多啓發スルヲ得タル武人ノ幸福比スルニ物無シ。
豈之ヲ征戰ノ勞苦トスルニ足ランヤ。
苟モ武人ニシテ治平ニ偸安センカ、兵備ノ外觀毅然タルモ宛モ沙上ノ樓閣ノ如ク、暴風一過忽チ崩倒スルニ至ラン。
洵ニ戒ムベキナリ。
昔者、神功皇后三韓ヲ征服シ給ヒシ以來、韓國ハ四百餘年間、我ガ統理ノ下ニアリシモ、一タビ海軍ノ廢頻スルヤ忽チ之ヲ失ヒ、叉近世ニ入リ、徳川幕府治平ニ狃レテ、兵備ヲ懈レバ、舉國米艦數隻ノ應對ニ苦シミ、露艦亦千島樺太ヲ覬覦スルモ、之ト抗爭スルコト能ハザルニ至レリ。
飜ツテ之ヲ西史ニ見ルニ、十九世紀ノ初メニ當リ、ナイル及ビトラファルガー等ニ勝チタル英國海軍ハ、祖國ヲ泰山ノ安キニ置キタルノミナラズ爾來後進相襲ツテ能ク其ノ武力ヲ保有シ世運ノ進歩ニ後レザリシカハ、今ニ至ル迄永ク其ノ國利ヲ擁護シ國權ヲ伸張スルヲ得タリ。
蓋シ此ノ如キ古今東西ノ殷鑑ハ爲政ノ然シカラシムルモノアリト雖モ主トシテ武人ガ治ニ居テ亂ヲ忘レザルト否イナトニ基ケル自然ノ結果タラザルハ無シ。
我等戰後ノ軍人ハ、深ク此等ノ實例ニ鑑ミ、既有ノ錬磨ニ加フルニ戰役ノ實驗ヲ以ツテ、更ニ將來ノ進歩ヲ圖リテ時勢ノ發展ニ後レザルヲ期セザル可カラズ。
若シ夫レ常ニ、聖諭ヲ奉體シテ、孜々奮勵シ實力ノ滿ヲ持シテ放ツベキ時節ヲ待タバ、庶幾バ以テ永遠ニ護國ノ大任ヲ全ウスル事ヲ得ン。
神明ハ唯平素ノ鍛錬ニ力メ戰ハヅシテ既ニ勝テル者ニ勝利ノ榮冠ヲ授クルト同時ニ、一勝ニ滿足シ治平ニ安ンズル者ヨリ直ニ之ヲ褫フ。
古人曰ク勝ツテ兜ノ緒ヲ締メヨト。

明治三十八年十二月二十一日
聯合艦隊司令長官 東郷平八郎


<現代語訳>
連合艦隊解散の訓示

二十ヶ月にわたった戦いも、すでに過去のこととなり、我が連合艦隊は今その任務を果たしてここに解散することになった。しかし艦隊は解散しても、そのために我が海軍軍人の務めや責任が軽減するということは決してない。
この戦争で収めた成果を永遠に生かし、さらに一層国運をさかんにするには平時戦時の別なく、まずもって、外の守りに対し重要な役目を持つ海軍が、常に万全の海上戦力を保持し、ひとたび事あるときは、ただちに、その危急に対応できる構えが必要である。
ところで、戦力というものは、ただ艦船兵器等有形のものや数だけで定まるものではなく、これを活用する能力すなわち無形の実力にも左右される。百発百中の砲一門は百発一中、いうなれば百発打っても一発しか当たらないような砲の百門と対抗することができるのであって、この理に気づくなら、われわれ軍人は無形の実力の充実すなわち訓練に主点を置かなければならない。
この度、我が海軍が勝利を得たのは、もちろん天皇陛下の霊徳によるとはいえ、一面また将兵の平素の練磨によるものであって、それがあのような戦果をもたら したのである。もし過去の事例をもって、将来を推測するならば、たとえ戦いは終わったとはいえ、安閑としてはおれないような気がする。
考えるに、武人の一生は戦いの連続であって、その責任は平時であれ戦時であれ、その時々によって軽くなったり、重くなったりするものではない。ことが起これば戦力を発揮するし、事がないときは戦力の涵養につとめ、ひたすらにその本分を尽くすことにある。過去一年半、あの風波と戦い、寒暑に耐え、たびたび強 敵と相対して生死の間をさまよったことなどは、容易な業ではなかったけれども、考えてみると、これもまた長期の一大演習であって、これに参加し多くの知識 を啓発することができたのは、武人としてこの上もない幸せであったというべきであり、どうして戦争で苦労したなどといえようか。
もし武人が太平に安心して目の前の安楽を追うならば、兵備の外見がいかにりっぱであっても、それはあたかも砂上の楼閣のようなものでしかなく、ひとたび暴風にあえばたちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきである。
むかし神功皇后が三韓を征服されて後、韓国は四百余年間我が国の支配下にあったけれども、ひとたび海軍が衰えるとたちまちこれを失い、また近世に至っては、徳川幕府が太平になり、兵備をおこたると、数隻の米艦の扱いにも国中が苦しみ、またロシアの軍艦が千島樺太をねらってもこれに立ち向かうことができなかった。目を転じて西洋史をみると、十九世紀の初期、ナイル及びトラファルガー等に勝った英国海軍は、祖国をゆるぎない安泰なものとしたばかりでなく、それ以降、後進が相次いでよくその武力を維持し世運の進歩におくれなかったから、今日に至るまで永く国益を守り、国威を伸張することができたのである。
考えるに、このような古今東西のいましめは、政治のあり方にもよるけれども、そもそもは武人が平和なときにあっても、戦いを忘れないで備えを固くしているかどうかにかかり、それが自然にこのような結果を生んだのである。
われ等戦後の軍人は深くこれらの実例を省察し、これまでの練磨のうえに戦時の体験を加え、さらに将来の進歩を図って時勢の発展におくれないように努めなければならない。そして常に聖論を奉体して、ひたすら奮励し、万全の実力を充実して、時節の到来を待つならば、おそらく永遠に護国の大任を全うすることができるであろう。神は平素ひたすら鍛練に努め、戦う前に既に戦勝を約束された者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足し太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠を取り上げてしまうであろう。
昔のことわざにも教えている「勝って、兜の緒を締めよ」と。

明治三十八年十二月二十一日
連合艦隊司令長官 東郷平八郎

 
 

東郷司令長官のこの訓示は、たちまち各国語に翻訳され、世界中に紹介された。
なかでもアメリカ合衆国のルーズベルト大統領は一読、大いに感動し、直ちに筆を執って陸海軍長官に書簡をしたため、これを隷下の陸海軍人に教示するよう促しました。
現代日本に学ぶべきことは多いはず。
 
 
 日本國は日本人が護るべき・・・だと
 
 
 
 

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戦後教育

戦 後 教 育

毎日のように新聞、マスコミ等で報道される殺人、詐欺、イジメ、自殺。これらを一括りに「社会の荒廃」といいますが、なぜこうなってしまったのでしょうか。
戦前日本を訪れた諸外国の識者は、一応に治安がよい、礼儀正しい、親切、聡明、勤勉、と評しています。
なぜ、戦後こうなってしまったのか戦後教育に関して考えてみたいと思います。
 
「戦前教育」の優れていた点
本ブログでも幾度か紹介させていただきましたが、戦前は、明治天皇陛下より下賜給わった、「教育勅語」によって国民に分かり易く「教育の目的」が示されていたのです。
 「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々美ヲ済セルハ我カ國体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ茲ニ存ス」の一節にあるように、教育の目的は、「忠孝」など人としての徳目を身につけることなのであり、そもそも、一国の道徳は、永いやまと民族の歴史の営みを通じ醸成されたものであって、これを次代の国民に連綿と継承させるのが教育の最大の務めであります。
教育勅語は、よい日本人として如何に生きるべきか「人の道」を家族から友人、社会、国家という広がりの中で具体的に明治天皇陛下がお示しになられたものです。
教育勅語にお示しになられた原則を補完する為に「修身教育」がおこなわれました。
本ブログでも修身教科書は幾度かご紹介させていただきましたが、日本の偉人のみならず、世界の偉人、の生き方を具体的に教えました。
また、教育が国家政策の中心であったからです。
これは、義務教育の教員を大事にしていたことからも窺えます。義務教育の教員養成は、軍関係の陸士・海兵と同様、授業料免除の上、手当が出され、正教員免許は、師範学校卒業生だけに出されました。大卒であっても義務教育の正教員資格は与えられませんでした。
また、兵役が短縮されるなど優遇されていました。
 
「戦前教育は国語教育重視」
戦前の時間割では、国語が小学校四年生までの総授業時間の約半数を占めており、国際的に見ても傑出していました。
現在見られるような「教科の平等」ではなく、あくまでも国語重視でした。
その理由は、母国語こそが全ての知的活動の基盤であり、表現だけでなく思考そのものが国語を通じて行なわれる。国語力なくして算数も理解できないとの基準でした。
言葉は人間のすべてといっても過言ではありません。
言葉を身につけるのは、小学校間が最も適していたからです。国語による読書を通じ、情緒や道徳を学ぶことができ、古典・詩歌を読むことで、感情、情緒が養われ、家族愛・郷土愛・祖国愛・人類愛が養われていったのです。
過去、現在においても、「言語を一定期間奪われると民族は亡びる」と言われています。なぜなら、民族としての情緒、道徳、文化、伝統の中核に母国語があるからです。
これは、世界の歴史が証明しています。
戦前世代の方々の国語力はここから生まれています。
誇りある文化を失いつつある日本、荒れ果てた民心、青少年の著しい学力低下、といった現状を考える時、小学校国語の質と量にわたる飛躍的充実は、日本再生のための不可欠な第一歩です。
 
「戦前の「複線型」学校制度」
複線型であった戦前の学校制度は、今日の「単線型」の学校制度よりはるかに優れており、人それぞれの志向に合った学校制度でした。
「複線型」の学校のため、子供自身が自己の能力・志向に合った学校を選ぶことができ、「待避線」もあるために余裕を持って進学でき、中学校入試に力不足であった子供でも、高等科で勉強して中学に入り直すことができました。
現在の平等を謳う教育よりも、戦前のほうが落ちこぼれをださず、英才を輩出したシステムがこれだったのです。
現在のように、東大一辺倒ではなく、専門分野毎に頂点の学校が複数存在したからです。
また志望者は、上級校への進学もでき、例えば、師範学校卒業生は、高等師範進学さらに、文理大への進学ができた。仕事で学費をえて進学することもできたわけである。そのようなコースを経た大学教授の方が昭和五十年代まで学部教育に携わっておられた。当時の教育学部には、児童・生徒と学校現場を知り抜いた「師範出身」の教授が、学部学生を指導して、より実際的な教員養成が可能にしていました。
実によく考えられた教育システムです。
英国の学校制度は、戦前の日本と同じく「複線型」です。
英国が、一旦「英国病」にかかり衰退しながらも、近年、見事に復活して活力を取り戻していることからも戦前の日本教育がすばらしかったかが明らかです。
 
「戦後教育の問題点」
 
「教育勅語放棄」
「教育勅語」放棄が、「道徳崩壊」に繋がった。すべての根本はこれにあります。
教育勅語は、国民精神の基盤であったのですから当然の結果ですが。
明治天皇の御代に、日本が僅かな年月の間に西欧列強に伍して近代法治国家たりえたのは、「帝国憲法」と「教育勅語」の両輪があってこそです。
戦後の日本は、敗戦ショックとGHQの指令により、「帝国憲法」「教育勅語」をあっさり放棄してしまいました。
戦後四十年にわたる日本の繁栄は、教育勅語の精神を持つ世代が生み出したもので、教育勅語の精神を持つ世代が引退した頃(昭和五十年代後半)から、あらゆる分野においておかしくなり、日本は経済、文化、精神とも衰退への道辿っているようにおもえる。従って、戦後の「教育勅語」排除こそ、今日の国家衰退の一大誘因であり、惜しみても惜しみきれません。
 「教育勅語」には、世界に通用する徳目が述べられている。これを放棄したことによって、戦後日本においては、徳目を教えることさえ困難な現状です。教育勅語排除によって、日本の教育現場から「道徳」が抹殺されたといっても過言ではありません
 
 

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