ここから本文です
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

書庫過去の投稿日別表示

全1ページ

[1]

イメージ 1
天皇陛下、皇后陛下 御尊影(於・全国植樹祭 平成23年)
 
 
 
 
 
君が代
 
 
 

天皇陛下、皇后陛下 ご動静 10日 (水)

 
(宮内庁発表分)
 
 【午前】
 
 天皇陛下 鶴岡公二・外務省総合外交政策局長からご進講(宮城・御所)
 
 天皇陛下 ご執務(御所)
 
 皇后陛下 鶴岡局長からご進講(御所)
 
 【午後】
 
 皇后陛下 赤松良子・日本ユニセフ協会会長から説明お受けに《ユニセフの活動
 
 状況につき》(御所)
 
 
 
 
 

昭和天皇陛下と国民

 
イメージ 2
唱和天皇陛下、香淳皇后陛下 御尊影
 
 
 
公平無私の上御一人は私にとって命がけでお守りする存在でした」/寛仁親王殿下

——昭和天皇とお二人きりでお話になられたことはございましたか?
 
殿下 二十代の頃でしたが、将来のために陛下とどうしても直接お話をして伺いたいことがあると高松伯父様にお願い申し上げたら、二度実現しました。その時の記憶で特に鮮明なのは、陛下が「自分は半生の中で自らの意見を述べたのは二度ある」と淡々とおっしゃったことでした。一度目が二・二六事件の時、二度目が終戦の時というのです。本来陛下を補弼(ほひつ)する責任を持つ重臣たちが、前者の場合は消息不明であり、後者の場合は意見を伺いたい旨を言上(ごんじょう)したわけで、いずれの場合も陛下ご自身がお動きにならざるを得ない状況におかれたのです。この話は後に陛下が記者会見でも発言されましたが、その時は初めて聞く話でしたから、仰天すると同時に背筋がゾッとしました。
 またある時、高松伯父様が「若い者が陛下のところに行ってお話ししろ」とおっしゃるので、私と弟の高円宮の二人で陛下のお側に行きました。私は青少年育成で日本中を回っている時の話を色々申し上げました。自分が直に全国各地の青少年と議論をして聞き出してきた、各地方の特色ある生の声を得意になってご説明したのですが、陛下はみんなお見通しでした。「その地方の若者はこういうことを言わなかったか」と、実に的を射たご下問をなさる。各地の若者たちの悩みや問題点をじつによく把握なさっていました。私は帰りの車の中で高円宮と「これは一体どういうことか、不思議なことがあるものだ」と話し合いました。

——昭和天皇は実に細やかな気配りをなさる方であったと伝え聞いております。

殿下 これはあまり世に出していない話ですが、私が昭和五十五年に結婚(編集部注:信子妃殿下は麻生太郎現首相の実妹)した時に、両陛下をはじめご親族を招いて晩餐会を開いたのです。
 義祖母の夏子おばあちゃん、義母の和子女史や義兄の太郎をはじめ、麻生家の親族に列立してもらって、陛下に拝謁を賜りました。父が一人ずつ紹介しようとしたところ、陛下は皆に向かって突然、
 「太賀吉は元気でおるか?」
 とおっしゃったのです。
 実はその時、岳父の麻生太賀吉氏は食道がんで入院中でした。その情報はもちろん陛下のお耳には届いていたのでしょう。それでも陛下のお心遣いに一同言葉にならず、ただポロポロと涙を流すばかりで、とても紹介どころではありませんでした。このような絶妙なタイミングで、思い遣りのお言葉を自然に出されるのが昭和天皇でした。

——国民に対するお気遣いも有名でした。

殿下 台風の時など、まず「稲穂の状況と被災民の様子」を常に心配されて、侍従を通してご下問がありました。それは見事に自然な形で発せられるので、地元の人々はこのお言葉を翌日の紙面で知ると勇気づけられますし、奮起するのです。どの災害、事件の時も同じでした。あれほど「公平無私」の心をお持ちの方を私は知りません。

——今の日本の繁栄があるのは、昭和天皇が常に国家の平安を祈られ、国民を激励し続けてこられたからではないでしょうか?

殿下 敗戦国の元首が国民の中に分け入って熱狂的な歓迎を受けるという例は、世界史上皆無でしょう。ここに、他国の王室や皇室とはどうしても比較できない、陛下と国民の間の人間的な絆があるのです。
 ある時、過激派への対策として、皇居や赤坂御用地に機動隊のバスがずらりと並んでいたことがありました。それをご覧になった高松伯父様は宮内庁の役人に、
 「お前たち、皇室は軍人や警察官に守られて二千数百年も続いたんじゃないぞ。国民に守られてきたんだ。あんなものは即刻撤去せよ!」
 とおっしゃり、翌日、すべての配備をときました。もちろん、何も起こりません。
 また、伯父様はこうもおっしゃっていました。
 「京都御所を見てみなさい。わずか三十センチくらいの疏水が流れているだけで、誰でも乗り越えられるし、どこからでも侵入できる。でも、長い年月、何者にも侵されていない。それは歴代の国民が守ってくれたからだ」
 まさにおっしゃる通りだと思います。良識ある国民の総意で万世一系の百二十五代は続いてきたのです。
 
 

 
■[激励]足掛け8年半で3万3000キロ 2万人に声をかけられた焼け跡の中の全国巡幸/松崎敏弥

 当時の天皇と国民との関係については、私にも印象的な思い出がある。小学生のとき、学校の夏期合宿からの帰り、軽井沢の手前の横川駅で昭和天皇のお召列車とすれ違ったときのことだ。引率していた女性教師が、汽車の窓を開けてはいけないと注意した後に、「私は天皇陛下万歳とはいいません。そういう人間ではありません」といった。ところが、
いざお召列車が目の前を通り、天皇陛下がこちらに手を振っておられた時、その女性教師は他の乗客たちと一緒になって「天皇陛下万歳」と叫びながら、号泣していたのである。
 後に、先生が婚約者を戦争で亡くしていたと聞いた。複雑な感情を持ちながら、それでも目の前を通るお召列車に向かって泣きながら「天皇陛下万歳」といわずにはいられなかった姿を、皇室記者になってからも、たびたび思い出した。
 
 
 
「SAPIO」、昭和天皇と私たち日本人の幸福な日々より
 
 


 
 
常に国民とともに、国民は皇室とともに・・これが日本のお国柄です。

皇尊 彌榮 彌榮 彌榮


天皇、皇后両陛下 萬歳  萬歳 萬歳


日本国民は(やまと民族)は皇室と共に
 
 

 

全1ページ

[1]

アメブロにタイトル同じで移行。
アメブロにタイトル同じで移行。
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31

Yahoo!からのお知らせ

友だち(51)
  • 高く支持します板野友美、島崎遥香
  • 2月22日は島根県竹島の日
  • うまやど
  • 琴鈴
  • 花橘乙女
  • 愛国直哉
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事