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2011年07月13日
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映画「一枚のハガキ」の試写会会場に到着あそばされた天皇陛下、皇后陛下 御尊影。右は新藤兼人監督=13日夜、東京・有楽町のホール
映画「一枚のハガキ」のプレミア試写会で、出演者と新藤兼人監督(中央)の出迎えを受けあそばされる天皇陛下、皇后陛下 御尊影=13日午後6時24分、東京都千代田区の有楽町朝日ホール
映画「一枚のハガキ」の試写会におでましあそばされ、観客に手を振りあそばされる天皇陛下 御尊影。 左下は新藤兼人監督=13日夜、東京・有楽町のホール
映画「一枚のハガキ」の試写会を新藤兼人監督(左)と鑑賞あそばされる天皇陛下 御尊影=13日午後6時41分、東京都千代田区の有楽町朝日ホール
天皇陛下 皇后陛下 御尊影
天皇陛下、映画をご鑑賞、皇后陛下99歳の新藤監督を祝福 畏くも天皇陛下におかせられましては、13日、有楽町朝日ホール(東京都千代田区)におでましあそばされ、国内現役最高齢の映画監督、新藤兼人監督(99)の作品「一枚のハガキ」をご覧あそばされた。
頸椎(けいつい)症性神経根症による痛みで、公務の一部を控えあそばされておられる皇后陛下におかせられましては、上映前、陛下とともに新藤監督と引見あそばされ、作品の完成を祝福あそばされた。
痛みの症状が出て以来、皇后陛下におかせられましては、宮城外で公務に臨まれるのは初めてです。
皇后陛下におかせられましては痛みが残っているため、映画をご覧にならずに御所に戻りあそばされました。
新藤兼人の夫人は元宝塚スターで女優の故乙羽信子氏。
皇后陛下におかせられましては、一日も早いご平癒をこころから祈念いたします。
皇太子徳仁親王殿下におかせられましては13日、山形市で14日に開かれる「第47回献血運動推進全国大会」にご台覧あそばされるため、新幹線で山形県に入りあそばされた。
津波で死亡した3人の家族の名前を駒に書いた福島県南相馬市の佐藤敬子さん(60)の一家に対し、皇太子徳仁親王殿下におかせられましては、「早く戻れるといいですね」と気遣われ、皇太子徳仁親王殿下におかせられましては、「こちらの学校は楽しいですか」とお言葉を賜りました。
佐藤さんの長男の小学4年、涼耶君(9)は皇太子徳仁親王殿下を「優しい人だと思いました」と話した。
皇太子徳仁親王殿下はこの日、山形市の特別養護老人ホームもご訪問。宮城県石巻市で震災に遭った佐藤あやめさん(88)に「たいへんな思いをされましたね」「お体は大丈夫ですか」などと声をかけあそばされた。
天皇陛下、皇后陛下 ご動静 12日 (火) (宮内庁発表分)
【午後】
天皇陛下 ご執務(宮城・御所)
天皇陛下、皇后陛下はじめ、皇族方がいつまでもお健やかであられ、皇后陛下のお痛みがご平癒あそばされることを、臣民の一人として祈念いたします。
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳 日本国民は(やまと民族)は皇室と共に
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靖国神社 みたままつり
動画は是非ご視聴くださいませ。
日本古来の盆行事に因み昭和22年に始まった「みたままつり」は、今日から4日間
靖国神社で行われます。
靖国神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。
靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。(靖国神社HPより)
祖国を思う気持ちは世界どこの国でも同じです。
我国は世界に誇りうる祖国にも関わらず、本当の日本を知らない日本人が多すぎます。アジアで唯一人種差別撤廃の理念を掲げ、アジア各国の植民地支配から立ち上がった日本。
帝国海軍 永野修身元帥(最終階級)は大東亜戦争開戦に際し9月6日の御前会議後、次のように語られておられます。
「政府側陳述によれば、アメリカの主張に屈服すれば亡国必至であるとのことであったが、戦うもまた亡国であるかも知れない。すなわち戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われらの子孫はかならず再起三起するであろう。統帥部としてはもとより先刻申したとおり、あくまで外交交渉によって目的貫遂を望むものであるが、もし不幸にして開戦と決し大命が発せられるようなことになるならば、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟である」 然しながら、戦後我々はどうしてきたでしょうか?
戦ったでしょうか?
国の魂である憲法すら戦勝国に委ね、民族のあるべき姿さえも歪めてしまったのではないでしょうか?
自分たちの父や祖父や叔父たちが、自分たちの国を守るために戦った精神について、何も知りませんでした。もっと驚いたことは、その人がしたことになんの尊敬の念も払っていないことです。とても残念に思います。
昨今に見る政治、社会の惨状を見るにつけ、きっと先人、英霊はお嘆きでありましょう。
畏くも、昭和天皇陛下に於かせられましては、昭和61年8月15日の御製で
「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」
とお詠みあそばされておられます。
この昭和天皇御製は、中曽根首相が、昭和六一年八月十五日の靖国神社参拝を取りやめたことを御憂いになって詠まれた御歌です。
英霊はとこしなへに生き、祖国日本の行く末を見守られているのです。
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